「あたし、おかあさんだから」と「パタパタママ」の差

絵本作家のぶみさん作詞の歌、「あたしおかあさんだから」が大きな批判を呼んだ問題。母親への自己犠牲を強いるとか、表層的なイメージで母や女性をとらえ過ぎるという声があります。そうした意図はなかったにせよ、私は作品としてのクオリティの点で、「おかあさんだから」に問題はあると感じます。かつての名作童謡と比較して論じたいと思います。





1.パタパタママ

今から40年以上前の昭和51年(1976年)、子供向けテレビ番組「ひらけ!ポンキッキ」で流れ、60万枚の大ヒットを遂げた「パタパタママ」という歌あります。当時私はすでに中学生だったため、こうした子供番組は全く見ていませんでしたが、テレビや街中で流れていたのは良く覚えています。子供も喜ぶ軽快でノリの良い曲なのに加え、当時はその歌詞に、お母さんたちから支持が集まってリクエストが多かったとも言われました。

どんな曲かは動画検索すれば、当時のポンキッキの映像とともに見ることができるでしょう。

お母さんの一日を、軽快なテーマとマンガ(紙人形)アニメで表現する、あくまで子供番組の中の歌の一つです。パタパタママは6時から雨戸を明け、7時には朝ごはんを作り、8時にはパパの靴磨きをします。とってもはたらき者のパタパタママ。掃除、洗濯、布団干しまでこなしながら、合間におやつを食べ夕食もしっかり「よくたべる」(歌詞より)のです。

アニメ(紙人形)で表現されるパタパタママはメガネをかけたおばちゃんです。相当デフォルメされ、お世辞にも美人ではなく、むしろマンガチックなおもしろ顔に描かれています。子供の目線からの詞なので、パタパタママが気持ちやセリフを発することはありません。

しかし私は今、この歌を聞いて、不覚にも涙ぐんでしまいました。





2.何も主張しないことの説得力

高田ひろおさん作詞によるこの歌、パタパタママは6時にうるさく雨戸を開けた後は家事をしまくり、布団干しを終え、昼の12時にはお化粧を始めます。午後は隣のママと井戸端会議をやったり、買い物に出かけるのです。歌の1番は「12時~。お化粧パタパタ~。 ママ きれいだよ~」で終わります。

CMの女王こと、歌手・のこいのこさんが抜群の歌唱力で歌い上げる、このいわばサビの部分。おもしろ顔のパタパタママが「きれい」かどうかなんですが、造形ではなく美しいと思える年齢になりました。子供目線からのこの歌は、素のお母さんを応援した歌だと、今わかるようになりました。

私の母は共働きどころか商店のおかみさんでもあります。専業主婦並みの家事もこなしつつ店の営業もします。長男の私含めて3人の子供を育てつつ、パタパタと家事をしまくり、店も切り盛りする母。子供の頃、親のことなど全く考えもしなかった私も、さすがに今、80代で自立歩行できなくなった母親に対し、感謝の気持ちを感じています。

お化粧してもちっともきれいにもならないパタパタママ。お父さんの靴磨きまでやり、お風呂を沸かしてその帰りを「うきうき」待ちます。「おかあさんだから」どころか、何も美化することもなく、しかし誰一人傷つけることなく、何も言わない、何も主張しない歌詞こそが雄弁に、お母さんを映し描いています。パタパタママはすごい歌だと思いました。





3.プロの腕

ミュージシャンのカールスモーキー石井さんは、「あたし、おかあさんだから」の詞について、「プロの作る歌詞じゃない」と批判しました。主張したいメッセージを、具体的に言語化すればよりわかりやすいのは当然です。しかし「わかりやすいこと」と芸術は別です。高尚でわかりにくい音楽や絵だけが芸術だという意味ではありません。名作と呼ばれる作品が持つ「力」は、言葉で解説されることによる情報伝達ではなく、見ている人が勝手に感じてしまう圧倒的な説得力にあるのではないでしょうか。それこそがプロの腕だと思います。

「おかあさんだから」はリサーチに基づく正確な情報を盛り込んでいたそうです。しかし正確さを求めれば求めるほど、その言葉や情報にイメージは縛られ、広がりを失っていきます。言葉から少しでも外れただけで、「自分とは違う」違和感となってしまいます。

発表当時に主婦から強い支持を得たというパタパタママ。何も主張せずとも、何も言わないがゆえに多くの人が勝手にメッセージをして受け止めていったのではないでしょうか。リサーチによって抽出されたお母さんの気持ちを文字情報化したのではなく、情報ではない感情を揺さぶる力を持った歌こそが、受け手のメッセージを自由に自己変換できることで、聞いた私に至っては感激してしまいました。

日頃お金の価値や儲けてこそのビジネスであることを論じている私ですが、音楽など文化や芸術においては、マーケティングで生まれたヒット作品を名作とは思いません。「どれだけ売れたか」「どれだけ儲かったか」ではなく、どれだけ人々に感動を与えたか」こそが、名作と呼ぶにふさわしい作品の価値だと思います。