山口メンバーは謝罪すべきか?アダ名芸と謝罪の限界

元TOKIO山口元メンバーの酒気帯び交通事故。わずかな再起の可能性をも断ち切った暴挙として批判されています。今、山口元メンバーは謝罪会見などすべきなのでしょうか。

・有吉さんのアダ名芸

今回の事件でも取材を受けましたが、芸能人など有名人がやらかした時にやる謝罪会見。これって意味あるんでしょうか?いやいや、お前はそれで食ってるんだろうとツッ込まれても、食ってないし。本業は大学とコンサルタントだし。お詫びの仕方を教えてくれとか、代わりに謝ってくれという依頼が来ることもありますが、有名人の謝罪でコメントできるのは相手が「有名人」だから。全然知らない人の謝罪を指南できる訳ありません、全然知らないんだから。

「知っている」というのは最も重要な点で、謝罪を単なるテクニックとしてしか考えていない人には、本当の目的がわかっていないのです。謝ることは謝罪の目的ではありません。事態を収拾する、毀損された被害を最小限にする、これ以上延焼を防ぐ・・・そのためには情報が無ければできないのです。

どん底から奇跡の復活を遂げた有吉さんですが、その復活のきっかけとして注目されたのは「アダ名」芸です。芸能人にアダ名を付け、それが見事に視聴者の感覚にドはまりしたことで、一気に有吉さんのセンスと笑いが受け入れられました。品川さんを「おしゃべりクソ野郎」と命名したのは「おしゃクソ事変」とアメトークで名付けられたように、衝撃的な賞賛を集めました。誰もが鼻につく増長ぶりだった品川さんへの感情をこれだけ明確に、正確なネーミングで表現できた人はいません。

・アダ名芸成立の条件

このようにアダ名が奇跡の復活を呼ぶほどの爆発的破壊力を持てた理由は、認識の共有があったからです。品川さん自身や品川さんのお笑いの枠を越えた文化人活動などを苦々しく感じていたという共有認識があって、初めて有吉さんはそれを「芸」に表現できました。

もはやバラエティの帝王となった今、有吉さんがアダ名芸を求められることはありませんが、まだまだ復帰途上だったころ、見ていてキツいだろうなと思ったのは、「無名の人にアダ名を付けて」という無茶振りでした。このようなリクエストをする人は、笑いの構成を理解していない一般人素人か演芸とは関係ない芸能人です。共有できる認識のない人にアダ名を付けても芸として成立しません。

情報の無い人の謝罪指南などできないのも全く同じです。背景も立場も環境も、そもそもしくじりの状況もわからず、お詫びの言葉を並べるだけでは何の意味もないのです。謝罪をテクニックとししか考えられなければこうした発想になるのだと思います。

・山口元メンバーの謝罪

結論から言えば不要だと思います。それは罪を詫びる必要があるかどうかではなく、謝罪したところで何も事態収拾ができないだろうと思うからです。事態悪化を防ぐことも、環境改善ができることもない以上、謝罪などしても意味はないでしょう。今回の事件はそれほど元メンバーに致命的だったと考えます。

事件自体はもし彼が有名人でなければ、普通の頻度で運転する人で私含め一度も交通違反をしたことがない人など希でしょう。くだらないミスで反則切符を切られた経験は何度もあります。ですが、この事件は一般人ではなく、世間が大注目をする有名人によって「繰り返された」やらかしです。

はっきり言えば法律違反としては軽度な違反であっても、その原因が芸能界引退を余儀なくされた飲酒であり、飲酒運転そのものへの批判が年を追って増加している環境下での事件。これは罪の軽重を越え、回復しようのない致命傷だと思います。

そうであれば今さら謝罪会見をしたところで、もう芸能界復帰は無理でしょう。復帰もかなわないのに謝罪も会見も必要ないのではないかとオいうのが、取材されてのコメントでした。



TOKIO山口メンバー会見で活躍したアメリカンプロレスマネージャー

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