「育児サークルに行くのが苦痛です」 石田衣良ブックトーク『小説家と過ごす日曜日』Vol.29



石田衣良ブックトーク

『小説家と過ごす日曜日』

2016年9月11日 Vol.29

【ごあいさつ】

本を書くのが作家の本業だけど、もっとライブに新しい発信はできないか?

世界は日々動いているのに、一冊の本をつくるまで2年はかかってしまいます。

このメルマガは、ぼくが考えたこと、感じたことをありのままに伝える新しいメディアです。

この国の本の世界をすこしでも変える第一歩になれば、最高にうれしいです。

感想、反発、いい素材、どしどしメールしてください。

明日は誰にもわからない、それなら笑っていきましょう。 石田衣良



00 PICK UP「育児サークルに行くのが苦痛です」

以前、「子どもがボーッとしてます」っていうお悩みがあったけど、子どももボーッとしていいし、親もボーッとしていいんだよね。



▼Q▼

30代の女性です。育児サークルに参加しているのですが、ママ友との会話が苦手で仕方ありません。子どもの近況や、旦那の愚痴とか他愛もない会話がほとんどなのですが、正直「どうでもいい」と感じてしまいます。世間話が延々と3時間に及ぶと「時間の無駄」と苦痛にさえ思ってしまいます。

こんな私は他人に興味のない冷たい人間なのでしょうか? 苦手意識があっても、子どものために、無理してでも付き合うべきでしょうか?

【A】

いや~、別にいいんじゃないの。育児サークルなんて、誰もが入っているものじゃないからね。なぜか知らないけど、みんな流行に弱いですよね。「こういう育児法がはやっている」と聞くと、すぐに飛びついて、飽きて捨てるっていうのを繰り返しているので。もっとじっくり子どもを見てあげたらどうかな。

いつも何かに追われて、より良く育てるための努力をしないといけないって思い込んでいるけど、ほとんどの子どもに関しては素質でほぼ一生決まってしまうので、親の努力でカバーできる部分ってほんのわずかしかないんですよ。なので、あんまり追い込まないほうがいいと思うんだ。3時間もどうでもいい話が続くのはぼくにとっては地獄なので、嫌なら、だんだんと疎遠になるくらいでいいんじゃない?

最後のキーワードとして、「子どものためを思って」と書いてあるけれど、べつに育児サークルなんかこれっぽっちも子どものプラスになってないからね。世間話や旦那の愚痴を言うのが楽しくて仕方ないっていう人はいるので、そういうことに向いている人が行けばいいと思います。



今週の目次



00 PICK UP「育児サークルに行くのが苦痛です」

01 ショートショート「3度目の夜に」

02 イラとマコトのダブルA面エッセイ〈29〉

03 “しくじり美女”たちのためになる夜話

04 IRA'S ワイドショーたっぷりコメンテーター

05 恋と仕事と社会のQ&A

06 IRA'S ブックレビュー

07 編集後記



01 ショートショート



実は今夜は日比谷の帝国ホテルで第155回の直木賞贈賞式があります。

受賞者は友人の荻原浩さんなので、夕方から出かける予定。

ぼくのときはもう13年も前で、第129回だったのだ。

そこで今回はちょっと昔を懐かしんで、受賞の夜について私小説風に書いておきます。

まあ、エンタメ系の作家にとって一番うれしい賞なのです。

それ以降は、それほどうれしくもなかったなあ。

ではでは、年に二度の文学のお祭りはどんな夜だったのか。

ゆっくりとおたのしみください。



3度目の夜に    石田衣良



銀座一丁目の地下にあるバーで、担当編集者とテーブルをかこんでいた。

その店はここ最近の芥川・直木賞の選考待ちで3連勝しているという縁起のいい場所だった。明かりは暗く、内装の木材は落ち着いた濃色で、ぼくたちのほかに客はいなかった。

無理もない。選考会が始まる5時から、この会は始まっているのだ。

テーブルには近くの鮨屋から届いた握りの桶とノンアルコールのフルーツカクテルが見える。ぼくはお酒がすぐに顔にでるので、記者会見にそなえ控えていた。編集者は思いおもいにワインやビールをのんでいる。

「石田さん、遅いからドキドキしましたよ」

今回候補にあげられた作品は『4TEEN』。以前は3時間ほど待たされたうえ、受賞作なしという肩透かしの結果だった。ぼくはゆっくりと支度をして、自宅をでていた。ジーンズに白いシャツ、ジャケットは淡いブルーだ。候補作の爽やかなトーンにあわせた服装だ。

バーに着いたのは6時半近く。それでも普通なら、まだ90分ほどの待機がある。

マンゴーのカクテルはきりりと冷たく、くどい甘さを感じなかった。

直木賞の選考待ちというのは独特の雰囲気がある。編集者は神経質に期待しながら待ち、作家は腫れものにふれるようにあつかわれる。さいわいぼくは心臓が強いのか、さして緊張しなかった。

「石田さんはあまり変わらないですよね」

「うん、これまでの受賞者を見てるから。何度か候補にあがるような実力を認められた人は、あとで必ず受賞してるよ。ぼくも今回かはわからないけど、そのうち必ずもらえると思う」

今思えば生意気だが、さらりとそんなことを口にした覚えがある。ぼくはデビュー5年目、10冊目の本だった。作品はつぎつぎと映像化の引きあいがきて、好きなものを好きなように書いていた幸福な時期だ。

「直木賞の候補は何回目でしたっけ」

「3回目。最初が『娼年』で、つぎが池袋のパートIII。一番うれしかったのは最初のノミネートかな。好きなものを書き下ろしでといわれて、趣味で書いたような本だったから」

若い男性作家の恋愛小説は、そのころほとんどなかった。純愛ブームはすこしあとだ。その『娼年』は刊行から15年たって、今年舞台化され日本の3都市を興行してまわる。連日立ち観がでる盛況だそうだ。先週、フランス語版も届いた。男の裸の肩に女の手がおかれたカバー写真だった。

「石田さんのときは緊張しなくていいですね」

なじみの編集者がいう。文学賞の待ち会の雰囲気はさまざまで、ときにひどく深刻なこともあるのだとか。そこからはいつもの雑談になった。話題になっている本の話、新人の有望株の話、ちょっと社会性に問題がある有名作家の話。ぼくが小説家になってよかったと思うのは、堂々と仕事だという顔をして、延々と好きな本の話ができることなのだ。子どものころからずっとひとりで読んできて、感想をいう機会がなかったのである。

カウンターの奥で店の電話が鳴った。テーブルをかこむ面々に緊張が走る。マスターが子機を手にとった。刑事部屋に事件の最初の一報がはいったようだった。みなこわばった顔で、マスターの手にある子機を見つめている。

「すみません、常連さんからの予約の電話でした」

誰かが小声でいった。

「まぎらわしい電話かけてくんなよ」

別な編集者が空気を換えるために口を開いた。

「石田さんはまだ月島に住んでるんですか」

「いや、今は池袋駅から歩いて10分くらいのとこ」

『4TEEN』を書き始めたころは月島に住んでいた。それでなんの考えもなく、その街を舞台に少年たちの連作をスタートさせたのである。その短篇集がまとまったころ、気がつけば池袋住まいになっていた。不動産の衝動買いは怖いなあ。

今考えても新居はなかなかいいマンションだった。地下1階と地上1階のメゾネットで、ぼくの仕事部屋は16畳ほどあり、専用テラスもついている。子どもがちいさかったが、どんどんと床を踏み鳴らしても階下に気兼ねすることはない。

つぎに電話が鳴ったのは、十五分ほどして。時計を見ると、ぼくが到着してから一時間もたっていない。またかという雰囲気が流れた。ところがマスターは子機を受けると、両手でうやうやしくかかげ、カウンターからでてくる。

「石田さん、お電話です」

ぼくは中腰で受けとった。最初のひと言が肝心だ。日本文学振興会の…と始まれば受賞。文藝春秋の…ならば落選。作家の心理的な負担を軽減するために、そんな暗号じみた習わしがあるという。みんなが電話をもつぼくに注目していた。

「石田さんでいらっしゃいますか。日本文学振興会の…」



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