倒産危機から奇跡の復活!~メガネ業界の風雲児、不死鳥伝説/オンデーズ/読んで分かる「カンブリア宮殿」



高品質でお値打ち価格~いま話題のメガネチェーン

東京・立川市にある「ららぽーと」立川立飛店のオンデーズ。店内は子どもから若者、そして年配の方まで幅広い層のお客で賑わっている。

オンデーズ、人気の理由・1は「圧倒的な品揃え」。自社開発したオリジナルのフレームが1500種類以上もある。

グニャっと曲がるフレームは「AIR Ultem(エール・ウルテム)」というシリーズ。ウルテム樹脂という飛行機の部品にも使われる超軽量素材でできており、重さはわずか9.4グラムだ。女性人気ナンバー1のプライベートブランドは「Graph Belle(グラフ・ベレ)」。シックなデザインが、大人の女性に支持されている。花模様が施されているのは「Junni(ジュニ)」という子ども向けのブランドだ。

オンデーズには、ターゲットやコンセプトに沿ったプライベートブランドが23種類もあるのだ。

人気の理由・2は「お値打ち価格」。最も安いメガネはレンズ代込みで4980円。「エール」も8980円からとなっている。

また、どんな度数のレンズでも追加料金はかからない。度数が上がればレンズはその分、厚くなる。それでもレンズは薄い物にしたい。その場合、他店では一般的に追加料金が発生する。しかし、オンデーズではそれが一切かからないのだ。

「千一作」は、メガネ作りの本場、福井県・鯖江の職人による手作りだ。今では珍しいセルロイド製で、「相場は3万~5万円」のところ、これも1万3980円から。

人気の理由・3は「プロの丁寧な検眼」。

客はフレームを選んだら視力測定に。検眼をする武田晃は加工検査技士という肩書を持つ。オンデーズでは、検眼やメガネを加工するスタッフに社内資格を設けている。資格を取るには、100項目以上のテストにパスし、最低480時間以上の実務経験が必要だ。的確な検眼が客の安心感を生む。

続いてレンズ加工。コンピューターでフレームの形を読み取り、レンズを形に削っていく。作業はほんの1分ほど。検眼から最短20分で受け取り可能。この早さも魅力だ。

オンデーズはアフターサービスも充実。買ってから1年以内なら、2回までレンズを交換できる。さらに、購入後1ヶ月以内なら、どんな理由でも全額返金してくれるなど、アフターケアは10項目にも及ぶ。

目指すは1000店舗~急成長の原動力

オンデーズの本社は東京・品川区のタワービルの高層階にある。創業は1989年で、従業員はおよそ2200人。

社員の憩いの場で、社長の田中修治(41)が、イギリス発のジェンガというゲームに興じていた。

「遊ぶ目的は特にないです。仕事も遊びも線引きをしてないので。仕事も遊びだし、遊びも仕事だし」(田中)

2008年、田中は30歳の若さで倒産寸前だったオンデーズを買収。大改革を行い、奇跡の復活を成し遂げた。

メガネ業界は、大手老舗系と新興のロープライス系がしのぎを削り、戦国時代と言われている。近年、業界全体の売り上げは頭打ち状態。そんな中でオンデーズは、10年連続で売り上げアップを続け、いまや年商180億円に達する。

その原動力のひとつが商品開発力にある。「千一作」のデザインを担当する稲田豊は、作るのが難しいと言われるセルロイド製の細いフレームを開発したいという。

メガネの聖地と言われる福井県鯖江市。「千一作」を作っている工房、吉洋眼鏡の責任者は、職人歴25年の吉田郁夫さんだ。稲田は工房を訪ねると、早速、新モデルについて相談。そのサンプル作りのため、吉田さんが匠の技で、限界まで細く削っていく。セルロイドなのに繊細。デザイナーの想いは職人魂にも火をつける。

「逆にこっちもいろんなことを経験させてもらえる」(吉田さん)

この工房で作るメガネの8割はオンデーズから受注している。大量生産が可能になり、経営が安定するようになった。一方、オンデーズもいい商品を安く仕入れることができる。

成長を続けるオンデーズは現在。国内に128店舗、海外に182店舗を展開している。

6月、沖縄県浦添市に沖縄最大級のショッピングモール「サンエー浦添西海岸パルコシティ」がオープンした。そこにはオンデーズも入っている。いまオンデーズは、週に1店舗のハイペースで出店攻勢をかけており、ここがちょうど300店舗目となる。

田中は新店のオープンには、必ず足を運び、接客などをバックアップするという。

「とりあえず1000店舗はやろうと言っていて、日本だけではなくてアジア全域で、メガネというジャンルを代表するようなブランドになりたい」(田中)



借金地獄に無謀な買収~若き経営者の破天荒伝説

1977年、自営業を営む家庭に生まれた田中の将来の夢は、金持ちになることだった。高校卒業後、就職はせず、何でも請け負う便利屋に。以降、マンガ喫茶や携帯ショップ、居酒屋などの経営に手を出すが、どれもうまくいかず、20代半ばで借金が2億8000万円まで膨れ上がった。

「返すか破産するしかなくて、親戚とかに保証人になってもらっているから、結構、追い詰められていました」(田中)

自己破産の選択肢もちらつくなか、思わぬ追い風が吹く。ITバブルだ。2004年、ウェブページの制作会社を立ち上げるとこれが大ヒット。3億円近い借金をわずか4年で返済した。

ある日、田中は知人から、オンデーズの買収先を探してほしいと頼まれる。オンデーズは1989年創業の安売りメガネチェーン。当時50店舗を構え年商20億円。だが、14億円もの負債を抱えていた。「引受先を見つけて紹介して、その手数料を稼ごうかなと首を突っ込んで……」という田中は、再建プランを作り、買収先を探して回った。だが、倒産寸前の会社を買収する者などどこにもいなかった。

「天の邪鬼なので、否定されると、こうやったら再生できるという仮説を自分で検証してみたくなっちゃって」(田中)

2008年、田中は3000万円でオンデーズを買収。社長に就任する。

数日後、その社内に新社長として現れたのは、バスケットシューズに破れたジーンズをはいた茶髪の若者だった。得体のしれない若者への拒否感からか、古参の社員は次々と会社を離れていった。さらに14億円の返済のめども立たず、借金は膨れ上がる一方だった。

再生のため田中と一緒に乗り込んできた、元銀行マンで財務経理統括の奥野良孝は「毎月の銀行への返済が少ないときで8000万円、多いときは1億2000万円あるんです。倒産してしまうという状況でした」と、当時を振り返る。

何か打開策はないのか。田中は軽自動車で全国50店舗を周り、聞き取り調査を行った。すると社員からは、残業代が出ない、上司がサボっているなど不平不満が噴出。そして驚愕の話を耳にする。

「『もう10本目です』とか『今月3本目です』とか、『メガネを自腹で買ってでも売り上げを上げろ』ということをやっていました。社員が自腹で買うなんて論外です」(田中)

しかも、社員が買わされていたのは、質が悪い中国製の売れ残りばかりだった。田中は「社員が自分で買いたくなるような商品を作ろう」と決意。展示会に足を運び、売れるメガネのヒントを集めた。

そこである運命的な出会いをする。どんなに曲げても壊れない驚きのフレームだ。

さっそく田中は鯖江に向かう。そのフレームを作っている会社を訪ね、自ら考えた企画書やデザイン案を持ち込んで、取引を頼んだ。しかし、単価は1500円という相場の半額。渋い顔の先方からは、最低10万本からの発注を要求された。 

通常の3倍は売らなければならないが、田中はその条件を受け入れた。こうして生まれたのが「エール」だ。値段は1万円以下に抑えて販売。店頭で実演すると、驚いたお客が次々と買っていき、半年で10万本を売り切った。なにより、以前はノルマのために買わされていた社員が、自ら進んで買うようになった。

以降、個性的なプライベートブランドを次々と発表し、ヒットを連発。8年がかりで借金を完済。奇跡の復活をとげたのだ。



東日本大震災が転機に~「関わる人を豊かにしたい」

2011年、東日本大震災。震災から5日後、田中は社員とともに避難所に駆けつけた。メガネを無料で作るボランティア活動を行っていた田中たちに、ひとりの女性が貴重な食料を差し入れにきた。「あなたたちのメガネに助けられたんだから」と言う。

震災で家族と離れ離れになってしまった山上タエさん(仮名)。安否がわからないまま、一人で避難所にいた。壁には、亡くなった方や、他の避難所に避難している人の名簿が張り出されていた。だが、山上さんはメガネをなくしてしまったため、小さな文字が読めない。そこへ田中たちがやってきて、メガネを無料で作ってくれたのだ。

メガネを受け取り、さっそく別の避難所にいる人の名簿の前へ行き、恐る恐る見てみると、そこには山上の名前が4つあった。家族は全員無事だった。

「自分たちが作ったメガネで見えることで救われる人たちを目の当たりにして、感謝されたときに、意外といい仕事をしているんだな、と。初めて知ったんです」(田中)

これを機に、田中は「オンデーズに関わる全ての人を豊かにしたい」という理念を掲げるようになる。今やその想いは世界に広まっている。ネパールから届いたビデオレターには、感謝のメッセージが録画されていた。オンデーズは毎年、アジアの途上国を訪れ、メガネを買えない人たちのために無償で作っているのだ。



社員投票で上司を決める~オンデーズ恒例の総選挙

オンデーズには、管理職を社員の投票で決める選挙制度がある。この日、東京・江東区の「新木場スタジオコースト」行われていたのは部長を決める総選挙。ステージに立った立候補者は政策ならぬビジョンをアピールする。

全国から選ばれた300人が投票。その場で1位から結果が発表される。自分が上司を選ぶから、会場は大いに盛り上がる。参加者のひとりは「投票権があると人事に対して当事者意識も出るので、会社に参加している気分が出て楽しいです」と言う。

「(上司の)誰かが決める方が危ないんです。その人の恣意的な感情で物事が決まっていくと、結果的にその人に向かった仕事をしていくから。仕組みで最適な人がはじき出されるなら、それが1番正しいと思っています」(田中)

オンデーズの新たな試み~盲導犬育成プロジェクト

川崎市のショッピングモール「川崎ダイス」にあるオンデーズの店舗ではこの日、視覚障害者の碇谷順子さんと盲導犬を招いていた。これは視覚障害者への接客の講習会。安心して店内を歩いてもらうには「ヒジを貸すこと」などを学ぶ。

この春からオンデーズは、盲導犬の育成を支援するプロジェクトを始めた。現在、盲導犬は必要な数の3分の1しか育っていない。育成するには数百万円の費用がかかるという。それをオンデーズがサポート。店舗の募金箱や売り上げの一部を寄付する。

店には視覚障害者も来ることがある。まばたきが少なく、目が紫外線の影響を受けやすいため、サングラスは必需品なのだという。

「安心できます。自由にお店に来て、楽しくお買い物がしやすくなるんだなと思います」(碇谷さん)



~村上龍の編集後記~

オンデーズにたどり着くまでの田中さんの人生は「落ち着きのない」ものだった。将来を考えない、いい加減なものに見える。そして実際に「いい加減」だった。

26歳で3億円の借金を背負い、30歳で負債額14億の会社を引き受ける。だが再生策は極めてオーソドックスだった。現場に通い、従業員の意識を変えていき、サービスの質を上げ、海外に事業展開する。たぶん、じっとしていられない性格なのだろう。

しかし、「関わる人を豊かに」、考え方は普遍的で慎重に言葉を選ぶ。そしてなぜか、常にビジネスの本質をとらえる。

<出演者略歴>

田中修治(たなか・しゅうじ)1977年、埼玉県生まれ。1990年、高校卒業後、便利屋に。マンガ喫茶、携帯電話ショップ、居酒屋などを経営。2008年、オンデーズを買収、社長に。

(2019年8月8日にテレビ東京系列で放送した「カンブリア宮殿」を基に構成)