崖っぷち下請け企業の大逆転劇/松山油脂/読んで分かる「カンブリア宮殿」

「ナチュラルローソン」の知られざるロングセラー

創業21年になる赤い看板の「ナチュラルローソン」。女性客を意識した他のコンビニとは違う品ぞろえが売りだ。

健康志向の女性に愛され続ける商品には、2005年販売開始の「あずき美人茶」(184円)や、売り上げ個数1位を誇る2003年販売開始の「あんこギッフェリ」などがあるが、その上をいくロングセラー第1位はスキンケア用品。Mの文字が目印の「Mマークシリーズ」という商品だ。

シリーズ一番人気は「柚子ボディローション」(1540円)。本物の柚子の香りと使い心地の良さが口コミで広がり、年間120万本が売れている。

「『ナチュラルローソン』は2001年7月にスタートしましたが、創業当時からのお付き合いになります」と言うのは「ローソン」商品本部・平戸滋子さん。

「実は私は担当する前から愛用しておりまして、お顔周りの保湿にすごく役立つ強い味方だと思います」(平戸さん)

女性たちの信頼を集める商品をつくった松山油脂。ひと昔前は、大手メーカーに石鹸を卸す廃業寸前の下請け企業だった。そんな危機的状況を一人の男が劇的に変えた。下請け時代は4億円だった売り上げを20倍に伸ばしてみせたのだ。

その手腕は女性たちの人気を集める他の企業からも認められている。

「請負業から打って出ることを実践して成功している。見事という感じ」(「スープストックトーキョー」を運営する「スマイルズ」遠山正道社長)

「クールなのに、見えないところで歯を食いしばっている。反骨精神のようなものが僕は大好きです」(「ディーン&デルーカ」を運営する「ウェルカム」横川正紀代表)

そんな松山油脂社長、松山剛己(58)は強い意志で下請けから脱却、自社ブランドをつくり上げた。今では「ナチュラルローソン」だけでなく、「ロフト」や「東急ハンズ」など取引先を大きく拡大させている。

「下請けというのは自分で多くのことを決められない。価格も、どうやって作るかも決められない。下請けではないやり方で仕事をしていきたい、と」(松山)



こだわり石鹸が売れる秘密~実直すぎるものづくり

躍進の秘密1「実直さが伝わる製法」

松山油脂は東京・墨田区にある。一帯は戦前から「石鹸の町」として知られ、現在も「花王」や「ライオン」など八つの石鹸を作る会社が集まっている。松山油脂は墨田工場で長年、大手に卸す石鹸を作っていたが、1995年、自社ブランド「Mマークシリーズ」を立ち上げ転身を図った。

その製造現場では驚くほど実直な方法が取られている。石鹸作りに使うのは直径2メートルほどの釜。今では珍しくなった、昔ながらの釜焚き製法だ。じっくり100時間、釜で焚いていくと天然の保湿成分、グリセリンが石鹸に残る。

「天然の保湿成分を残して低刺激の石鹸にするためには、工程上どうしても100時間かかってしまいます」(生産部・森元陽平)

こだわりのやり方はここから。できた石鹸の液体を時間をかけて固めていく。一般的には冷風をかけて数時間で固めるが、松山油脂は3週間じっくりと待つ。効率の悪い作り方で肌に優しい石鹸を作り続けているのだ。

商品パッケージにも工夫を凝らした。細かい文字でビッシリ書かれているのは「厳選した天然油脂を昔ながらの釜焚き製法で丹念に焚き上げ、百時間かけてつくった石けんです」。

「無名のブランドだったので、POPがなくても商品だけで特徴が分かるように、どんなものを使ってどんなふうに作っているかを書いてあります」(松山)

躍進の秘密2「原料も自社で作る」

徳島・佐那河内村。人口2300人ほどの小さな村だが、松山は去年、4億8000万円を投じて「山神果樹薬草園」を作った。栽培しているのは柚子やスダチ、カボスと言った和柑橘と呼ばれる果実。「柚子ボディローション」は本物の柚子で作っているのだ。

収穫した柚子は皮を剥き遠心分離機にかける。するとチョロチョロと出てきたのが柚子の精油。皮の中から油だけを取り出して使うのだ。国産柚子の精油は非常に貴重だという。

「1つの果実から少量しかとれないので、1キロ6万円ぐらいします」(生産部・染谷学)

大手でもない石鹸メーカーがなぜ原料から作るのか。

「僕たちは石鹸を、天然の原料を自然からいただいてその良さを生かして作る。自分たちで責任を持って作る方が、原料を買って配合するよりもお客さまは喜んでくれる時代になったのだと思います」(松山)

合成の香料のほうが香りが強く、コストも大きく下げられるが、自然志向を貫いている。

躍進の秘密3「絶妙なブランディング」

東京・台東区の商業施設「パルコヤ上野」に女性に評判の店がある。「マークスアンドウェブ」パルコヤ上野ショップ。石鹸から入浴剤まで揃ったスキンケア用品を販売する。松山の作った別ブランドの店で、自社ブランドの直営店を作り、販売まで始めたのだ。ファンを増やし、直営店は今や全国に79店舗。売り上げは「Mマークシリーズ」を超える。

常連客の多くも、どこに国のブランドか知らないようだ。実際、そのパッケージは横文字だらけでよく分からない。説明つきの「Mマークシリーズ」とは真逆だ。

「海外ブランドのようだけど、実はメード・イン・ジャパン。そういうギャップは口コミで広がりやすいという意図はあります」(松山)

松山は「マークスアンドウェブ」以外にもさまざまなブランドを展開。1995年からその売り上げは右肩上がりで、去年は過去最高の92億円に達した。



社長の予想外の半生~廃業寸前からの大逆転劇

1964年、松山油脂の社長の息子として生まれた松山。学校は中学受験で慶応へ。まさにシティボーイの道を歩んできた。大学時代は出版社の「マガジンハウス」でアルバイト。当時、若者に大人気だった「ポパイ」の編集部で雑用を引き受けていたのだが、「ある時、モデルの方が遅刻して、僕が代わりに撮影をしたことがあって、照明のテストのつもりで立ったんです」(松山)。

雑誌が発売されると、なんと自分が表紙になっていた。

「東横線の日吉に通っていたのですが、電車の中吊りに僕が表紙の広告が並んでいた。合計3回表紙を飾って、当時はいいお金をいただけた。いいアルバイトでした」(松山)

モデル役もこなす編集アルバイターとなり、青春時代を謳歌した。大学を卒業すると大手広告代理店の博報堂に入社。そして4年後には大手商社・三菱商事に転職。人もうらやむ「エリート街道一直線」に見えるが、本人にとっては苦い経験だった。

「博報堂では、感性と行動力には自信があって仕事をしてきたのですが、三菱商事ではそれがまったく通用せず、先輩には『お前は1円も儲けてない』と言われました」(松山)

それでもなんとか仕事に食らいつき、4年が経ったある日、4代目社長の父・光から電話があり、「家業を畳むつもりだ」と伝えられた。

80年代以降、取引先の大手メーカーは生産拠点を賃金の安い海外に移し、松山油脂の仕事は激減。廃業寸前まで追い込まれていた。

年が明けた正月、実家に戻った松山が父親に「家業に戻ってやってもいい」と言うと、「町工場を舐めてると、とんでもない事になるぞ。そんな甘い気持ちで戻ってくるなんて言うな」と叱られた。しかし「それでもやりたい」と1年後、30歳で松山油脂に入社した。

「三菱商事の4年間は全く通用しなかったので、逃げ帰るような気持ちで家業に帰りました。家業で頑張る以外、自分にはないな、と(松山)

最初の1年間、父親は釜場に入って石鹸を作るよう命じた。

「油のにおいと湿気で、夏は暑くて昼食も喉を通らない」(松山)

こんな環境に身を置きながら、松山は自社ブランドを作ることを決意する。

今まで下請けで作ってきた商品をベースに自社商品を開発。1995年、それを持って自ら営業へ回る。それも「ロフト」や「東急ハンズ」「ナチュラルハウス」に絞り、本社ではなく店舗に向かった。ターゲットは売り場にいる女性販売員だった。

「知人のツテを使うこともできましたが、商品には自信があったし、商品を使って評価していただくのは女性だと思った。女性が店頭にいるのであれば、その人にまず気に入っていただく。その方はお客さまの代理人に僕には見えたんです」(松山)

格好はTシャツに短パン。しかも自分の子供を連れていった。そして売り場で買い物のついでを装い、「実は僕、石鹸を作ってまして、よかったら使ってみて下さい」と、用意してきた試供品にメモを添えて、売り場の女性販売員に渡したのだ。

書いておいたのは「天然の保湿成分が入っているので顔を洗ってもつっぱりません」。こうしてさり気なく試供品を渡し続けた。すると営業4回目、販売員に「すごくよかったからバイヤーに試供品、渡しておいた」と言われる。ついに試供品がバイヤーに届いたのだ。

数日後、当時の「ロフト」のバイヤーのトップだった安藤公基現社長から電話が入った。松山の石鹸が気に入り、取引したいと連絡してきてくれたのだ。

1995年10月、渋谷の「ロフト」に松山の石鹸が並んだ。「東急ハンズ」「ナチュラルハウス」も販売を始め、これが引き金となり、取引先は一気に拡大していった。

安藤さんはその時のことを今でもはっきり覚えていた。

「自分としてもすごく気に入りましたし、間違いなく石鹸の新定番商品になるとピンときました」(安藤さん)

特に印象的だったのが商談の席での松山という人間だったと言う。

「話していると熱量がすごいんです。自社ブランドを立ち上げて、必ず成功させるという強い意気込みがひしひしと感じられて、刺激的な商談でした」(安藤さん)



銀座で新名物?~極上!大人のジュース

松山がこれまでとはまったく違う商品を作った。

去年11月に東京・銀座にオープンしたワインの専門店「ヴィノスやまざき」では、蔵元から直輸入した厳選したワインを販売している。

そのフロアの一角にちょっと毛色の違う商品が並んでいた。松山の作った新商品「丸ごと皮削り国産柚子と伊予柑のジュース」(1134円~)だ。

「柚子ボディローション」を作る時に使うのは皮だけ。柚子の果実は丸々残る。それを絞って果汁を取り出したのだ。さらに別の商品で使う伊予柑からも同じように果汁を絞り、これをミックスしただけの贅沢な柑橘100%ジュースなのだ。

石鹸の下請け工場だった会社はまったく違う道を歩みだしている。

※価格は放送時の金額です。



~村上龍の編集後記~ 

自社ブランド名は横文字だが、会社名は松山油脂だ。最初は「Mマークシリーズ」だった。ロフト、東急ハンズ、ナチュラルハウスに絞って、たった一人で営業した。フロアスタッフと顔馴染みになり、やがて担当のバイヤーを紹介してもらった。それは非常手段だったが、実は営業の王道ではないだろうか。「釜焚き製法」の製品には自信がある。バイヤーに見せられたら勝ちだ。松山さんはそうやって勝ちを得ていった。売上高を20倍にしたが、単なる通過点だろう。

<出演者略歴>

松山剛己(まつやま・つよし)1964年、東京生まれ。1986年、慶應義塾大学経済学部卒業後、博報堂入社。1990年、三菱商事入社。1994年、松山油脂合名会社入社。2000年、マークスアンドウェブ設立、代表取締役就任。2002年、松山油脂合名会社代表取締役就任。

(2022年2月10日にテレビ東京系列で放送した「カンブリア宮殿」を基に構成)