消費者が欲しいものは消費者自身で作る!安心&絶品、「生活クラブ」の全貌/読んで分かる「カンブリア宮殿」

料理が激変する食材&調味料~美味安心を徹底する異色の生協

首都圏で40店舗を構える「デポー」。混雑する店内はちょっと小振りなスーパーのよう。並んでいるのはあまり見たことのないような商品ばかり。扱う商品の9割以上がここだけのオリジナル品だという。

圧倒的な人気を誇るビン入りの「パスチャライズド牛乳」(900ml、253円)。本来の甘みを損なわないよう通常より低温で殺菌したもの。さらに「牧場で飲む生乳に最も近いと言われるノンホモ牛乳。脂肪分を均質化してないんです」(マネージャー・渡邉絵里)と言う。できる限り加工していないのがおいしさの秘密。表面が生クリーム状に固まるのがその証拠だ。

気になる値段は、通常よりかなり高めのものもあれば、有名なブランド豚・平田牧場の三元豚は、直販店より3割以上も安く売られている。

「デポー」を運営しているのは、生活クラブという生協のひとつだ。様々な団体が存在する生協。広域のものから地域のものまで大小様々あるが、生活クラブは首都圏を中心に拡大する注目の生協なのだ。その組合員数は年々増え続け、今や38万人を超えた。

人気を支えるのが圧倒的なおいしさ。でもその裏には驚くべき事実があった。

生活クラブの依頼でケチャップを作っているのは愛知県犬山市の「コーミ」。決定的な違いが原料だ。大手のケチャップが海外産を原料とする中、生活クラブは全てが国産の完熟トマトなのだ。しかしメーカーは一苦労だったという。

「苦労しました。受けた当初はあまりにも要求が多いので、お断りしたほどです。生活クラブには、ああしちゃいけない、こうしちゃいけないというのがあり、ひいては原料のトマト栽培についても、『農薬はここまで』などの基準があり、それをクリアしなければいけないんです」(牧戸正博常務)

生活クラブでは厳格な自主基準をパスした商品しか扱わないのが決まり。農薬の使用からパッケージの材質まで、実に500項目を超える厳しい基準がもうけられている。日本一とも言われる扱う商品への厳しい基準が、客を掴んで離さないのだ。

原材料からパッケージまで~商品は自分たちで開発する

他の生協同様、エリアによっては宅配でも届けてくれる生活クラブだが、他と決定的に違うことがもうひとつある。商品を開発しているのは組合員自身なのだ。

「ジューシーパリ旨ポークウインナー」を手にした組合員の山口典子さんは「ネーミングもパッケージデザインも全部自分たちで決めました。自信作です」と言う。

商品開発のきっかけは既存の商品への不安だったという。

「加工肉は加工されて空気に触れるため、いろいろな添加物が入っています。保存料の一種だったり、発色剤だったり。中には、添加物が何も書いてないけれど、『この味はどうなんだろう?』という商品もあって、みんなで不思議に思って、メーカーに電話をかけても、『入っていません』とおっしゃる。それ以上は追及できなかったんです」(山口さん)

商品に不安があっても真実を知ることができない。それが自分たちで商品開発をする原点だった。

東京都東村山市の東村山センター。この日、生活クラブのメンバーが集まって行なっていたのは、独自開発したヨーグルトの改良会議だった。エリアごとに選ばれた組合員がチームを組み、市販品の調査から製造を依頼するメーカーとの価格交渉まで行うという。

組合員の小寺浩子さんは「やはり自分たちが食べるものは自分たちで選ぶ。どんなものを作っていきたいかというのを実現できるので、組合員の意見を集めてできた商品は、すごく愛着が湧きます」と言う。

依頼するメーカーには何度も訪ねて、試食を繰り返し、その製造現場に問題がないかまで自分たちでチェックを行う。生活クラブは、安心でおいしい商品を消費者自身が参加して作り上げる今までにない集団だ。

生活クラブ設立のメンバーで、生活クラブ連合会顧問の河野栄次(71)は、生活クラブの商品を、あえて企業が作る「商品」と区別して「消費材」と呼んでいる。

「商品というのは売って利益を上げるということになる。そうすると原材料がどうかより、コスト的に儲かるほうがいい。僕らは商売をしているのではない。組合員と共同で生活に必要な材を作るという意味を込めての消費材なんです」

そこにいるのは、自ら行動する自立した消費者だ。

「組合員は『私たちが生活クラブを作っている』と思っています。私が作った豚、私が作った鶏、私が作ったケチャップ、なんです」(河野)

そんな生活クラブの組合員がひと際、誇らしげに思っている消費材が「丹精國鶏」。歯ごたえのあるジューシーな食感が自慢だが、この鶏は幻とも言える希少なものだという。

生活クラブから依頼されてその鶏を作っているのは山口市の秋川牧園。この鶏の最大の特徴は純国産の鶏という点にあるという。その名も「はりま」だ。

「ひいばあちゃん、ひいじいちゃんまでさかのぼっても、日本国内で完結しています」(秋川正社長)

日本は欧米からひな鳥を大量に輸入しており、日本で育つ鶏の98%はこの輸入した鶏から作られている。生活クラブが問題視するのは、輸入した鶏が海外でどのように育ったのかは調べようがないことだ。

そこで目を付けたのが、兵庫県たつの市の農場で開発された「はりま」だった。3世代以上にわたって国内で育てられている貴重な「はりま」。生活クラブは秋川さんと交渉を重ね、生産効率は決して良くない「はりま」を育ててもらうことで合意した。

「1羽から取れる鶏肉の量が『はりま』は外国鶏と比べると少ないので、さらに高くなってしまう。『本当に大丈夫ですか』と申し上げました。最終的に生活クラブが『やる』『組合員も望んでいる』と決断したので、全力でより良い飼い方をしよう、と」(秋川社長)

それは消費者と生産者の新たなタッグだった。

欲しいものは自分たちで~牛乳工場まで建設した主婦たち

東京都練馬区の北東京生活クラブ・練馬センターで、生活クラブが最も力を入れるイベントが開かれていた。集まった女性たちが下ごしらえをしている。切っていたのはプリプリのホタテの貝柱。鮭を大胆に切った「ちゃんちゃん焼き」も。「雄武町の海産物のおいしさを少しでもお伝えしたい」と言う女性たちは、北海道・雄武漁協の「浜のお母さん」。生活クラブに長年、ホタテや鮭を卸してきた縁から開かれた組合員との交流会だ。

生活クラブは毎日のように生産者との交流会を開いており、その数、実に年間2000回を超える。生産者に来てもらうだけではなく、組合員も自ら産地に足を運ぶ。

生産者の元へ誰よりも足を運んで来たのが河野だ。河野は長年、生産者と消費者をできる限り近づけたいと奔走してきた。

「自分の食料はどうやってできているのか、分かって食べたほうが面白いんです。ただ、今まで生産者はそんなことをやってこなかったから、僕らと出会うといつもぶつかる。必ず戸惑う。『なんでそこまで要求するのか』と言われるんです」(河野)

生活クラブの誕生は50年前、当時の家計を襲った牛乳価格の高騰がきっかけだった。これに対抗するため、1965年に世田谷区で始まった牛乳の共同購入が、生活クラブの始まりだ。安く仕入れ、通常の牛乳より3円安く売ることで組合員を増やしていった。

設立メンバーは、社会運動をしていた岩根邦雄・志津子夫妻と、まだ19歳だった河野の3人。それは従来の社会運動への絶望からだった。

「岩根さんはいろいろな運動をやっていたが、地域に根ざしてなかった。地域で持続的に運動するといったら、やはり地域に住む人たち、専業主婦の人たちです」(河野)

その主婦たちが河野を驚かせる。それが組合員の主婦を集めて行なった牛乳の勉強会。当初はサークル活動のようなものだったが、回を重ねるうちに「もっと自然の味のままの牛乳は飲めないの?」「殺菌の温度によって味は変わるんですか?」と、女性たちは驚くほど熱心により良い牛乳作りとは何か追求し始めたのだ。

「僕らよりはるかに食べ物について考える人が出てきた。びっくりです」(河野)

そんな女性たちがとんでもない行動に打って出る。栃木県那須塩原市に1979年、酪農家と手を組んだ自前の牛乳工場を建設したのだ。そして、製造や物流など、メーカーの都合を優先させた牛乳と決別し、自分たちの考える、飲みたい牛乳を作り始めた。

新生酪農の麻生一夫専務は「たまげたなんていうものではないです。あの情熱。組合員の方には頭が下がります」と振り返った。

生活クラブの組合員が次に取り組んだのが豚肉だった。それは噂を聞きつけ見学に訪れた山形県酒田市の畜産農家でのこと。「養豚場は臭くて汚いものだと思っていたのが、すごく管理されていたんです。そうしたら『あの豚肉が食べたい』となった」(河野)。それが、今や高級ブランド豚として知られる平田牧場だった。

当時は無名だったが、組合員はその素晴らしい豚作りに魅了される。そして価格が高かった平田牧場の豚を、組合員はあり得ないような買い方を考え、安く手に入れる。ロースやバラなど欲しい部位だけを買うのではなく、腕の肉やホルモンなども全て、一頭丸ごと買付けることにしたのだ。組合員たちの行動力は河野の予想をはるかに超えるものだった。

「『部位のバランスがある』と何度言っても『やりたい』と。『消化できますか』と話したら『できる』と。組合員が僕らを越えて『自分たちで決める』と宣言したようなものでした」(河野)

そんな女性たちの格闘が新たな常識を生み出していく。今や当たり前の成分無調整牛乳が生活クラブが最初なら、お米に、何年にどこで採れ、いつ精米したかを表示し始めたのも、生活クラブが最初だ。さらに卵には賞味期限だけでなく採卵日を掲示している。

女性たちが自らおいしさと安心を求め続け、そして社会を変えたのだ。

起業する女性たち&生産者との新しい関係~生協異端児の神髄

八王子の周辺で高齢者に人気の宅配弁当がある。食事サービス「加多厨」。1食720円とやや高めだが、おいしいと評判になっている。

その調理場を覗くと、それぞれの弁当には名札が。よく見ると、どの札にもその人の好き嫌いに関する情報が書かれている。魚が苦手な人には、たった1人分でも肉を焼き、煮物の総菜も注文によって細かく刻んでくれる。大手にはマネのできないきめ細かいサービスが高齢者の心をつかんでいるのだ。

「手はかかりますが、なるべくご要望に応えるということでやっています」と言うのは、生活クラブ組合員の石井信子さん。だが、この宅配弁当は生活クラブが展開しているのではない。経営するのは、組合員たち自身なのだ。やはり組合員の渡辺純子さんは、「もっと自分の存在意義というか、地域で『自分たちはこんなことを考えている』と示せる事業をしたいと思った」と語る。

生活クラブ組合員の中には自ら起業する女性が多い。横浜市の女性たちはパン屋さんの開業準備の真っただ中。「4月6日にオープンするので試作品を作っている」と言うのは、代表の和気千愛さんら組合員6人。この6人全員が経営者だ。

生活クラブはそんな女性たちの起業を後押ししている。組合員は様々な消費材の開発に関わる中、自ら社会に役立てるもの作りをしてみたくなるのだという。

「ぜひいろいろな生産者の方とつながって、その思いを伝えながら、私たちのパンを伝えていきたいと思います」(和気さん)

現在までに生活クラブの組合員が始めた事業は600以上。牛乳の共同購入から始まった女性たちの自立は、今も広がりつづけている。

太平洋に面する岩手県の重茂漁港。作業場で行われていたのは丁寧にわかめの筋を切り取る作業だ。重茂のわかめはこの海域の荒波で肉厚に育つのが特徴。生活クラブに長年、出荷してきたものだ。

そんな重茂の人々には、生活クラブに感謝してやまないことがある。7年前の震災で壊滅的被害を受けた重茂。いつもわかめを届けてくれる漁師の人々へと、生活クラブの組合員がカンパをしあい、漁船をプレゼントしたのだ。

「生活クラブは自分たちのことだけを考えず、生産者のことを考えてくれる。ありがたいです」(重茂漁協組合長・伊藤隆一さん)

そんな生活クラブと生産者の関係は早朝の栃木県でも見られた。組合員が作った那須塩原市の牛乳工場に原乳を納めている酪農家。朝の搾乳前に欠かせないのがタオルだ。できる限り雑菌が混入しないようにと、1頭につき1枚を使い、乳を拭いていく。

「この原乳があってこそ、パスチャライズド牛乳が、低温殺菌であっても安全安心な牛乳になるんです」(藤田与一さん)

これこそがおいしい牛乳の秘密なのだ。そして、そこで使われる膨大に必要なタオルは、牛乳工場に関わる全ての酪農家への、組合員からの心遣いだった。

「旅館に行ったときのものとか、いろいろなタオルがあります。そういう人が飲んでくれていると思うと、自信を持って出せるような牛乳を生産したいですね」(藤田さん)

~村上龍の編集後記~

ほぼ半世紀前、生活クラブは「食の安全」を確保する活動をはじめた。

思想を持つ社会運動というより、主婦、母親など、つまり女性たちの「直感」が原動力だったのだと思う。

そのあと「直感」は言葉を獲得し、やがて論理となっていく。

他人まかせにせず、自分たちで考え、行動することが「喜び」となり、徹底して疑わしいものは使わず、徹底して情報を公開してきた。

会員は約38万人に増えたが、組織としての単純な膨張を避け、「緊密なネットワーク」は健在だ。

生活クラブは、今もなお「自立の意味」を示し続けている。

<出演者略歴>

河野栄次(こうの・えいじ)1946年、東京生まれ。1965年、生活クラブ設立に参加。1989年、生活クラブ東京理事長兼専務理事。1999年、生活クラブ連合会会長就任。2006年、生活クラブ連合会顧問。