並んでも食べたい~行列のできる老舗レストラン
ランチタイム目前の、東京・品川駅前。その向い側にあるお店のオープンを待つ行列ができている。「ハンブルグ」で人気の店、「つばめグリル品川駅前店」。11時半に開店すると同時に、およそ200席の店内はほぼ埋め尽くされる。
名物「つばめ風ハンブルグステーキ」(1426円)ができたのは今から42年前。国産の合挽き肉を使ったハンバーグとビーフシチューの2大看板メニューを、アルミホイルで包むという斬新な発想から生まれた。

ホイルを破るワクワク感と一気に広がる香りで大ヒット商品に。多い日には1日8000食も売れるという。お得なランチセット(1490円)。付け合わせの「トマトのファルシーサラダ」は、トマトの中にサラダがギッシリ。
「牛肉とポテトの北欧風」「豚ロースのペッパーステーキ」……人気メニューは他にもいっぱいある。
つばめグリルは創業86年の老舗。お客にも歴史がある。20年前に初めてのデートで来店したという夫婦。親子三代で月に1回は来るという一家……客の多くは世代を超えて通い続けるロングリピーターだ。
愛され続ける一番の理由はもちろん味にある。
お昼時、キッチンでは注文が相次ぎ、ハンブルグを焼くのに大忙しだ。その横を見てみると、肉を挽いている。忙しいランチタイムではなく、前もってやっておけばいいのに、と思うのだが、品川駅前店調理長の秋葉眞也は、「肉が細かくなると、空気に触れる部分が大きくなる。そうすると劣化が早くなる。劣化が早くなると鮮度が早く落ちますので、できるだけギリギリに挽くようにしています」と言う。
どんなに忙しい時間でも、鮮度を保つため、4時間以内に提供できる分しか挽かない。一番美味しい状態で料理を出すために手間を惜しまないのが“つばめ流”だ。
しかも、肉を挽いた時間や量まで、お客に公開している。「挽きたて・合わせたて・焼きたて」にこだわる。これがうまさの秘密なのだ。
愛される味が生まれた理由~「正直経営」とは?
首都圏に24店舗、年商57億円のつばめグリル。ほぼ毎日、店舗を回り試食をしているという、株式会社つばめの3代目社長、石倉悠吉には、大切にしていることがある。それが「おいしさに正直であること」だ。
その象徴が、郊外ではなく、あえて都心に置いたセントラルキッチンだという。
ハンブルグに使う肉は、店でミンチにしやすいよう8センチ角にカット。毎日およそ800キロも仕込むが、これはつばめ全店で1日に使い切る分だけ。お客のうまいに正直に向き合うため一度も冷凍保存しない。
となりの部屋では、本場ドイツ仕込みのソーセージを手作りしている。これも、毎日使う量だけ仕込んで、客に作り立ての味を提供している。さらに塩漬けから熟成まで1ヶ月以上かかるベーコンも、一番美味しい状態でお客に提供するため、手作りしている。
こうして仕込まれた食材は、毎日配送されるが、実は24ある店はすべてセントラルキッチンからほぼ1時間圏内。美味しさを保つため、あえて出店エリアを絞っているのだ。
一方、店ではマヨネーズも手づくり。鮮度がおいしさに直結するから、作り置きはしない。脇役でもおいしさを保つために手を抜かない。これもすべて、客に最高の状態で料理を出すためなのだ。
ある日のオープン前。まだ客がいないのに、キッチンは料理づくりに大忙しだ。上がってきたのはその日に出される全てのメニュー。するとその料理を、スタッフたちが囲み食べ始めた。開店前の腹ごしらえと思いきや、なにやら真剣な表情で意見を言い合っている。
品川駅前店支配人の日向秀夫は「日々お肉も違いますし、下味も多少違ってくるので、試食は毎朝必ずやります」と言う。同じ食材でも日によって状態が違う。だから毎朝試食して、味のバラつきを抑えるという。
美味しさのために手間ひまを惜しまない。それに実直に取り組むのが、つばめグリルの「正直経営」なのだ。
「正直経営というのは、長続きの元だと思っております。正直にすることが、時代を超えていくことに繋がっていくんじゃないですか。お店を100店作るんだったら、100年続く店を作りたいと言っています」(石倉)
「正直経営」の原点は銀座にあり
東京・銀座の一等地に建つビル。その地下に「つばめグリル銀座コア店」がある。店の位置は変わったが、銀座に進出してちょうど70年を迎えた。
いまやお客の絶大な信頼を勝ち取っているつばめグリル。信頼の源となっている正直経営の原点が銀座にあると、石倉は言う。
老舗のカバン店「銀座タニザワ」。創業から142年続く、銀座でも指折りの老舗だ。実は石倉の正直経営は、タニザワの2代目・谷澤甲七さんのひと言がきっかけとなった。
そもそもつばめグリルは、石倉の祖父・常吉が1930年、新橋駅構内に開いた食堂が始まり。戦後まもなく、銀座1丁目に店を移転すると、復興から高度成長の時代、社用族や銀ブラ族に人気となり繁盛した。
しかし父・健吉の代、1960年代半ばになると、東京オリンピック後の不景気から、売り上げは落ち込んだ。
「大学卒業する時、サラリーマンになろうかと一瞬思ったんですけど、(父が)もう辞めると言い出して、辞めるんだったら『僕がやるわ』と」(石倉)
3代目を継いだ石倉は、店の建て直しに動き出した。まず、店の看板メニューを作ろうと、ハンバーグに目をつけた。
石倉は、忙しいランチタイムの調理の手間を省くことを考えた。効率化を図るため、ハンバーグの生地にウスターソースを練りこんで味付け。それを前日に焼いて作り置きし、
当日温め直せば済むようにしたのだ。
「ハンバーグにソースを練りこんじゃう。作りたてでそれを食べるとどうにもならないギョっとする味なんですけど、翌日食べる頃に合わせた濃さをつけてしまう。そうしたらそこそこヒットしました」(石倉)
客は入ったものの、味よりも効率を考えたごまかしの料理に、忸怩たる思いを抱いていた石倉。そんな時、転機が訪れる。それをもたらしたのがタニザワの甲七さんだった。
ある日、ランチを食べに来た甲七さんに、石倉は「どうしたらタニザワのような老舗になれるか」と聞いてみた。
すると甲七さんは、「銀座の旦那衆はお互いを知り尽くしている仲間なんだ。そんな仲間に恥ずかしくない、正直な商いをしようという思いが、銀座の老舗を支えてきたんだよ」。
それを聞いた石倉に衝撃が走った。自分は仲間に恥ずかしくない商売をしてきただろうか。以来、石倉はハンバーグの作り置きをやめ、手間はかかっても「挽きたて、合わせたて、焼き立て」の正直路線を追求。その集大成が、看板メニューのハンブルグステーキだったのだ。

旦那衆が守ってきた、老舗を生む商売の掟
今や名実ともに銀座の老舗となったつばめグリル。ある日、石倉が向かったのは老舗仲間の「三笠会館」だ。大正14年創業。谷善樹会長とは小学校から一緒だったという。その日は銀座で互いに切磋琢磨しあってきた老舗の主人たちの寄り合いが開かれていた。互いの台所事情まで知り尽くす関係性。それが銀座というブランドを築いてきた。
「銀座の商人として、道で会って『こんにちは』と言えるような関係になれば、おかしな商売はしない」(明治36年創業、「高橋洋服店」の高橋純社長)
「知り合いの方がたくさんいるので、恥ずかしい仕事はできないなっていうのはありますね」(昭和18年創業、「大香」の小仲正也専務)
仲間に恥ずかしくない商売。それが石倉の正直経営の原点だ。
「銀座に育てられたのではなく、他の環境だったら、もっといい加減だったかもしれないですね」(石倉)
正直経営と銀座。両者の関係について、スタジオでは村上龍があらためて尋ねている。
「銀座の店は堅実なんです」と言う石倉の答えはこうだった。
「私も仲間に入ってわかったのは、みなさん堅実で真面目、質素なんです。長続きするのはそういう部分があるからではないか。商品を見ていると派手に感じられるかもしれませんが、商品の本質には極めて手を抜かない。本質に手を抜かないと、ある程度コストはかかるので、どうしても比較すると高いと感じられるかもしれません。でも本質に手を抜かないのは、地に足がついているからできるのではないかと思います」
仕込みにも手を抜かない~セントラルキッチンの秘密
「本質に手を抜かない」つばめグリルのセントラルキッチンでは、各店舗のコックが交代で勤務している。
一般的にセントラルキッチンといえば、まるで工場のように機械を使って食材を仕込むイメージだが、つばめグリルでは、全ての工程にコックの手が入っている。
例えば、牛タンシチューのダシに使う野菜を炒める工程。鍋の重さ4キロ。これを料理人が振ることには、こんな意味がある。
「牛タンシチュー自体色がついてるので、それに会わせた焼き色を付けます。同じ色に合わせた方が素材とソースの調和がとれる。焼き過ぎると焦げの苦味が出るので、その手前にします」(キッチンスタッフの鹿野幸二郎)
充分火を通しながら、焦げる一歩手前の飴色にしていくのが、機械にはできない料理人の技だ。
あるいはハンブルグソースの具となる和牛バラ肉。1日に仕込む量は100キロにも及ぶが、かたまり一つ一つの状態を見ながら、焼き目をつける。
「表面をきつね色に焼けているか。4つの面を正しく焼けてないと、そこから旨味が逃げてしまう。焼き過ぎても表面が硬くなってしまいます」(セカンドチームの平子剛)
料理人がプロの技で食材を仕込む。だからここは工場ではなく、まさにキッチンそのものなのだ。
「料理に気持ちを込めるためには、機械化してしまうよりは、やはり人の手できちっと一からやった方が、自己満足かもしれないけど美味しさに繋がります」(大丸東京店調理長の中村哲夫)
さらに、つばめグリルが正直に向き合うのは、客だけではない。生産者と二人三脚で、いい食材づくりにも取り組んでいる。
つばめグリルでは、納入された牛一頭一頭の、大きさや味などの評価を生産者に伝え、次に生かしてもらっている。
より良い食材を作ってもらうために生産者とも正直に向き合う。この正直さが、80年を超えるつばめグリルの歴史を支えてきた。
料理人の意識改革~つばめ流人材教育
駅ナカグルメの大激戦区、東京駅。全国各地の名店が腕によりをかけた、自慢の弁当や惣菜がズラリと並ぶ。その一画につばめグリルも「つばめグリルDELI」を出している。
一番人気の弁当はやはり「ハンブルグステーキ弁当」(1030円)。旅のお供や、「家庭でもつばめグリルの味を」という人で、連日大賑わいだ。
総菜店という新業態に進出したつばめグリルだが、この店はコックを育成する場、という狙いもある。
今年、ここに配属された佐土原恒喜。それまではレストランのコックを務めていた。ここで働くようになって4ヵ月、佐土原の意識は大きく変わったという。たとえば、レストランではなかなか見ることのできなかった客の様子に気をとめるようになった。
「お客さんが笑顔だったり、『美味しそうだ』と言っているのが時々聞こえてくる。自分がやってきたことは間違いじゃなかったという実感が、お客さんからもらえるんです」
休憩時間に、ライバルの店舗を見て回るのも日課になったという。勉強のため、よその弁当も買ってみる。ここにきてから、料理人としての視野が広がったという。
「つばめグリルの看板だけじゃダメ。自分の料理の質を上げていかないとダメなんだなというのは感じます」
外を見ることで、自分の内側を見つめ直す。これがつばめグリルの人材教育だ。
~村上龍の編集後記~
九州から上京し、はじめて銀座に行ったとき、まったく馴染めなかった。よそよそしさを感じた。
だが、石倉さんの話を聞いてイメージが変わった。老舗経営者たちは、良い環境の中、礼儀を学び、努力を惜しまない。
銀座で成長した「つばめグリル」だが、その「嘘のないビジネス」という理念は、研鑽を経て本物の料理を生み、多くの客に愛されている。
「おいしさ」は、希少食材を使い、凝りに凝って提供されるものではない。素材へのリスペクトが感じられ、毎日食べても飽きないし、いつ食べても納得できる、それが、真の「おいしさ」である。
<出演者略歴>
石倉悠吉(いしくら・ゆうきち)1943年東京生まれ。1966年、慶應義塾大学卒業。1967年、銀座店を新装開店、実質的な店主となる。1982年、社長就任