熱烈ファン急増中~プロも認める、サクサクもっちりトースター
東京・神田で昭和46年から続く昔ながらの珈琲専門店「エース」。最近、こういう喫茶店はめっきり減ったが、ここは雑誌に取り上げられたり、インスタグラムに上げられたりと何かと話題になっていて、噂を聞きつけた女性客がわざわざやって来る。
お客を引き寄せているのは店の名物メニュー、マスター・清水英勝さん手作りの「のりトースト」。「中学校のときに母親が作ってくれた弁当が、ご飯とのり、ご飯とのりの二層になっていた。それがヒントになって誕生したんです」と言う。
「のりトースト」の作り方は、まず食パンに醤油をかけて有明産の海苔をサンドイッチ、そしてトースターヘ。このときトースターの上部に水を注ぐ。すると中は蒸気でいっぱいに。最後にバターを効かせ、バターしょうゆ味にして一丁上がり。
おいしさの秘密はバルミューダというメーカーのトースターにある。2年前にこれに変えてから味がアップし、注文が増えたと言う。
「従来のトースターはただ表面が焼けているだけという感じです。トースト本来のおいしさを引き出してくれて、いいと思いますね」(清水さん)
最先端の家電が並ぶ東京都世田谷区の「二子玉川蔦屋家電」。そのトースターは女性客が集まる前にあった。おいしさの秘密は水にある。トースターの上部に注いだ水はスチームとなり、パンの表面を覆いつくす。これでパンの中の水分をしっかり閉じ込めるので、中はモッチリ、外はサクサク。食べたことのないような焼き上がりになるのだ。
この「バルミューダ ザ・トースター」(2万4732円)は、これまで30万台を売る異例の大ヒットとなった。バルミューダは他に炊飯器や空気清浄機なども製造。家電業界では特別なポジションにあると言う。
「バルミューダさんがある製品を開発すると、他のメーカーさんが『ここは面白い』と思って、同じレベルの商品を開発してくる傾向がある。ある意味でバルミューダさんが業界を引っ張っているメーカーになっていると思います」(『蔦屋家電』の大崎大佑さん)
バルミューダの名前を世に知らしめたのは「グリーンファン」(3万8880円)という扇風機だ。自然に近い心地いい風を作り出し、長時間あたっていても疲れない。扇風機とは思えない値段だが、これも30万台以上が売れた。
革新家電の本丸に潜入~モノではなく体験を売る
東京・武蔵野に広がる閑静な住宅街にあるバルミューダの本社。創業社長の寺尾玄(44)は、社長でありながら全ての商品のアイデアを出しているという。そのものづくりには一つのポリシーがある。
「『3万円の扇風機は売れません』。本当かなと思うんです。『3万円の扇風機を買いますか』と言われたら、私は絶対買いませんが、『ひと夏の涼しさ3万円です』と言われたら、『なんでですか』と聞きます。いわゆる常識というものがあると思うのですが、『それってそうだよね』という社会的な合意。でも本当なんですかね」(寺尾)
寺尾は家電メーカーに勤めたこともない、いわば家電の素人だが、まず常識を疑い、世の中にないものを作ってきた。
「バルミューダ ザ・トースター」は2015年の発売。「焼く前に水を入れる」という常識破りのアイデアは、「たまたま全員参加のバーベキュー大会があって、炭焼きのグリルの上で食パンを焼いたら、ものすごくおいしいトーストができた。外がカリカリで中がフワフワ。『なんだ、これ?』となって」(寺尾)というのがきっかけだった。
そのおいしさを再現しようと炭火のグリルでパンを焼いた。しかし、何度やっても同じ味にならない。すると、「誰かが『あのとき、土砂降りでしたよね』と言い始めた。『水分だったんじゃないか』というヒントがあって、スチームを使うというアイデアにいったんです」(寺尾)。
自分たちの感じたおいしさを何が何でも作る。その強い気持ちと、常識にとらわれないものづくりの姿勢が、大ヒット商品を生み出した。今年2月に発売された炊飯器「バルミューダ ザ・ゴハン」も、4万4820円と高価なうえ、保温機能はないのに売れている。
そもそもの、炊き方が従来の炊飯器とは全く違う。まず外釜に水を入れ、そこへ米と水を入れた内釜をセットし、加熱。すると水蒸気の熱が下からも上からも入り、米を焚き上げる。従来の炊飯器は米が踊ってぶつかり合うが、バルミューダの方は水蒸気で膨らんでいくので米の表面に傷もつかない。だから米の旨みを閉じ込め、しっかりした食感の、噛めば噛むほどおいしいご飯になるのだと言う。
この味を知ってもらおうと、体験イベントが開催された。会場には、炊き上がったばかりのツヤツヤのご飯がおいしそうな香りとともにスタンバイ。バルミューダファンで事前予約の席はあっという間に埋まっていた。炊きたてご飯をカレーで食べてもらう。寺尾たちが打ち出した味に、参加者から「おいしかった」「来てよかった」の声が。寺尾が作りたいのは家電ではなく、この嬉しい体験なのだ。
「嬉しさそのものは製造できないので、道具屋だけれども、『その嬉しさを見ている』という姿勢を強く見せたいなと思っています」(寺尾)
ライバルとは一線を画す性能、統一感のあるシンプルなデザインでもファンを掴み、2003年の創業から売上は右肩上がり。2016年は55億円を叩き出した。
家電の革命児バルミューダ~創業者・寺尾、波乱の人生
寺尾は1973年、千葉県で生まれ、茨城県で育った。高校は2年で中退。その頃は今とはまったく違う夢を描いていた。目指したのはロックスター。バンドを組んで、自分で作詞作曲、ボーカルも担当。大手のレコード会社とも契約したが、売れなかった。
「全精力をそのときの私なりにつぎ込んで、浮上しようと思って一生懸命やったバンドだったのですが、10年かかって『できなかった』という結末になり、衝撃的でした」(寺尾)
その後、寺尾はパチンコ店でアルバイトをして食いつなぐ生活に。家電を作り出すようになるきっかけは、偶然見たオランダのデザイン誌だった。洗練されたデザイン、ワクワクする色や形。特に金属製品に引き込まれ、自分でも作ってみたくなった。
寺尾はアルバイトの後、武蔵野に点在していた金属加工の工場を手当たり次第、見て回ろうとした。だが、金髪にジャージの怪しい男は、当然、どこに行っても門前払い。しかし寺尾は諦めなかった。何十軒と断られ続け、ついに奇跡のような工場と出会うのだ。
それが東京都小金井市の春日井製作所。JR中央線の沿線にある小さな金属加工の工場だ。16年前、その工場で春日井雅彦さんと出会ったことが、寺尾の人生の転機にとなる。
「まず電話した時点で、雅彦さんが『いいよ』と言うので、『今までのところとずいぶん違うな』とは思っていたんですよ」(寺尾)
当時、寺尾は借金をして金属加工の機械を買うつもりだった。そのことを相談すると、「『刃物一本でも高いよ』『いますぐやってもできないよ』と。『うちのを使っていいから、ここでやれば』と言ってくれて、びっくりして天使のような人たちだなと思った」と言う。
春日井製作所は職人3人だけの町工場。日々の仕事にも追われていた。突然やってきた若者に親切にしてあげた理由を、春日井さんは「普通の人が自分で考えたものを作り出すというのが面白かった。独創的なものがあるし、見ていても面白いんですよ」と語る。寺尾はいまも「春日井製作所がなかったらバルミューダはなかった」と言う。
小さな工場で始まった寺尾のものづくり。毎日のように通い詰め、1年後に作り上げたのが、ノートパソコンの冷却台「X-Base」だった。この商品をひっさげ、2003年、寺尾はたった一人でバルミューダを創業。アルミを削り出して作る「X-Base」は1台3万円以上したが、3ヶ月で100台を超える注文が入った。
勢いに乗った寺尾は、次に当時、まだ世の中になかったというLEDデスクライト「Highwire」を開発。部品が高価で、これも6万円という高価格になったが、高級インテリアショップなどでよく売れ、バルミューダの年商は数千万円に跳ね上がった。
逆境から生まれた大ヒット商品~成功を支えた出会い
しかし、会社の状況を一変させる出来事が起こる。2008年のリーマンショックだ。世界中に広がった金融危機は、ちっぽけだったバルミューダにも直撃した。
「一ヶ月ファックスが鳴らず、『終わったな』と思いました。音楽のときもダメだったけど、またダメだったと思って、俺は成功とは縁がないんじゃないかと思った」(寺尾)
会社は倒産寸前となり、寺尾は泣きたいような気分で一軒のファミリーレストランの前を通りがかった。そこにはリーマンショックなど関係なく、楽しそうに食事をする人たちがいた。そのとき、寺尾は突然、わかった気がした。
「なんで売れないのかな、高いからかな、デザインがおかしいのかなと思っていたのですが、あのときはっきりわかりました。お客さんにとって必要じゃないからだ、と」(寺尾)
倒産はすでに秒読みだったが、今からでも「人に必要とされるもの」を作れないか。実は寺尾には、以前から作ってみたかったものがあった。スケッチ画も書き溜めた扇風機だ。
子供の頃、自転車で走ると、体に当たる風が気持ち良かった。あの風を再現することができれば……その時、寺尾はある光景を思い出す。それは町工場で壁の方を向いて回っていた扇風機。「壁に当てると風が優しくなる」のだという。
寺尾は流体力学の本を買ってきて、なぜ壁に当たった風は優しくなるのか、どうすれば優しい風を再現できるのかを考えた。そして分かったのは、扇風機の風は渦を巻きながら直線的に進んでいること、しかし壁に当てると渦はなくなることだった。
風を何かにぶつければいい。寺尾が思いついたのは二重構造の羽根だ。これだと速さの違う2種類の風が起き、ぶつかり合うために渦が消え、大きな面の風になる。しかし問題が一つ。この羽根は面積が大きく、従来のモーターでは風が強くなりすぎる。つまり、今までよりゆっくり回すことのできるモーターが必要だったのだ。
それにぴったりだったのがDCブラシレスモーター。電子回路で超低速回転を実現できる。ただし、値段は従来のモーターの10倍以上と高価だった。試作機まではなんとか作ったが、量産するには6000万円かかる。銀行は全く相手にしてくれなかった。
資金がつき、身動きの取れなくなった寺尾はまさかの行動に出る。向かった先は、試作機を作る際、サンプルを提供してくれたモーターメーカー、フジマイクロ。寺尾はまだ取引もしていない相手に、資金の立て替えをお願いしに来たのだ。
同社の丸山忠作社長(現会長)に「風を浴びてみてください」と迫る寺尾。丸山社長の答えは「いい風だな。協力しましょう」だった。この出会いが寺尾の人生二つ目の転機となり、バルミューダは生き残ることができた。
丸山さんはこのとき資金を立て替えた理由を、「相手によっては私も受けません。寺尾さんは情熱があったということ。情熱があるし開拓精神がある。私もそういうのが大好きで、波長が合ったといいますか」と語る。
かくして2010年、柔らかな風を生む「グリーンファン」が誕生。累計30万台のヒットとなり、DCブラシレスモーターも大活躍した。
「大量に、想像を絶する量が出ましたので、結果的に儲かりました」(丸山さん)
何も持っていなかった男の決して諦めない心が、奇跡のような出会いを生み、扇風機の革命を起こしたのだ。
バルミューダ冬の新製品~画期的!?オーブンレンジ
バルミューダのこの冬の新商品、オーブンレンジの開発会議で不思議な光景を目撃した。ホワイトボードに「ポンポンポン」「キキーン」「ジャーン」という文字が書かれていた。
後日、オーブンレンジの試作機が届いた。今回の新商品は至ってシンプルで、機能も最小限だ。ただし、一つだけこだわったことがあった。
「それぞれのモードに合わせて音が鳴ります」(開発担当・比嘉一真)
調理中にはドラムがリズムを刻む音。そして「チン」の代わりはギターが鳴るのだ。
ここで寺尾が最終チェック。試作機に問題がなければ量産に入る。ところが、寺尾の目がある所に止まった。寺尾が指摘したのはつまみの塗装。わずかに1ミリ程、はみ出している。進捗は当初の予定より遅れていたが、寺尾はやり直しを指示した。
「だいたい予定通りにいかないのが開発。予定通りにいってないのが予定通りです」(寺尾)
商品発表会にはなんとか間に合った。注目メーカーだけに、会場には多くの取材陣が詰めかけた。まずはレンジなのに、寺尾が音を紹介する。
「これを思いついた理由に朝の殺伐とした感じがあります。忙しくて、子供もいるし、お父さんは出ていくし、お母さんはテンパッている。実際に自宅でこのプロトタイプを使っています。朝起きると、妻はイライラしているのかもしれませんが、こいつが『ドンチ、ドンチ』と鳴っている。『ジャーン』でできる。心なしか妻の顔が怒ってないように見えるのは、私の気のせいでしょうか(笑)」
発表の後には触って体験してもらう時間も。みんな、楽しそうに触っては音を出していく。常識破りの商品がまた一つ、バルミューダのラインナップに加わる。
~村上龍の編集後記~
大手家電とバルミューダは、規模では比較にならない。だが、恐竜が絶滅したあと、君臨することになったのは、小さな哺乳類だった。
寺尾さんは、異色と評されることが多いが、会社・組織が個人を守ることを優先しなくなった時代、むしろ正統ではないだろうか。
新しい何かを生みだす人は、必ず協力者に出会う。幸運なのではなく、出会うまで探し続けるからだ。
モノは余っている。消費者の需要をイメージするのはむずかしい。それは、開発というより創造だ。今後、家電は、製品ではなく、作品になっていくのかもしれない。
<出演者略歴>
寺尾玄(てらお・げん)1973年、千葉県生まれ。1990年、高校中退後、ヨーロッパを放浪。帰国後、ミュージシャンとして活動。2003年、バルミューダ設立。