新業態を続々オープン!~巨大和食チェーン大躍進の全貌~/SRSホールディングス/読んで分かる「カンブリア宮殿」

熱狂的リピーター続出~日本最大の和食チェーン

埼玉・ふじみ野市の「にぎり長次郎」ふじみ野店。リピーター続出のこの店は、回転寿司なのに、回っていたのはポップだけ。目の前に職人が大勢おり、握ったものをすぐに出してくれる。本格的な寿司店の気分が味わえる回転寿司だ。

ネタも本格的。本マグロは週末限定で一匹丸々仕入れている。それを職人がすぐにさばいてネタにする。人気は赤身と中トロ、大トロがそろい踏みの「生本まぐろ三昧」(891円)だ。丸ごと仕入れているから希少部位も。「大トロより脂がのっている。数貫しかとれない。売り切れ御免で対応しています」(営業本部・山中康平)と言うのは、マグロ一匹から10貫ほどしかとれない「かまとろ」(506円)だ。

店の中央にあるいけすにはアジが泳ぐ。朝届いたばかりのアジを一匹使った4貫の「泳がし鯵一匹にぎり」(924円)に。しかもアジの骨はタダで唐揚げにしてくれる。

「にぎり長次郎」は8年前、「和食さと」を運営するSRSホールディングスの傘下に入り、それがきっかけで売り上げが3割アップしたという。

「さと」は200店を超える店舗数日本一の和食ファミレスチェーンだ。ファミレスなのに売りは鍋料理の「しゃぶしゃぶ」。多くの家族連れが鍋を囲みにやってくる。ディナータイムには売り上げの4割を占める人気メニューだ。

「しゃぶしゃぶの食べ放題」(2時間制)は2189円~。550円プラスすれば、寿司や天ぷらなど90品以上の料理も食べ放題に。フカヒレ丼やカレーパンまである。

低価格を実現するための秘密が厨房にあった。食べ放題用の牛肉は、工場でスライス済み。器に合わせてカットしてあるから乗せかえるだけでOK。こうして徹底的に作業工程を減らしコストカットしている。

料理の調理方法も他とは違う。工場でカットした食材を鍋に入れてヒーターに乗せるだけ。加熱する時間や温度を独自にプログラムしてあるから、微妙な火加減も自動でやってくれる。だから少人数で多くの料理に対応できる。「自動で専門店の味が出せます」(関東営業部・澤田直樹)と言う。最近では配膳ロボットも導入し始めた。

SRSホールディングス会長・重里欣孝(63)は試食会に全く出ない。新メニューを食べるのは、店に並んでからと決めている。

「僕が提案したものが全部売れるわけではないんです。打率3割は無理で、1割とか2割。でも商品担当に任せると2割、3割と、僕より打率が上がる。彼らが優秀なのか、僕がアホなのわかりませんが(笑)」(重里)

重里は「さと」を日本一の和食ファミレスチェーンに仕立て上げ、さらに寿司や定食など、和の専門チェーンを次々に買収。合わせて611店舗、売上高437億円という巨大グループを作り上げた。



安くてうまいだけじゃない~常識破りのメニューが続々

その重里がいま全国展開を目論んでいる業態が天丼・天ぷら本舗「さん天」だ。看板商品は「39天丼」。関西流に色白に揚げた野菜3種類とアジ、エビが入っている。これで値段は390円。注文してから2分ほどで出てくるスピードも驚きだ。

天ぷら専門店だから、もちろん注文が入ってから揚げている。早さの秘密は天ぷら粉だ。

「打ち粉がいらないオリジナルの天ぷら粉です。打ち粉があると1工程増えるし手も汚れる。手を洗えばお客さまに提供する時間が長くなる」(「さん天」事業部長・秋山和則)

そこで製粉メーカーと組んで打ち粉いらずのてんぷら粉を開発。調理の工程を減らして2分で提供し、回転率を上げて安くしているのだ。

その一方でリピーターを増やす工夫もある。とり肉の天ぷらと豚の角煮をセットにした「豚角煮とり天丼」(690円)。しかも天ツユではなく角煮のたれをかけるという奇想天外なメニューだ。天ぷらとすき焼きやカレーとのコラボまである。

大阪市のSRSホールティングス本社に、奇想天外メニューを真面目に考える専門のチームがある。新たなメニュー開発があるというのでのぞいてみると、そこに並んでいたのは、ホルモンからオニギリまで、天ぷらのタネとは思えないものばかり。とにかく何でも揚げてみる。

大阪のソウルフード「お好み焼き」が揚がった。これは天つゆではなく、やはりお好み焼きソースで。続いてはデザート用にバームクーヘンやアンコも。アンコは「予想外に合うな」と、提供開始が決まった。

「これくらいやらないと新しい和食は生まれない。これでもやりすぎではないと思います」(「さん天」事業部・松谷和彦)

和食の常識を打ち破ってきた重里。洋食はやらないのか聞いてみると、「洋食は愛せないけど、和食は愛していたんです。僕の血管にはお出汁が流れてるから」と答えた。



モノマネ経営で倒産寸前~脱「洋食」でV字回復

創業の地は現在。「にぎり長次郎」法善寺店になっているが、もとは父親が始めた8坪の和食店だった。若い頃は店に立ち寿司も握っていた重里。しかし、外食だけは仕事にしたくないと思っていたという。

「汚れ仕事に見えたんです。油は飛ぶし、魚をさばけば血が出る。あまりいい仕事じゃない。俺の仕事じゃない、と」(重里)

重里が生まれた1958年、父・進は「すし半」という和食店を始めた。当時高嶺の花だった寿司とフグ鍋をサラリーマンに安く提供し、店を増やしていった。

「安くてうまい寿司と鍋。高度経済でお客さんが押し寄せました」(重里)

1970年代になると「すかいらーく」や「デニーズ」が台頭、ファミレスブームが巻き起こる。すると負けん気の強い父・進は関東に乗り込んで洋食の「レストランさと」を続々と出店。「すかいらーく」に真っ向勝負を挑んだ。

そんな父・進の性格を表す言葉が残っている。「停るな、休むな、退くな、逃げるな、ただひたすらに進め」。

「逃げるな、イケイケ、とことんやったれ、というのが先代社長でした」(重里)

そんな父を避けるように、重里は東京の大学へ進学。金儲けがしたいと起業するが、失敗して、闇金融に手を出してしまう。

「ドアを壊されて、刺されはしなかったけど殴られた。24歳ぐらいまではダメ人間だったと思います」(重里)

そんなある日、転機が訪れる。大阪から突然、父が訪ねてきたのだ。

「いきなり来たんです。電話もなく、夜にドンドンと。『俺や』というから、『誰や』と。『親父や』と言うから『どこの親父や』と言ってやった」(重里)

だが、この日の父はいつもと様子が違った。「大阪に戻って一緒にやらないか」と、強気の父が初めて弱気な言葉を口にした。当時、「さと」はピンチに陥っていた。無理な出店がたたり、金利の返済だけで年間10億円。倒産してもおかしくない状況だった。

重里は大阪に戻り、父とともに寝る間も惜しんで働いた。93年、進が急逝し、35歳で社長に就任する。8000人の従業員を守るプレッシャーに押しつぶされそうになった。

「ストレスで顔が痙攣するんです。体重が一気に10キロ減りました。ガリガリ、ひょろひょろ、フラフラな状態」(重里)

当時、洋食の「さと」を展開していたが、バブル崩壊もあって業績が悪化。低価格の「ガスト」が流行ると、真似をして値段を下げるが、売り上げは伸びなかった。

この危機に重里は思い切った決断を下す。それは洋食事業からの完全撤退。しかし、70あった洋食店を全て和食店に切り替えようと提案すると、役員会は「半分は洋食の店」「店舗改装にいくらかかると思っているのか」と紛糾した。

「無謀と言われた。8割の人が無謀だと」(重里)

四面楚歌の重里を後押ししてくれたのが、父の言葉、「ただひたすらに進め」だった。

「親父ならどうするか、ずっと思っていました。それは親父の遺言みたいなもの。最後は議論しないで『やります』と」(重里)

反対を押し切り、洋食撤退を断行した重里だが、それでも業績は上がらない。そこで助っ人を頼む。商社に勤めていた弟の政彦を呼び寄せ、「さと」の改革に動き出したのだ。

外からの目線で現状をつぶさに見て回った政彦は、メニューにある欠点を見つけた。

「これというものがない。家族みんなが楽しめるコアになる商品があるといいな、と思いました」(政彦)

そこで考え出したのが、家族みんなで楽しめる「しゃぶしゃぶ」の食べ放題だった。ヒントにしたのは、重里兄弟が幼いころ慣れ親しんだ父の店の鍋料理。原点に回帰したのだ。

すると「売れる売れる。びっくりするくらい売れる。『勝った』と思いました」(重里)。

「しゃぶしゃぶ」というメニューを持ったことで「さと」の業績は2009年を底に見事V字回復。日本一の和食ファミレスチェーンに成長していく。

若いころ飲食業を嫌っていた重里は紆余曲折を経た今、こう語っている。

「お客さんがもう一度来てくれる以上の喜びはない。飲食業大好き。素敵な仕事です」



外食産業では珍しい~従業員も驚く「喜ばせ」戦略

若い頃に外食の仕事を嫌っていた重里は、社員が働きやすい環境作りを進めている。

「従業員はお客さんを喜ばす。我々経営陣は従業員を喜ばす。本気で考えています」(重里)

「和食さと」には社員を喜ばす手厚い制度がある。そのひとつが、全社員が年に1回取得できる7日間の連続休暇。店舗勤務の社員も例外なく休めるという。

「満喫しました。『外食でそんなに休めるの?』と驚かれたりします」(マーケティング部・四宮千晶)

喜ばせるのは社員だけではない。兵庫・明石市の「和食さと」ビエラタウン西明石店。パート勤務の松井育美は、週に一度、働く店に子どもを連れて来る。その理由がパートも含めた子育て中の従業員に支給される「子育て優待パスポート」。注文した料理が1万円を上限に半額になる。帰り際に受け取ったのは家族用のお弁当用。持ち帰りも半額になる。

この店の店長・筏美恵子はパートから正社員になった。ある制度を利用して変わった働き方をしているという。シフト表を見せてもらうと、昼に2時間働いて、3時間休んで、また夕方から4時間働いている。

「帰って家事をして、また夕方に出勤という形で、6時間で組んでいます。働く主婦にはありがたいと思います」(筏)

週に30時間勤務すればいい「短時間正社員」制度。それでも店長になれるし、ボーナスももらえるという。

また、「和食さと」には社員が大喜びするとっておきの研修がある。それは外食先進国アメリカの飲食店などを視察する「アメリカセミナー」制度。最終日にはカジノ体験が組まれている。このカジノ体験にも重里の狙いがあった

「博打はいかに負けるかということ。胴元が勝つ。だからバンバン負けてほしい。博打は負ける。仕事でも一緒です」(重里)



~村上龍の編集後記~

「和食1本」という決断は勇気が要ったと思う。業態転換には1店舗数千万円が必要。内外装はもちろん、食器も違えば、調理器具・方法まで何から何まで違う。当時の心境は「生き残るためにイチかバチかやってみよう」。勝算はなかった。でもやるしかなかった。3年かけて洋食店を和食に転換。そういう人に運命は微笑む。原点に帰るというアイデアが生まれる。急逝した父親の「さと」はもともと鍋がおいしかった。人はそうやってビジネスの核をつかむ。それ以外にはない。

<出演者略歴>

重里欣孝(しげさと・よしたか)1958年、大阪市生まれ。1982年、日本大学法学部卒業。1987年、サトレストランシステム入社。1993年、社長就任。2017年、会長就任。SRSホールティングスに商号変更。

(2022年2月3日にテレビ東京系列で放送した「カンブリア宮殿」を基に構成)