絶品定食がタダ?~ユニークすぎる都心の食堂
外食激戦区の東京・神保町。あるビルの地下に気になる店がある。
店の入り口の脇には「ただめし券」なるものが貼ってある。やってきた若者がくい入るように見つめ、1枚剥がして中に入っていった。
席に着くと、何も注文していないのにお盆が出てきた。定食だ。メインのおかずは肉厚のタラを使った黒酢あんかけ。若者はお腹が減っていたのかモリモリと平らげていく。そして食べ終わると、先ほど剥がした券の裏に何やら書き込み始めた。
「給料日当日ですが、もらえるのは夕方なので助かりました。ありがとうございます!」
店の名前は未来食堂。「ただめし券」を使えば誰でもタダで定食が食べられる不思議な店だ。実際に取材中、何人もの人たちがただ飯を食べていった。経営は大丈夫なのだろうか。
未来食堂はホームページで毎月の収支を公開している。売上げから原価を引いた粗利は80万円前後。毎月しっかり利益を出している。オープンして2年、未来食堂はただ飯を振る舞いながら黒字を出し続けていた。
未来食堂のメニューは900円の日替わり定食、一品だけ。この日は隠し味に醤油を入れた和風デミグラスソースの煮込みハンバーグ。家庭的な料理の小鉢もついてくる。
入口の向こうからお客がやってくるのを見た店主の小林せかい(32)は、すぐさま盛り付けを指示。メニューが日替わり一品だけなので、あっという間に出せる。このスピードが大きな武器。ランチタイムは多い時で7回転。高い回転率で利益を出している。
「お客様のオーダーを取る時間が節約できるし、食材のロスも少なくなります」(小林)
未来食堂には他にも不思議な光景が。食事を終えた「自分も飲食店をやっている」と言う男性客。するといきなり頭に手ぬぐいを巻いて厨房に入っていった。始めたのは皿洗いのお手伝いだ。別の女性も食事を終えると厨房に立った。彼女の本職は歯科医。アルバイトではなくお手伝い。「賃金が発生しているわけではありません」と言う。
実はこれも未来食堂の大きな特徴の一つ、「まかない」と呼ばれるシステムだ。お客は店の仕事を50分間手伝うと、一食タダになるチケットがもらえる。これが先ほどの「ただめし券」。この券は自分で使って食べてもいいが、入り口の脇のボードに貼り付けてもいい。「困っている誰か」にプレゼントできるのだ。
実際に使われた「ただめし券」には、「お財布にお金が入ってなかったです。未来食堂でよかった、まかないしにきます」「3日食事してなかったので、すごい食べました。ありがとうございます」といったメッセージが。今、困っている人を受け入れる食堂を作りたい。これが未来食堂の原点だ。
高校時代の体験から「いつか食堂をやろう」
きっかけは小林が高校3年の時のこと。進路で悩み、わずかなお金を握りしめて神戸から上京、2ヵ月間、家出をした。見知らぬ土地でアルバイトをして暮らす日々。誰とも口をきかず、この世で自分は一人ぼっちだと思った。そんな時、バイト先の同僚が「一緒に食べよう」と声をかけて、温かい唐揚げ弁当を手渡してくれた。
たまたま同じ職場になっただけの名前も知らない人たち。でも一緒に食べただけで、心がほぐれてきて、温かな気持ちになった。小林は涙が溢れ、止まらなくなったと言う。
「横に誰かがいることが自分にとっては必要だと気づいたんです。未来食堂はただの小さな食堂なので、知っている人を少しでも増やして、自分と同じようにいまにも落ちそうな人にまで届けたいんです」(小林)
家出から戻ると受験し、東京工業大学に入学。その後、IBMや料理サイトのクックパッドでエンジニアとして働きながら、「いつか食堂をやろう」という思いを固めていく。そして会社を辞め、サイゼリヤや大戸屋などの外食で修業を積み、2015年、未来食堂を開いたのだ。
常識にとらわれない型破りな食堂は話題となり多くのメディアでも取り上げられた。
毎週土曜日には、来週食べたいものについて、居合わせた客にアンケートをとる。恒例となった客とのやりとりから、日替わり一品メニューが決まっていく。客がメニューを決めていくのだ。
手作り惣菜で開業の夢~“ただめし”の未来
未来食堂で「まかない」をする客には、飲食店を開業しようという人も多い。小林はさまざまなアドバイスを求められる。主婦の具島和子さんもその一人。未来食堂で「まかない」として週に1、2回、およそ1年間手伝いをしてきた。その目標は「惣菜店を開くこと」だった。
惣菜屋さんは東京都日野市にある自宅で開業予定。訪ねてみると、オープンに向けて本格的な改修工事の真っ最中だった。看板にある店の名は「とことこ」。「トコトコ立ち寄って欲しい」という願いを込めた。しかし具島さんの家は駅から歩いて20分。人通りも多いわけではない。お客は来てくれるのか。
そして迎えたオープン当日。販売するのは未来食堂に習い、日替わり弁当1種類だけ。この日のメインは煮込みハンバーグ。地元の日野で獲れた野菜もたっぷり入ったヘルシーな惣菜弁当は700円(惣菜550円、ご飯150円)。具島さんは「この中に全部つまっています。1年間、せかいさんに怒られたことがいっぱい」と笑う。
その日の午後、これまで開業をバックアップしてきた小林も早速駆けつけた。この日作った40食中、すでに31食が売れていた。残った分も夕方には完売。未来食堂から生まれた夢が形になった。
小林は将来について、スタジオで次ように語っている。
「未来食堂は一つ目の形。私は一人目のリレーの走者だと思っています。未来食堂の理念は『誰もが受け入れられて、誰もがふさわしい場所』。今は飲食店として形になりましたが、これはまだ第一形態。これを見た私より優秀な誰かが、第二形態に変えていけるんじゃないかと思います。もっといろいろな面で大きくなるとか、もっといろいろな人が加わってよりよい形になるとか。そこまで自分は走り続けて、未来食堂というブランドを高めていく。それが自分のやるべきことで、将来かなと思います」
こども食堂が生れた背景~知られざる“子供の貧困”
この国には生活に困っている人が想像以上にいる。埼玉県川口市が運営するリサイクルセンター。市民から要らなくなった衣類や文房具などを回収し、欲しい人に無料で渡す施設だ。やってきたのは3人の親子連れ。40代の母、西野京子さん(仮名)と中学2年の長女、中学1年の次女。西野さんは10年前に離婚。以後、女手一つで子供たちを育ててきた。生活は厳しいと言う。次女は足りなかったスカートを手にしていた。
西野さんは毎月はじめ、大事なお金が振り込まれたかどうか、郵便局で確認している。約22万円の生活保護の支給日だ。家賃や光熱費、食費、生活費は全てこのお金でまかなっている。入金前の残高は691円だった。
西野さんは4年前に癌を発症。勤めていた会社を辞めざるを得なくなり、生活保護を申請した。西野さんが何より不安に思うのが子供たちの将来だ。「ご飯もお腹いっぱい食べさせてあげられない。塾にも行かせられない。このままの状態だと、子どもたちも学力が追いついていかず、高いレベルの高校には入れないと思う。貧困は貧困を呼ぶんです」と言う。
今、日本の子供の6人に1人は相対的貧困状態にある。親子3人なら可処分所得217万円未満。こうした「貧困家庭」で暮らす子供が300万人以上もいるのだ。
夕方、西野さんの子供たちがある場所へ向かった。ここに来るのを楽しみにしていたと言う。中にはすでに同じくらいの年頃の子供たちがいた。そこに用意されていたのは、焼きたて熱々の焼きそば。ひな祭りにちなんだちらし寿司も。それを子供たちはもの凄い勢いで食べていく。集まった半数は生活保護を受けている家庭の子供たちだ。
この場所の名前は「川口こども食堂」。地域のボランティアが中心となって、子供50円、大人250円で食事を提供している。
「川口こども食堂」は去年スタート。決まった場所はなく、市の施設などを利用し、学習支援も行っている。ただ、実施できるのは月に1、2回程度。代表の佐藤匡史さんは「ご飯をちゃんと食べられていない子が、数字とは別のところで、たくさんいるという実感があります」と言う。
全国で急増中~子供を救う100円定食
今、こども食堂は全国に広がり、その数は300を超えた。貧困がすすむ中、子供たちを支える新たな「居場所」として注目されている。
「こども食堂」という名前は東京都大田区で生まれた。それが5年前に開設された「こども食堂だんだん」。週に1回、木曜日の夕方にオープン。中は全ての席が埋まり大盛況だ。
この日、用意されていたのはマグロの漬け丼。子供なら100円で食べられる。お小遣いほどのお金でお腹いっぱいになれるのだ。マグロはご主人が築地で働いている近所のおばちゃんの差し入れ。こうした食材の寄付が毎回のようにあるのだ。
近藤博子が店主を務めるこの店のコンセプトは「子供一人でも安心して入れる食堂」だが、大人も大勢、食べに来ている。中には「私は孫がいないので、孫と一緒に食べているみたい。一人で食べるよりずっと美味しいです」と言うおばあちゃんも一人で来ていた。
貧困の子供に限定せず来てもらうと決めたのには理由がある。
「子供は困ったと言わないし、家の困ったことを隠します。親を庇うから、朝ご飯を食べてなくても『食べてきた』と言うんです。だから“貧困の子供”に食べてではなく、“みんなに食べて”という考えだと食べられる。全てに網をかけるから、本当に支援が必要な子を拾えるということだと思う」(近藤)
閉店は午後8時過ぎ。この日はおよそ50人が来店し、売り上げはいつもより多めの1万5900円に。持ち出しになることもあるが、平均すると赤字にはならないと言う。
近藤の本業は有機野菜などを扱うこだわりの八百屋さん。自分の店の商品をこども食堂で使うこともある。
「全てを私一人でできるとは全然思っていません。できることをできる人がやればいいと思っているので」(近藤)
7年前の夏。小学校の先生が近藤の八百屋に立ち寄り、「うちの学校に、給食以外はバナナ一本で過ごしている児童がいるんです」という話をした。母子家庭で、母親が病を抱えている子供だった。
「日本にそういう子供がいるとは思っていませんでした。バナナを食べている後ろ姿を思い浮かべただけで切なくなって。じゃあここで、温かいご飯と具だくさんの味噌汁だけでもみんなで食べれば、と」(近藤)
こうして2012年、こども食堂は始まった。わずかなお金でお腹いっぱい食べられると、すぐに子供たちが集まるようになった。
感動食堂、絆のバトンリレー
どんな子もお腹いっぱい。会話も弾む自分の居場所。それが近藤の作ったこども食堂だ。
高校1年の眞鍋太隆君は常連客の一人。両親は共働き。一人の時の居場所を求めて近藤のこども食堂に来るようになった。通い始めて4年、今ではボランティアの一人として店を手伝いに来ている。将来は福祉の仕事に就きたいと言う。
この日、眞鍋君は友達を呼んでいた。高校に馴染めず、去年の夏に退学したA子さん。励ましてあげようと声をかけたのだ。「3カ月ぶりに来て、やっぱりここはいい場所だなと思いました。楽しいのでつらいことも全部忘れられる」と、彼女は言う。
瀬戸大橋を臨む香川県高松市に近藤が来ていた。ここでこども食堂を始めた人たちから招かれたのだ。
「かねとう子ども食堂」は去年スタート。週に1回、食事を提供している。どうすれば子供たちに届くか。アドバイスを求める人たちから近藤は引っ張りだこだ。代表の金藤友香理さんは「近藤さんが『子ども食堂』と名づけてくれたおかげで、問い合わせもすごかったんです」と言う。
近藤の思いは暖簾とともに全国に広がっている。
スタジオで小池栄子に「食事の提供日を増やしていく考えは?」と問われた近藤は、次のように答えている。
「可能であれば増やしてみたいけれど、こども食堂がいらない、そういう場所がなくても子供たちがどこかでご飯を食べていける。そんな社会になってほしいというのが最終的な私の気持ちです」
~村上龍の編集後記~
「普通」が消えつつあるように思う。「普通の高校生」の偏差値はどのくらいで、「普通のサラリーマン」の年収はいくらなのだろう。多くの人が、自分は特殊で、普通ではないと悩んでいる気がする。
生きづらい社会、暖かな食事と、「普通」を提供する食堂が生まれている。「子ども食堂」「未来食堂」は、誰もが普通でいられる「場」を作った。
「世間」と呼ばれる親密で小さな共同体が機能していた1960年代のように、人々は食堂に集まり、他にも似たような人がいることを確認できる。
そこには、新しい「懐かしさ」がある。
<出演者略歴>
小林せかい(こばやし・せかい)1984年、大阪府生まれ。東京工業大学卒業後、日本IBM、クックパッドを経て、2015年、未来食堂を開業。
近藤博子(こんどう・ひろこ)1959年、島根県生まれ。歯科衛生士、「気まぐれ八百屋だんだん」店主。2012年、こども食堂をスタート。