コーヒーの川上から川下まで~老舗企業の次なる「一杯」【UCC】/読んで分かる「カンブリア宮殿」



老舗が仕掛ける!コーヒー人気沸騰中

今、巷ではコーヒーの「家飲み」がブームだ。コーヒーの美味しい淹れ方や器具を特集する雑誌も続々と。家で本格コーヒーを楽しむ人が増えているのだ。

都心のビルの中に入ると、そこには仕事帰りのサラリーマンやOLたちの姿が。プロが教えてくれる「コーヒーの淹れ方講座」。去年開講したこの講座には、初心者からプロを目指す人向けまで様々なクラスがあり、大盛況となっている。

講座を仕掛けたのはUCC。上島珈琲カンパニーの頭文字だ。

コーヒービジネスの入り口は神戸にあった。巨大なトラックが入っていった先はUCCの主力工場、六甲アイランド工場。トラックの荷台には、麻袋がギッシリと積まれていた。

UCCは自社でコーヒー豆を大量に輸入している。現在日本は年間で43万トンのコーヒー豆を輸入しているが、その20%以上をUCCが取り扱っている。

到着したコーヒー豆が運ばれる部屋がある。「ヒュー、ヒュー」と、何やら変な音が。音を立てていたのは、コーヒー鑑定士の山道理広。次々にコーヒーをすすり、味と香りをチェックしている。

「ここで止められなかった豆が流通したら、メーカーの品質として大きな欠点になる。水際でせき止めます」(山道)

その後、コーヒー豆は自社開発した焙煎機へ。このマシンもスペシャルな仕事をこなす。独自の技術でスチームを使って焙煎し、温度も自動コントロール。その結果、豆全体に均等に熱がまわるようになり、以前と比べてムラがなくなった。豆本来の味を引き出し、香りは70パーセントもアップした。



農園経営からコーヒーチェーンまで~UCCの独自戦略

焙煎したコーヒー豆は業務用として卸し、喫茶店やコンビニでコーヒーとなる。その卸しの仕事にもプロがいる。

営業担当の林正樹が向かったのは取引先のホテル、ハイアット・リージェンシー東京のカフェ。この店で出すブレンドコーヒーは、他の店とは一味違う。UCCは店の要望に沿ったブレンドまで請け負っているのだ。このカフェは口当たりのいい味を希望。そこでブラジルの豆を中心にブレンドしたという。ここだけでしか飲めないコーヒーは、一杯1426円。

顧客に新たな提案も忘れない。この日、林が持参していたのは、世界でも稀少なコーヒー豆だと言う。林を含め、UCCには「コーヒーアドバイザー」という社内資格を持つ人間が100人以上もいる。コーヒーに関して豊富な知識を持ち淹れ方も指導できるのだ。

同ホテルの前田聡史マネージャーは「コーヒーに関して、製法から全部、アドバイスしてくれる。すごく分かりやすい。UCCさんならではだと思います」と、信頼を寄せる。持参した豆も新たなメニュー候補として検討してもらえることになった。

焙煎した豆を挽いてパックしたレギュラーコーヒーは、主に家庭用として販売。このジャンルでは16年連続でシェアトップ。もちろん、挽きたての豆から作っている缶コーヒーも主力事業の一つだ。

さらに複数のカフェチェーンも持っている。全国に650店舗を展開。上島珈琲店では「ダブルネル・ドリップ」という独自の製法が。抽出したコーヒーをさらに粉に通すという、念の入った作り方。この味を求めて通うリピーターも多い。



海外でコーヒー農園を開拓する理由

UCCはハワイとジャマイカに自社農園も持っている。そのトップ、上島昌佐郎はベトナムにいた。場所はホーチミンから車で8時間の田舎町。山間に広がるのはコーヒー農園だ。上島は今、世界を周りコーヒー農園の開拓に乗り出している。

「世界的にコーヒーの消費量が伸びており、生産量が追いついていない。需要に応じられなくなるのでは、という危機感がありまして」(上島)

実は今、世界中でコーヒーブームが起きている。おなじみの大手コーヒーチェーンをはじめ、「サードウェーブ」と呼ばれる、豆や入れ方にとことんこだわったコーヒー店も台頭。日本では、コンビニで本格コーヒーが楽しめるようになり、消費量が急増。3年連続で過去最高を更新している。さらに、インドや中国などでもコーヒーの消費量は急増中。今後は奪い合いになるとみられている。

そこでベトナムに目をつけた上島。しかし、ベトナムのコーヒー豆の品質は決して高いとは言えなかった。

なんとか品質をあげようと上島が乗り込んだのが5年前。栽培から収穫の方法まで、一から直接指導してきた。「適切な処理方法をすると、きちんと味が出る」(上島)という。こうして今やベトナムの20の農園と取引するようになった。さらにアフリカ・エチオピアでも同じような取り組みを進めている。

ベトナムのコーヒー農園主、ロットレ・タン・アンさんは2年前からUCCの指導を受けている。「UCCのおかげで、ベトナムのコーヒー農家は助かっていますよ」という。

そんな上島があるイベントを開いた。会場には地元の50のコーヒー農家が。その中にはアンさんもいた。「UCCベトナム品質コンテスト」。それぞれの農家が作ったコーヒー豆の品質コンテストを開催したのだ。

優秀な農家には賞金も。生産者のモチベーションを上げようという上島のアイデアだ。

判定にあたるのはプロの鑑定士達。その鼻と舌でシビアにチェックしていく。全ての判定が終わり、結果発表。優勝はアンさんだった。アンさんの笑顔が弾けた。入賞した農家は賞金に加え、豆を今までよりも高く買い取ってもらえるようになるのだ。

東京、新宿高島屋。デパ地下の一角にあるUCCのコーヒー販売店「UCCカフェメルカード」。店頭のレギュラー商品の上に置かれたのが、ベトナムのコンテストで優勝したアンさんのコーヒー豆だった。UCCのコーヒー戦略に新たなカードが一枚加わった。

まさにコーヒーの全てを網羅するUCC。グループの売り上げは3300億円を超える。



日本にコーヒー文化を根付かせた創業者

3年前からUCCのトップに立つ上島。その部屋には尊敬する祖父で創業者、忠雄の写真が。日本にコーヒー文化を根付かせ、「コーヒーの父」と呼ばれた忠雄。その生涯は挑戦の連続だった。

1910年、奈良の農家に生まれた忠雄。丁稚奉公を経て23歳の時には神戸でジャムやバターを扱う食料品店を開いた。

その頃の神戸は東洋一の貿易港。ハイカラな洋風文化であふれていた。そんな町で生まれて初めて目にしたのが、当時まだ珍しかったコーヒーだ。

最初は「醤油のようでマズそうだ」と敬遠していたが、ある日、おそるおそる飲んでみると、「こんな美味しいものがあったのか」と驚き、日本人にも飲まれるようになると確信。当時はほとんどなかったコーヒーの焙煎卸しを始める。

戦争を経て1951年には上島珈琲株式会社を設立。いち早くコーヒー豆の輸入にも乗り出した。

焙煎したコーヒー豆を携え、全国の喫茶店を回る日々。そんなある日、忠雄は駅の売店で買ったミルクコーヒーを飲んだ。当時の飲み物は瓶入りだった。すると発車ベルが。忠雄はしかたなく飲みかけの瓶を返した。瓶は返すものだったのだ。

倹約家だった忠雄は悔しがった。そして何度も思い返し、突然ひらめいた。

「缶ならどこでも飲めるし、返さんでええ!」

缶コーヒーの開発を始めると、いきなり壁が。缶にミルクコーヒーを入れると、缶の鉄分とコーヒーの成分が科学反応を起こし、真っ黒に変色してしまった。その後も失敗の連続。「これは無理だ」と社内には諦めムードが漂った。忠雄は「コーヒー屋としての魂を缶コーヒーに吹き込むんや!」と檄を飛ばし、自ら先頭に立って技術陣を引っ張った。

そして1969年。いつでもどこでも飲める世界初のミルク入り缶コーヒーが遂に完成した。工夫は缶の内側に。特殊コーティングを施し化学反応を防いだのだ。



「缶コーヒーはゴールじゃなかった」

当時としては画期的な商品だったが、当初はまったく売れなかった。缶コーヒー誕生の翌年に開催された大阪万博で忠雄はパビリオンや売店に缶コーヒーを売り込んだ。すると、暑い夏、並ばずに買えてすぐ飲める冷えた缶コーヒーは大人気に。大勢の人に認知された缶コーヒーは、万博が終わった後も売れ続けたのである。

スタートの危機を乗り越えたミルクコーヒーはこれまで累計150億本を販売。UCCを代表する商品となった。

莫大な利益をもたらした缶コーヒーだが、市場にはその後、続々と後発企業が参入。UCCは優位性を失っていく。村上龍が注目したのはそこだった。なぜUCCは缶コーヒー市場で優位性を失っても、業績悪化を回避できたのか。上島はこう答えている。

「もちろん収益的には大きかったと思いますが、それとは別に、『コーヒーをもっと広げたい』『いつでもどこでも美味しいコーヒーを飲めるようにしたい』という思いがあった。それに対しては、まだゴールじゃなかったのだと思います」

世の中にないコーヒーを仕掛けるDNAは、その上島にも受け継がれている。

いま売り出し中なのが、黒ビールそっくりの新感覚コーヒー。生ビールのようなクリーミーな泡が楽しめる、これまでなかったアイスコーヒーだ。渋谷のオシャレなレストランにさっそくお目見え。一杯756円。夏を目前にして、注文が増えているという。



イノベーションでコーヒー市場を拡大へ

福岡市内にある巨大イベント会場で開かれたのが、UCCの新商品の商談会。会場に集まったのは飲食業界の人たちだ。

その一角で、新しい研究成果、「フード・マッチング・システム」なるマシンがお披露目された。コーヒー鑑定士の舌を再現したセンサーを持ち、まず食べ物の成分を分析。その食べ物にもっとも合うコーヒーを導き出すという。

マシンが導き出した例は、ショコラケーキには苦いコーヒー。チャーハンにはマイルドなコーヒー。そしてもう一つは、塩鮭には、酸味の強いコーヒーが合うという分析だ。

塩鮭に酸味の強いコーヒーがなぜ合うのか。フード・マッチング・システムの分析を詳しく見てみると、塩鮭は塩味は強いが、酸味は弱い。そこをコーヒーの酸味が補い味のバランスがよくなるのだと言う。

このマシンがあれば、これまで取引のなかった飲食店にコーヒーが売り込める。販路拡大の切り札だ。会場でこのマシンに興味を示した女性に出会った。福岡県から来ていた中野由香理さんだ。

飯塚市にある彼女の店は「カカオ研究所」というチョコレート専門店。カカオ豆から作る手作りチョコが売りで20種類が並んでいる。それぞれのチョコに合ったコーヒーを店で出したり、コーヒー豆をセットで売れないかと考えたのだ。

中野さんの店にUCCの担当者、営業の森崇江がやって来た。中野さんが試しに分析を頼んだのは3種類のチョコ。酸味の強いチョコに、苦みの強いチョコ、そしてスパイシーなチョコ。森は、それぞれに合うコーヒーを用意していた。フード・マッチング・システムが導き出した答えだ。

酸味の強いチョコレートには、苦みの強いコーヒーが合うと言う。続いてスパイシーなチョコにはコクのあるコーヒー。これには「ブルーチーズのような濃厚な味が出てきました」と、中野さん。マシンの分析によると、スパイシーなチョコは塩味が強い。コクのあるコーヒーは、酸味が強い。互いの苦味と旨みが合わさって、チーズのような味わいになったというわけだ。

「『この組み合わせがおいしい』というセットメニューを作ったら面白いと思いました」(中野さん)

チャレンジ精神に富んだ開発が、コーヒーの新たな市場を広げていく。



~村上龍の編集後記~ 

上島さんに質問した。「UCCは、缶コーヒーの優位性を失っても衰退しませんでした、なぜですか」。反応は興味深いものだった。質問の意味がわからないという表情になったのだ。

やがて「当社はコーヒーへのリスペクトが最優先なので、缶コーヒーの先行開発と大成功などで満足しないんです」。そんなニュアンスの答が返ってきた。びっくりした。

扱う商品へのリスペクトがすべてに優先する、そんな会社は強い。負けようがない。どんな成功にも満足せず挑戦を続けるというモチベーションを、常に、そしてごく自然に維持しているからだ。





<出演者略歴>

上島昌佐郎(うえしま・まさろう)創業者、上島忠雄の孫、現会長・達司の次男。1970年兵庫県生まれ。1993年、甲南大学卒業。1996年、UCC上島珈琲に入社。2013年、社長就任。