善光寺のお膝元から全国展開!創業282年 老舗七味店のフレキシブル経営/八幡屋礒五郎/読んで分かる「カンブリア宮殿」





唐辛子でヒット商品連発~客殺到の老舗七味店

お中元商戦が追い込みに入った東京の「西武」池袋本店。その一角のポスターに「『幸せ』に一番ちかい『辛』」の文字があった。この夏のお中元、「西武そごう」の目玉は、全国各地の名店の唐辛子を使った商品だ。

例えば、人気洋菓子店「ル・パティシエ・タカギ」がお中元用に開発した「神出雲唐辛子チーズケーキ」(5184円)。ピリッとした味の秘密は、かすかに見えるオレンジ色の粒、唐辛子だ。すき焼きの名店「浅草今半」からは、伝統の割り下に唐辛子を効かせ、黒毛和牛をピリ辛に煮込んだぜいたくなお総菜「黒毛和牛うまから仕立て」(5940円)。「神出雲唐辛子入のソーダ」、なんてものもある。

そんな中、ひときわ客を集めていたのが、創業282年の老舗、八幡屋礒五郎の七味唐辛子。赤い色の伝統の七味は「缶入り」が14g400円、「詰替え用」は18g378円だ。

この夏、八幡屋礒五郎と「西武そごう」がお中元用に共同で開発した「オリジナルスパイスの詰め合わせ」は6本セット(5400円)。ラーメンに合うという独自調合の七味は灰色でブラックペッパーが多め。イタリアンに合う七味にはパセリやバジルが入っている。

1736年創業の七味専門店、八幡屋礒五郎の本店は、缶にも描かれている長野県屈指の観光スポット、善光寺の門前にある。

大きな唐辛子が目印のにぎわう店内に入ると、客が手にしているのは伝統の七味。店の売り上げナンバーワンだ。だが本店には、他では手に入らない珍しい七味もある。「金箔七味」(12g864円、数量限定)は、定番の七味に金沢の金箔が入っており、お正月やお祝いの贈り物として人気。新発売の「七味ガラム・マサラ」(12g540円)は、家庭のカレーにふりかけるだけで、本格的なインドカレーの味に変わるそうだ。

そもそも七味は、漢方の原料を調合した日本特有のもの。今では各メーカーが売り出しているが、中身はそれぞれ結構な違いがある。

代表的な老舗の七味3つを比べても、東京・浅草「やげん堀」の七味は、関東の濃い味付けに負けないよう辛さを重視。2種類の唐辛子を使っている。一方、京都の「七味家本舗」では、関西のダシ文化に合わせ、辛さよりも香りを重視。シソや青海苔を加えている。八幡屋礒五郎の七味は、寒さ厳しい長野に合わせて、体を温めるという生姜が入っているのが特徴だ。

八幡屋本店には、客の好みに応じて素材を調合し、オリジナル七味を作ってくれるコーナーもある。素材は実に33種類。唐辛子だけでも辛さの違うものが7種類。中には「山わさび」や「すじ青海苔」などというものも。辛さも選べて、味も香りもお好み次第というわけだ。



七味からスイーツも続々~老舗七味店のイノベーション

本店の奥にはお洒落な「横町カフェ」がある。ここで出される「八幡屋のスパイス・ジェラート」というスイーツ(ダブル400円)には、色ごとに違う七味の素材が入っている。人気ナンバーワンは甘味のある「万願寺唐辛子」を使ったもの。ジェラートに、9種類が用意されている七味をかける食べ方が八幡屋礒五郎流。

 八幡屋礒五郎・9代目、室賀豊の前にあるのは、この夏の新作、「横町かき氷ゆずシロップ」(500円)。室賀は相性が分かっているかのように、迷わず山椒をかける。「山椒は柑橘系なので、爽やかな味になる」と言う。

創業282年の老舗を、室賀は斬新なアイデアで変革させた。その片鱗が、店内のスイーツのコーナーに。「七味ビーン・トゥ・バー・チョコレート」は、七味の素材が一つずつチョコレートに練り込んであって、味と香り、そして食感を楽しむことができる(各648円)。「七味マカロン」は、クリームがのったパステルカラーのかわいいマカロンだ(154円)。「自社で素材の栽培を始めたんです。自社で作ると、当たり前ですがすごくいいものができるんです」(室賀)

スイーツは、八幡屋が独自で開発した唐辛子から生まれたのだ。

長野市の中心部から車で30分の飯綱町に、11年前から始めた自社農場「八幡屋ファーム」がある。畑一面に育っているのが唐辛子。室賀が長年の苦労の末に開発した八幡屋のオリジナル品種だ。「ずっと信州大学と共同で品種開発して、ちょうど10年かかりました。『信八』という商標を取りました。信州の『信』に八幡屋の『八』です」(室賀)

白くて可憐な唐辛子の花が、秋には赤い実になる。唐辛子は暑い中南米が原産。それを、涼しい長野でも辛くて薫り高く育つよう、品種改良を重ねたのが「信八」だ。

唐辛子だけではない。畑のわきには山椒の実が。実は今、七味の素材の多くは海外産。室賀はそれを地元産に変えようとしている。畑の隣にある八幡屋の牟礼工場。乾燥させた唐辛子はここで加工される。まず種を取り、続いて焙煎機にかける。ここで香りが決まるという。そして機械で細かく粉砕する。

室賀の代になって、八幡屋は積極的に外に向かっている。JR長野駅の駅ビルにある信州土産を売るコーナー「信州おみやげ参道ORAHO」。そこにあったのが人気のスナック菓子、湖池屋の「カラムーチョ」の「スティックカラムーチョ八幡屋礒五郎七味唐からし味」(745円)。スティックタイプのポテトを八幡屋礒五郎の七味で味付けしてある。

ほかにも大手菓子メーカーとのコラボを仕掛けている。さらにファミリーマートとコラボしたお総菜「豚タン下の七味焼き」(298円)も、八幡屋礒五郎の味と名前を全国に広めている。

バラエティ豊富な七味と派生商品で、売り上げは右肩上がり。30年前、わずか9人だった従業員は、今や90人に増えた。



店ごとに異なるオリジナル七味~善光寺の門前から全国へ

東京・恵比寿にある評判の店、焼き鳥の「田崎」。開店と同時に満席になる。うまさの秘密は、岩手県産の南部どりを絶妙な火加減でジューシーに焼き上げているからだ。もう一つの秘密が、客がかけている七味。八幡屋礒五郎のものだが、ラベルが黒い。実は八幡屋がこの店のためにつくったオリジナルの七味。店の味に合わせて絶妙に調合されたものなのだ。

八幡屋は、いろいろな店の様々な料理に合わせた七味を作っている。例えば、辛さが決め手のタイ料理(東京・恵比寿「ガパオ食堂」)や、アメリカンスタイルの本格的なハンバーガー(東京・亀有「サード・プレイス・カフェ」)に合う七味など。サービス開始からわずか3年で、八幡屋のオリジナル七味は全国の約50店舗に広がった。

七味の販売は、江戸時代の初め、両国橋近くの薬研堀で始まったとされる。当時は漢方薬の一種として売られていた。その七味を1736年、善光寺の境内で、初代・室賀勘右衛門が売り出したのが、八幡屋礒五郎の始まりだ。当時は、露天に台を置き、客の注文に応じて調合していたという。

時代は下って大正時代。1923年、官営の八幡製鉄所が初の国産ブリキを製造すると、翌年、八幡屋礒五郎は早くもブリキ缶を取り入れる。デザインは6代目・栄助が自ら手がけた。

そして戦後の復興の足掛かりとなった特需景気に沸く1952年、八幡屋礒五郎にとっては創業以来の大きな出来事が。善光寺の門前に、露店ではない初めての店を構えたのだ。

「家業」から「企業」へ躍進~老舗七味店の奮闘記

1961年、室賀は八幡屋の9代目として生まれる。大学進学で親元を離れ埼玉へ。家業とは無縁のオートバイレースに熱中する。鈴鹿などでレースにも参加、プロのレーサーを目指したが、レース中に転倒、大怪我を負った。

レーサーの夢をあきらめ、室賀は1987年、26歳の時に八幡屋礒五郎に入社した。当時はバブルの真っただ中。世間はうたかたの夢に浮かれていたが、父・明が切り盛りする八幡屋はそんなご時世とは無縁だった。この時代になっても、たらいに七味を入れて、それを缶に一つずつ手作業で詰めていくという旧来のやり方だった。その姿を目の当たりにし、室賀は愕然とした。

「まるで江戸時代みたいな仕事ぶりだったので、これはちょっとどうかなと思いました」(室賀)

当時、七味を入れて缶にフタをした後、風味が逃げないようにフィルムで密閉していたのだが、この作業がまた荒っぽかった。七味を入れた缶を高温の炉の中で熱したら、なんと素手のままフィルムをかぶせ、熱で密着させていたのだ。さらに、熱しすぎて七味が黒焦げになってしまうことも少なくなかった。意を決した室賀は、父に「時代に見合った会社にしたい」と言った。

まず始めたのは、品質と効率面からの機械化。熱風でフィルムを密着させる機械を導入する。さらに、七味を小袋に詰めてから缶に入れることにした。これで風味が長期間保たれ、長野周辺に限られていた販路が大きく広がった。

次に目指したのは商品数の拡大だ。当時、八幡屋の商品は、小辛・中辛・大辛の3種類の七味だけ。そこで室賀は新商品の開発をはじめる。調合をさまざまに変えることで、辛さや味、香りが違ういろいろなバリエーションの七味を生み出す。さらに七味の派生商品も展開。すると、徐々に客が増えていったのだ。

2004年、社長に就任した室賀はさらに改革を進めていく。「いくら味が良くても、手に取っていただけないことには始まらない。そのためにはデザインが重要なので、力を入れているところです」(室賀)

室賀は新たにデザイン部門を設置。3人のデザイナーが商品、広告、ウェブなどのデザインを担当する。デザイン部門の壁に、緑の缶に「特急あずさ」のイラストが。これは今年、新型車両が登場したことで作られたイヤーモデル缶という、その年限りのデザイン。イヤーモデル缶は、毎年集める人もいる人気の商品になっている。

八幡屋礒五郎は、さらに新たな分野にも挑戦している。保湿効果のあるという七味素材のエキスを使ったリップやハンドクリームなど、コスメ商品まで展開したのだ。

常識に捕らわれない室賀の改革は、まだまだつづく。



日本三大七味店が強力タッグ~「SHICHIMI」を世界へ

京都・清水寺の近くに店を構える「七味家本舗」は1655年創業の老舗だ。外国人客も多い。男性客に店員がポットから注いだのは関西のダシ。ダシの本場・京都とあって、この店ではずらりと並んだ七味をダシに入れて、試してみることができるのだ。

 そんな「七味家本舗」に室賀の姿が。迎えたのは七味家本舗の15代目、福嶌良典さんだ。二人で連れ立って京の街へ。向かったのは、京都駅近くの「リーガロイヤルホテル京都」。ロビーで待っていたのは東京・浅草の「やげん堀」の10代目、中島徳明さんだった。七味発祥の店と言われる、1625年創業の「やげん堀」。昔ながらの調合スタイルを今も守っている。

実は今回、「日本三大七味店」と呼ばれる3社が、初めて手を組み、画期的なプロジェクトを始めようとしているのだ。温めていたプランを2人に披露する室賀。資料には「七味三都物語」と書いてある。室賀のプランは、3社合同でウェブサイトを立ち上げ、七味の魅力を国内はもとより海外に向けて発信していこうというものだった。最初は、もちろん日本語で制作をしていますけども、インバウンド向けに、これを英語、中国語、韓国語と、そうした対応をしていきたいと思っています」(室賀)

和食ブームを受けて、今や世界共通語となった「WASABI」(ワサビ)のように、「SHICHIMI」(七味)という言葉も世界に広めたい。室賀の提案に2人も前向きだ。「どういう風に打ち出していくか、1社で考えていると難しい部分があったりするので、3社でお話しすると、やっぱり心強いですね」(福嶌さん)

「『WASABI』同様、『SHICHIMI』がフェイスブックとかの公用語になってもらうとうれしい」(中島さん)

七味が世界の「SHICHIMI」となる日も近いのか。



~村上龍の編集後記~

「八幡屋礒五郎」が何よりも大切にしてきたのは「信頼」で、それが282年という歴史を支えた。「客が迷っていたら、小さいサイズを勧める」。これほど、利益より優先する何かを端的に示す言葉はないのではないか。

土産物としてスタートし、まず地域に愛される食品となり、今や知名度は全国に拡がる。

しかも、「発祥の地である善光寺でしか味わえないもの」を考え、同時に七味唐辛子が持つ可能性を追求する。

生存のために絶対必要な食品ではないかもしれない。だが、七味唐辛子のない世の中は、非常に寂しいだろう。

<出演者略歴>

室賀豊(むろが・ゆたか)1961年、長野県生まれ。1987年、八幡屋礒五郎入社。2004年、代表取締役社長就任。

(2018年7月12日にテレビ東京系列で放送した「カンブリア宮殿」を基に構成)