ダシを支える老舗に学ぶ、時代を生き抜くサバイバル術・にんべん/読んで分かる「カンブリア宮殿」

和の味には欠かせない、創業318年の老舗企業

東京・日本橋。問屋などが集まっていた古くからの商業地には、今も老舗が軒を連ねている。

創業300年を超える「山本山日本橋本店」。江戸時代、煎茶の販売から始めた店は今や海苔の名店。有明海などの全国の産地から厳選した極上品の海苔で評判を作ってきた。創業200年の飴の店「榮太樓總本鋪日本橋本店」も、昔から変わることのない高温の直火で煮詰める伝統製法で、江戸っ子に愛された味を守り続けている。

そんな日本橋の老舗の中でも古参として名高いのがにんべん。日本橋本店には、和の味に欠かせない「縁の下の力もち」が揃う。

ずらりと並んでいたのはいろいろな種類の鰹節。削り方だけでも「糸削り」に「ソフト削り」、安くて濃い出汁がとれる「けずり粉」……。鰹出汁の「つゆ」の商品も数多くそろっている。創業は1699年。にんべんは鰹節一筋で実に318年の歴史を重ねてきた超老舗企業だ。

店の一角には鰹節を削っては詰めるコーナーも。その場で削りたてを買うこともできる。今ではあまり見かけなくなった一本売りの鰹節もある。本枯れ節という最高級品で、一本2000円ほど。店内には「鰹節を身近に感じて欲しい」と設けられた削り節の体験コーナーもある。

日本の鰹節の生産量は年間4万トンから2万7000トンへと、この10年でかなり減った。そうした中にあって、にんべんは売上げを大きく落とすことなく維持してきた。

にんべんが安定した売上げを保つ大きな理由のひとつは、オレンジ色のラベルでおなじみ、「つゆの素」という売れ続ける商品があるからだ。「麺つゆ」部門で東京では売上げシェア1位。50年以上続くロングセラーだ。

違いは品質にあり~客を離さない鰹節の秘密

にんべんが客を離さないもう一つの理由は、鰹節の品質にある。看板商品の「フレッシュパック」は、一般的な削り節と原材料が違う。パッケージの裏には「かつおのかれぶし」と書いてある。この枯れ節こそ、にんべんのこだわりなのだ。

枯れ節はカツオの水揚げ量日本一の静岡県焼津市で作られている。老舗鰹節メーカー「山七」。60年以上に渡ってにんべんの鰹節を作ってきた協力メーカーだ。

捌いたカツオを2ヶ月間、「燻しては乾燥させて」を繰り返して作るのが「荒節」と呼ばれる鰹節。スーパーなどで売られている削り節の8割にこの荒節が使われている。にんべんがこだわる枯れ節は、荒節にさらに手を加えたもの。ポイントは吹きかける「鰹節カビ」。表面についたカビが内部の水分を吸い取り、旨味を濃くしてくれる。

「荒節で22%あった水分量を15%に落とすので、より美味しくなります」(「山七」の鈴木隆社長)

大半の削り節は荒節から作られるが、にんべんの「フレッシュパック」はカビ付けを3回繰り返した枯れ節を使用。これが品質の差を生むのだ。

にんべんの枯れ節はプロの料理人にも認められている。

東京新宿区の出汁が売りのしゃぶしゃぶ専門店「出汁しゃぶ おばんざい おかか」では、にんべんの枯れ節の中でも最高峰、本枯れ節を店で削って使っている。

しゃぶしゃぶのベースの出汁は鰹や昆布の合わせ出汁。この店ではさらに、削りたての本枯れ節を入れてくれる。鰹出汁の濃厚な旨味を、これでもかとプラスした出汁になる。

「にんべんさんの枯れ節は雑味が少ない。雑味があるとそれが料理の邪魔をしてしまうので、にんべんさんの枯れ節を使用させて頂いています」(統括マネージャーの齊藤康平さん)

プロも認める品質を守る専門の職人もいる。焼津市のにんべん大井川事業所で、耳と目で鰹節を診断するのは、目利き一筋25年、原料部の塚本辰弥。塚本が太陽光に鰹節を当ててそのシルエットを観察し始めた。内側に隙間ができていると、内部が酸化して味が落ちてしまうと言う。隙間ができる鰹節は全体の2割ほど。目利きしてはじく、番人の役割は大きい。

「美味しくなかったら問題外。出すわけにはいかないですね」(塚本)

圧倒的な手間と時間、そしてプロの仕事で、にんべんは信頼の品質を守ってきた。



家庭の味が変わる~老舗が仕掛ける新戦略

一方でにんべんは、家庭ではほとんど使われなくなった一本物の鰹節を紹介し、その魅力を伝えようと、小学校を回る活動も行なっている。13代当主、髙津克幸は、「昔のように鰹節を毎日、家で削ることが少なくなっているので、鰹節を使う機会や食べていただく機会そのものを作り出さないと厳しいと思います」と、現状に強い危機感を持っていた。

もっと鰹節を美味しいと感じる機会を。そんな思いから髙津が作った店がある。「日本橋だし場」。「だし場」と書いて「だしバー」と読む。

立ち飲みのバーのような店内で客が味わっているのは、味付けしていない鰹の一番出汁、一杯100円。好みで塩や醤油を足して味わう。日本初の出汁のスタンドバーだ。

さらに3年前には「日本橋だし場 はなれ」という飲食店もオープンさせた。昼時はいつも満席状態となっている繁盛店だ。

人気メニューの「だしスープ膳 鶏団子のポトフ」(950円)は、お椀に入った鶏団子入りのポトフ。普通ならコンソメを使うところだが、最上級の本枯れ節からとった出汁で仕上げている。

鰹出汁で炊いたご飯にトマトソースやチーズを合わせた「トマト仕立て海老とあさりのドリア」(1200円)はドリア風炊き込みご飯。トマトと鰹の旨味成分が合わさると、相乗効果で美味しさが何倍にもなるという。鰹出汁は和にとどまらず、いろいろな料理に合うことをアピールする場になっている。

さらに鰹出汁料理の食べ方の提案も。「だし炊き込み御膳 鶏とごぼうの炊き込みご飯」(1800円)は、普通に食べても美味しいが、二杯目は鰹出汁をかけてお茶漬け風にするのがお勧め。ちなみに削り節はかけ放題だ。 

「美味しいであったり、楽しくワクワクして笑顔になるような、どなたでも簡単に本物の出汁を味わっていただける場を作りたかったんです」(髙津)

300年以上の歴史を持つ超老舗企業が、常識にとらわれず動き始めている。

スイーツにも鰹節?~挑戦の連続だったにんべんの歴史

鰹節の需要が減っていく中で、にんべんは今までなかった鰹節の商品を続々と開発している。「手巻きかつお」(368円)、「食べるうまみチップス」(378円)……「だしおこげ(江戸前醤油・味噌)」(399円)は、鰹出汁の特製ダレをたっぷり塗って焼き上げた焼きおにぎりのようなおせんべい。「みたらしバームクーヘン」(1296円)は、看板商品の「つゆの素」で作ったみたらしをコーティングしたバウムクーヘンだ。

こうした実験的な商品を直営店で販売し、お客の反応を見ているという。

「これらはメインではなく、きっかけとして手に取っていただく入口の部分だと思います。美味しいと思っていただければ、実際の鰹節に戻ってきていただければ」(髙津)

実はにんべんの300年の歴史も新しい挑戦の連続だった。

にんべんの創業者は伊勢出身の初代・髙津伊兵衛。江戸中期の元禄時代、日本橋で始めた鰹節を中心とした乾物屋がにんべんの始まりだ。

店の名前は、伊勢出身の伊兵衛ということで「伊勢屋伊兵衛」に。店の印は伊勢の「伊」、伊兵衛の「伊」から「にんべん」を採用。その印を見た江戸町民が「にんべんさん」と呼ぶようになり、やがて今の社名となった。

にんべんは初代の頃から新しいことをやっていた。その証が店舗の壁に残っている。書かれていた文字は「現金掛け値なし」。店が客を見て値段を決める時代に、どの客にも同じ値段で売る商いのやり方だ。三越の前身、越後屋が始め、伊兵衛もいち早く取り入れた。

江戸後期には、世界で初めて商品券に当たるものを発行。好きな時に鰹節が買えると、贈答用に重宝されたという。

昭和の時代も、にんべんは常識を覆す商品を作る。それが「つゆの素」。当時業界では、鰹の天然出汁は足が早いため、麺つゆに使うのは不可能と言われていた。しかしにんべんは独自の殺菌法や調合の割合の工夫などで問題を克服。日本初となる鰹の天然出汁のつゆを作り上げた。

さらに今では当たり前となった、小分けパックの削り節「フレッシュパック」にもにんべんの発明が。鰹節は封を開けると、どうしても酸化し味や風味が落ちてしまう。そこで小分けしたパックに窒素ガスを入れ酸化を防ぐ、日本初の使い切り商品を考案したのだ。

こうした挑戦を積み重ね、にんべんは押しも押されもせぬ老舗の地位を確立した。

広がるダシの可能性~新商品開発で鰹節を守れ

現社長の髙津が入社したのは、バブルが崩壊し売り上げが低迷し始めた1996年。この時、髙津は大きな危機感を感じたと言う。

それは本店に足を運んだ時のこと。店内を見回すと、高齢の常連さんが数えるほど。しかも扱っていたのは値の張る贈答用の商品ばかり。一部の客しか相手にしていない店だったのだ。昔ながらの老舗の商いを目の当たりにして、髙津は「このままでは会社の未来はない」と思った。

現状を打破すべく、髙津は新たな路線を打ち出す。それが若い人にも気軽に手にとってもらえる、これまでなかった家庭用鰹節商品の開発だった。

その中から大ヒットにつながりそうな商品も生まれてきた。その1つが「薫る味だし」(13袋1080円)。中身は出汁パックだが、従来のものとは違う。本枯れの鰹出汁に加え、醤油や砂糖などの天然調味料も入っている。だから、これを入れるだけで簡単にプロ顔負けの料理が作れる。味付けはしなくてもいい、忙しい主婦の味方だ。

パッケージの裏には「チャーハンや雑炊に」とも書いてある。パックの中身を出せばそのまま調味料として使え、美味しいチャーハンができあがる。独自の乾燥法で仕上げているので、香りが飛ばず、風味良く仕上がると言う。

こうした新商品の開発は常に続けられている。

「鰹出汁は出汁パックや液体調味料がほとんどですが、それ以外で鰹節を使った新たな商品を広げていきたいと思っています」(髙津)

新しい時代には新しい食べ方を。あらゆる可能性を探り、鰹節を守ろうとしている。

ライバル企業も感謝~業界を救った世紀の発見

生き残りに必死の鰹節業界で、にんべんは特別な存在になっている。

明治時代から鰹節を作っている、にんべんのライバルに当たる老舗鰹節メーカー、焼津市の「シーラック」。望月洋平社長はにんべんに心から感謝していた。

「にんべんさんがなければ、今の鰹節業界の発展はなかったのではないかと思っています。私どもはその“菌”を使って商売をさせて頂いておりますので」

埼玉県川口市にあるにんべん研究開発部。その菌はにんべんの自社研究所で特定された。

かつての枯れ節作りは、建物に住み着いているカビ菌が自然に付くのを待っていた。菌は様々で、香りや味もバラバラだった。それを今から35年前、にんべんは枯れ節作りを安定させる優良な鰹節カビの菌の特定に成功したのだ。

最適な菌を探し出したのは研究一筋40年の荻野目望。「当時、研究している人はほとんどいなかった。誰に聞くこともできないので、いろいろな本を読みながら試行錯誤して、まさに地道な作業でした」と言う。いろいろな鰹節の菌を培養し、また吹き付けて結果を見る。これを5年続け、荻野目は答えを出したのだ。

荻野目は、当時社長だった12代当主の元に喜び勇んで報告しに行ったと言う。先代社長はその報告を喜んではくれたのだが、その後、信じられない言葉が返ってきた。

「よく頑張ってくれた。ではすぐに他の会社にも教えてあげなさい。お金は取らなくていいから」

5年がかりの研究の成果を公表し、ライバル企業にも無料で使えるように指示したのだ。

「正直、びっくりしました。もったいないなと思いました。ただ鰹節の場合、一社が良くても他の会社が変なものを出したら、消費者に『鰹節なんてそんなもの』と思われてしまう」(荻野目)

この懐の深い決断から、それまで多かった枯れ節の不良品が激減。より味のいい、高品質な鰹節が業界全体を通して作られるようになっていった。

スタジオで老舗企業が生き延びるために必要なことを問われた髙津はこう答えている。

「そもそも老舗企業だとは思っていません。お客様から認めていただけて初めて老舗なので、お客様に認めていただける存在でいたい。そういったことにチャレンジしていく、そういう姿勢でいたいと思っています」

~村上龍の編集後記~ 

「鰹節」は、世界一硬い食材らしい。恐ろしく手間がかかる製法で作られる。

近年、冷凍、レトルト、インスタント食品、それに電子レンジなどが開発され、食生活の効率・利便性を飛躍的に向上させた。

だが、代償も少なくなかった。「手間をかけた食材、料理だけが持つ暖かみ」のようなものだ。

「にんべん」は、手間を惜しまない製法に、独自の工夫を加えることで、318年という長い歴史を築いてきた。

わたしは、「にんべん」のシンボルマークを見るだけで暖かい気分になる。

創業以来の理念と、後継者たちの努力が凝縮されているからだろう。

<出演者略歴>

髙津克幸(たかつ・かつゆき)1970、東京都生まれ。1993年、青山学院大学卒業後、高島屋入社。1996年、にんべん入社。2009年、代表取締役社長に就任。