根室のスナック店主が大逆転!回転寿司「根室花まる」/読んで分かる「カンブリア宮殿」

絶対食べたくなる回転寿司~根室発!未体験の一皿300円

東京駅の前にそびえるのは、およそ90年前に建った中央郵便局のビルを建て替えた商業施設「キッテ」。館内には人気の店がずらりと並んでいる。そこに突然の大行列を発見した。待ち時間は実に1時間半。「根室花まる」という回転寿司の店だ。

次々と売れて行く寿司は平均1皿300円程度とちょっと高めだが、どれも新鮮でおいしそうなものばかり。でも売りはそれだけではない。

威勢のいい掛け声でレーンに流し始めたのは、「あぶらがれい」(270円。季節や店舗によってネタの種類や価格は異なる)。ぷりぷりで肉厚の白身に、驚くほど脂がのったカレイの一種だという。「こまいの子醤油漬け」(270円)は、コマイという魚の卵を醤油漬けにしたもの。ここは未体験の味わいばかりだ。

「紅鮭すじこ醤油漬け」(345円)は、自家製の醤油で漬け込んだスジコ。プチプチの食感と独特の甘みも他にないものだ。さらに軍艦に乗った黒っぽいものは「たらばがに外子」(410円)。タラバガニの卵だという。そして職人さんが握り始めたのは、見たこともないここだけのネタ。カニのお腹の肉を使った珍味「たらばふんどし」(345円)だ。

寿司だけではない。「花咲蟹の鉄砲汁」(345円)で使うのは、北海道周辺でしか獲れない花咲蟹。コクと甘みがあり、絶品の出汁がとれるという。

実は見たことのないネタの多くは根室近海の魚。「根室花まる」は、根室にこだわり抜いた今までにない回転寿司で客の心を掴んでいるのだ。

北海道の東端にある根室市。歯舞漁港に上がる魚は確かに他とはかなり違っている。オヒョウ、メヌケ、オオカミウオ……驚くほど珍しい魚が集まる理由はその環境にある。

北海道の北からオホーツク海へ流れ込む暖流。そして太平洋から来る親潮。根室の周辺は、そんな2つの海流が混ざり合う特殊な海域なのだ。市場関係者は「境目にあるので魚が豊富。日本とロシアの境界線を越えると拿捕されることもある。手のかかっていない水域なので、魚の来遊量が多いのもあると思います」と言う。

そんな根室に通い詰めるのは、「花まる」を運営する株式会社はなまるの“目利き”2人。仕入れを任される、元板前の商品開発課・藤谷一樹と仕入購買課・塩谷宗一郎だ。根室近隣の漁港をしらみつぶしに回り、他にないうまい魚を買い付けていく。「市場に通っているうちに、会話の中から『こんなものがあるよ』と情報が出てくる」と言う。

この日、海沿いを車で走る2人に、珍しい魚が上がったとの情報が。すぐに急行したのは日高中央漁協。待っていたのは、鯛を超える味とも言われるマゾイだった。

量が少ないため、買い手がつかなかったという。早速さばいて、味を確認。「花まる」の味を決めてきた藤谷の評価は「うまい。『ぜひ』という感じです」。商談成立。量が少なくても、はなまるは他にはないおいしい魚の仕入れにこだわるのだ。

そんな2人が教えてくれた、とっておきの仕入れ先が「松田商店」。ところ狭しと並ぶ水槽は、はなまるに魚を卸している松田英照さんの生け簀だ。おいしい魚にするため、「普通の海水ではなく、水を少し変えて5日間から1週間くらい水槽に入れます。身痩せや身の緩みをなくすためです」(松田さん)と言う。東京の高級店にも直送している「松田商店」の噂を聞きつけ、はなまるも2年前から取引を始めた。

「一般の魚よりは価格が2~3割は高いと思うんです。逆に回転寿司という業態でよく使えるなと思って」(松田さん)

時には採算度外視でもうまい魚を仕入れる。そんな戦略が大行列を作り、その絶品の味で客を掴んで離さないのだ。

復活する回転レーン~客が寿司を取りたくなる秘密

「花まる」の本拠地は札幌にある。全国に14店舗をかまえ、年商35億円。どの店も驚くほどの行列を作っている。

はなまる社長の清水鉄志によれば、「根室花まる」のネタは、清水にとっては珍しいものではないという。「ふんどし」は、「根室では昔、カニの腹肉をむしゃむしゃ食べていたんです」。タラの頭で出汁をとった「三平汁」も「子どものころしょっちゅう食べていた」。

清水は根室の漁師の家に育った。自分が子どもの頃から食べ慣れてきた魚を客に味わってもらうのが、清水のこだわりなのだ。

もうひとつ、清水がこだわってきたのが回転するレーンだ。実は最近、大手の回転寿司は新業態を続々と開発。注文したものだけを届ける、レーンが回転しない店が増え始めている。注文の全てがタッチパネルで行われ、店員の姿もほとんどない、まるで無人のような店も。回転寿司は、廃棄ロスを生まないようにレーンに回す皿の数をコントロールするのが難しく、敬遠されているのだ。

そんな流れに真っ向から反発、「花まる」は“回転”にこだわっている。

「タッチパネルで楽しいわけがないじゃないですか。回転することによって目移りするのが楽しい。どれにしよう、どれにしようと。ショッピングってそういうもの。みんなが諦めたからやる価値はあると思います」(清水)

確かに「花まる」のレーンの皿には面白いように客の手が伸びていく。そこには客が取りたくなる秘密があった。

客に「取りたい」と思わせる上で最も重要なのが、鮮度よくおいしそうに見えること。そのため「花まる」では、客に見えるところで魚をさばくことにこだわっている。目の前でおいしそうな寿司が次々とできていく様子を見ていると、ついつい手が伸びてしまう。「出汁巻玉子」(270円)も目の前で作り、熱々のままレーンにのせていく。

もうひとつの寿司をなぜかとりたくなる理由が大勢の寿司職人たち。社員として育て上げられた彼らは、回転寿司専門の寿司職人だ。手慣れた手つきで寿司を握ると、レーンに置く前に握りたてが完成したことをアピール。これで客の手が伸びる確率が格段に上がるのだという。

レーンに皿を置く位置にもノウハウが。興味を持った客の40センチ川上へ置くのがいいそうだ。思わず食べたくなる新鮮な寿司を、客の気持ちに寄り添って流していく。これがはなまる流の回転寿司だ。

スナック店主からの大転換~根室に感動回転寿司が誕生するまで

札幌市のはなまる本部。清水の元に一匹の魚が届いた。まだ産卵前の脂が凝縮されている鮭、トキシラズ。旬の魚として扱いが始まったこの時期、「花まる」ではいつ提供を始めるのか。送られてきた魚を試食し、清水が最終判断を下す。この日は「まだ脂が少ない」と、先送り。わずかな味の違いでも、清水は妥協しない。

清水は、店を良くするためならどんな小さな改善も惜しまず、努力してきた。日々欠かさない店舗回りでは、その店の問題点を次々にメモしていく。「もっとレーン上の皿の適正な数を考えろ」というメモを、なんと皿に乗せて流す清水。専用レーンで、営業中でも、ほんの些細な改善点を次々に現場へ伝えていく。

「細部の1個はそんなに意味がないかもしれません。でも、細部と細部と細部になると、雰囲気も変わってきたり、トータルでお客様はなんとなく感じる。そういう細部の改善の積み重ねが重要だと思っています」(清水)

1952年、根室に生まれた清水は、子どもの頃から赤面恐怖症だったという。ところが、そんな清水が憧れたのは大好きだった落語家。とにかく人々を喜ばせたかった。

19歳の時、東京へ。しかし、ある落語家を訪ねるも、弟子入りを断られて劇団員になるなど、その日暮らしの生活だった。

結局、何もモノにならず、1977年、再び故郷へ。働き口のあてもない清水は、借金をしてスナックを始める。相変わらず人と喋るのは苦手だったが、東京のスナックでアルバイトをした経験もあり、見よう見まねで頑張った。くる日もくる日も食べていくために働き、いつしか40歳となっていた。バブル経済がはじけ、寂しさを増す根室の町。清水の中に、なにか説明のできない漠然としたわだかまりが、芽生えていた。

「自分の人生はこれでいいのかなという思いがふつふつと湧いてきて、何のために自分は活きているんだという根源的なことを悩んでいたような気がします」(清水)

寿司が崩れる回転寿司店を繁盛店に変えた魔法の言葉

そんな清水の人生を変えたのが、出張先の街で出会った初めて見る店、回転寿司だった。興味本位で入ってみると、にぎわう店内では色とりどりの寿司が回っていた。何よりも清水の目を釘付けにしたのが、幸せそうに食事をする家族連れの姿だった。

「本当にお客さんが楽しそうでした。これは根室の人々が待っている。本当に『待っている』と思ったぐらいです」(清水)

そして1994年、清水はスナックをたたみ、根室に回転寿司「花まる」をオープンさせる。しかし店には、回転寿司の経験がある従業員はいなかった。開店後しばらくは、まともな寿司を出すことさえできなかった。あっという間に苦境に。崩れた寿司が、回り続けていた。

苦境の清水を励まし続けたものがある。それが今も心に留め続けているという京セラ創業者・稲盛和夫の「誰にも負けない努力をする」という言葉だった。

清水は、他の町の回転寿司に教えを請い、自ら修業を開始。少しずつ店を良くするための努力を重ねた。根室界隈の魚市場を回り、他にない、少しでもいい魚を仕入れられないかと模索した。もっと新鮮な寿司を提供できる方法はないか。回転寿司の良さを楽しんでもらうには何を改善すればいいのか。

「お客さんがどういうものを望んでいるかを一生懸命考えながら、少しずつシャリ、ネタから創意工夫、改良改善を重ねていきました」(清水)

次第に客が増え、ようやく札幌への出店を果たした時に気づいたのが、地元ではあたりまえだった根室の魚を、客が思いのほか喜ぶ光景だった。こうして清水は、誰にも負けない努力を積み重ね、「根室」の文字を掲げた今までにない回転寿司を作り上げたのだ。

全国に繁盛店が続々~逆境から成功を生む“教え”とは?

はなまる本部の一角に大量に貼ってあるのが、清水が大ファンだと公言してはばからない稲盛和夫の写真だ。年商1兆4000億円の京セラを1代で築いた稲盛。その伝説的手法は、全国の経営者から経営の手本として学ばれるほど。自ら主催する経営塾「盛和塾」の会員は、既に1万人を超えている。

清水が根室に「花まる」をオープンしたばかりの頃、たまたま手に入れたのが、稲盛の講演を録音したカセットテープだった。清水は尋常ではない聞き方をしたという。

「カセットに顔がくっつくようにして、朝9時から夜中の12時まで、1ヶ月以上聞いていたような気がします」(清水)

稲盛の教えが、確実に花まるを客が来る店へと変えていったという。他にも稲盛を師と仰ぐ経営者には様々な成功事例がある。

銀座の裏通りにある「銀座のジンジャー」。店内は客で満席だ。客のお目当ては、フルーツジャムをふんだんにかけたかき氷。他にないおいしさの秘密は、隠し味にしょうがを入れた甘辛い特製ミルクだ。この店を作ったのは、長年、金沢で果物農家を経営してきた「ぶどうの木」の本昌康社長だ。親から引き継いだ農園の横にカフェを作ったのを皮切りに、今やレストランなど30店舗以上を展開。東京に店を持つまでになった。

そんな本さんの成功を支えた稲盛の教えが「絶えず現場に足を運ぶことで、ヒントを見つけ出すことができる」だった。確かに本さんは、暇さえあれば現場に足を運び、社員や客と様々な会話をすることに時間を費やしている。

「大事なのはお客様の声に耳を傾けることと、スタッフの声に耳を傾けること。自分の思いだけでやっていたらこうはならない。稲盛さんとの出会いがなかったら、今日はなかっただろうと思います」(本さん)

人気のかき氷も、地元の名産であるショウガを使って何かできないか、社員と雑談する中で生まれたという。

一方、奈良市にあるのは、遠方からも客が詰めかけるおいしいパン屋の「アルペンローゼ」。経営するのは坂本輝雄さん、美幸さんの夫婦だ。厳しかった経営を乗り越え、今や3店舗を構えるまでになった。

そんな成功を支えた稲盛の教えが、「自分の利益だけでなく、相手も利益が得られるように考える」だった。この店の売りは、保存料を一切使わない無添加の体にやさしいパン。無添加のパン作りにこだわったきっかけが、稲盛の言葉だった。どうすれば客の利益になるのか、そう考え続けた結論が、体にやさしいパン作りだったのだ。

「自分の利益の前に、お客様に喜んでいただく。一番大切なのはお客様の体を守る食べ物だということ。その後で利益をいただけたら、と」(美幸さん)

~村上龍の編集後記~

清水さんと話していて、子どものころを思い出した。故郷、佐世保は海産物が豊富だったが、寿司屋には縁がなかった。庶民には縁遠い場所だった。回転寿司が革命を起こした。「今、生き残るには、客を驚かせるのではなく、信頼を少しずつ積み重ねるしかない」

誠実な言葉だ。開店当初、無骨で無口な夫が妻と寿司を食べに来て、三日目に二人に会話が生まれ、とてもうれしかったというエピソードが、「はなまる」の経営姿勢を物語っている。

「客が喜ぶ姿を見たい」 清水さんは、おそらく今でも、そのことだけを考えているのだと思う。

<出演者略歴>

清水鉄志(しみず・てつし)1952年、北海道根室市生まれ。高校卒業後、上京。1982年、根室に戻りスナックを開業。1994年、「花まる」1号店開業。2013年、東京進出。