サラダチキンから銘柄鶏まで!「ひと手間経営」で躍進する鶏カンパニー・アマタケ/読んで分かる「カンブリア宮殿」

同じようでも全く違う~大人気サラダチキンの秘密

鶏肉が大ブームだ。その年間消費量は164万トン(2016年)で、5年前に豚肉を抜き、日本人が一番食べている肉になったのだ。

そんな鶏肉人気を見逃すなと、コンビニ業界で新たな戦争が勃発した。コンビニ各社が今、しのぎを削っているのがサラダチキン。ナチュラルローソン商品部の堀江陽子さんは「2014年から展開させて頂きまして、去年のところで約7倍の売り上げを誇っている、ローソンとしても欠かせない商品になっています」と言う。

サラダチキンとは、鶏のムネ肉を味付けして加熱した総菜のこと。ひとつ丸々食べてもカロリーはおにぎりの半分ほどと低カロリー。それなのに高タンパクとあって、今やヘルシー食材として、ダイエット中の女性からアスリートまで、幅広い層から注目を集めている。そのまま食べてもおいしいが、様々な料理の具材としても使われている。

様々なメーカーが市場に参入するなかで、人気が高いのがアマタケのサラダチキン。日本で初めてサラダチキンを作ったメーカーだ。

人気の秘密は他のメーカーとは全く違う作り方にある。まずは味付け。多くのメーカーは、鶏のムネ肉を調味液に漬け込んで味を入れていくが、アマタケはここに「ひと手間」を加える。中が真空になるという機械にかけるのだ。

「真空状態にすることによって中の気圧が低くなりますので、そうするとお肉が膨張します。膨張するときにちょうどタレの味がきちんと染み込んでいく」(多賀城工場長・井上彰)

こうして鶏肉の表面だけでなく、中までしっかり味をしみこませているのだ。

もう一つは、他のメーカーのものは肉から水分やうま味が出てしまっている場合が多いのに対して、アマタケのものはほとんど水分が出ない。加熱の仕方でこの差が出るという。

多くのメーカーはまず生のままパックし、それを加熱しているが、アマタケではパックする前にスチームオーブンで焼く。300度以上に加熱した水蒸気で表面を素早く焼き上げることで、肉汁をしっかり閉じ込め、うま味も逃がさない。だから表面はこんがり、中はジューシーな仕上がりになるという。

ひと手間かけるから味が違う。これが消費者の支持を集め、今や年間1100万パックも売り上げている。



No1ブランド鶏で快進撃~鶏肉ブームの仕掛け人

アマタケの人気商品はサラダチキンだけではない。神奈川県逗子市のスーパー「スズキヤ」では、鶏肉の試食販売をやっていた。100グラム188円の鶏モモ肉。普通は130円前後だからちょっと高めだが、「煮込みすぎてもやわらかいまま」と、熱烈なファンがついている。アマタケが誇るブランド鶏「南部どり」だ。

「南部どり」は2つの品種を掛け合わせたブランド鶏だ。オスはうま味が濃いフランス原産の赤鶏。メスは肉質が柔らかい国産の白いニワトリだ。村上守弘専務は「ちょうどいい歯ごたえとうま味がミックスされて、それぞれのいいところを取って掛け合わせたということです」と説明する。

アマタケの本社があるのは岩手県・大船渡市。「南部どり」はその大船渡から車で2時間近く離れたところで育てられている。

「渡り鳥や雑菌がないところ。自然豊かな岩手の空気とおいしい水をたどって山奥を探して選んだ」(村上)と言うように、雑菌を運ぶ渡り鳥も、人もほとんど来ない山奥にその鶏舎はあった。外から菌を持ち込まないように車も人も消毒。徹底的に衛生管理された鶏舎に「南部どり」のヒナが持ち込まれ、およそ50日間、飼育される。

アマタケはこの「南部どり」を実現不可能とされた方法で育てている。抗生物質などの薬を一切使用しない「完全無薬」での飼育だ。

「食べた人の健康を考えたそういう鶏を育てようと安全を徹底的に追求している」(村上)

通常、ニワトリのエサには抗生物質や合成抗菌剤などの薬が入っている。しかし、アマタケではそうした薬は使わず、かわりに抗菌作用のある納豆菌や乳酸菌など、自然由来のものを配合している。

さらに寒さというストレスをかけないため「床暖房」を採用。これにはもうひとつ、「鶏糞がサラサラな状態になります。水分が高いと菌が発生しやすい。これを乾かすことによって菌の発生を抑える」(村上)という目的がある。こうして清潔に保つことも、薬を使わない飼育法のひとつなのだ。

千葉市の幕張メッセで2月、食品業界最大の展示会「スーパーマーケット・トレードショー2018」が開かれていた。大小500のメーカーが自慢の新商品を披露するこのイベントに、アマタケのブースもあった。アマタケがアピールしていたのは、この春から売り出す新商品、パックした鶏肉だ。

4代目社長の甘竹秀企(52)は、「お肉の売り場を開店と同時に整えようとすると、朝早くからパートの方に来ていただかないとダメじゃないですか。それが今なかなかできないんです」と言う。通常、パック作業は店側がやるが、どこも人手不足。悩む店の代わりにアマタケがやることで、販路を広げようという戦略的な商品だ。

従業員は約480人、年商103億円。鶏の生産から精肉、加工までを展開する鶏肉の総合メーカー・アマタケは、業界では中堅ながら革新的なビジネスを展開している。

アマタケ挑戦の歴史~震災がすべてを奪い去った

アマタケのヒット商品のひとつ、合鴨の「岩手鴨鍋セット」(754円)。大阪の生協「パルコープ」で扱っているが、「パルコープ」の鍋セットの中では2位の30倍、年間15万セットも売れる。アマタケでは30年以上も前から合鴨の飼育、加工販売に挑戦。今や国内シェア1位だという。

「新しいことをやってみたいという思いが当時ありまして、一般の方にはなじみは牛豚鶏と比べると少ないが、第4の畜種として挑戦したくて始めたのがきっかけです」(甘竹)

そんなアマタケの歴史は、まさに挑戦の歴史だった。創業は1964年。秀企の祖父・久が起こした家畜の飼料の販売会社が始まりだ。やがて久は養鶏や鶏肉の販売まで事業を拡大。鶏肉総合メーカーへの礎を築いた。

3代目は父の秀雄。不可能とされていた薬を全く使わない鶏の飼育法に挑戦。1999年に実現させた。

そして2004年、社長に就任した甘竹秀企の挑戦は味の改良だ。そのためにフランスから赤鶏を導入した。飼育法を一から見直し、多くの時間とコストをかけ、現在の「南部どり」を作り上げたのだ。

「生産性とかコストよりも、何よりもおいしい鶏を育てたい。そのために手間暇かけて育てています」(甘竹)

それぞれの代で新たな道を切り開き、成長を続けてきたアマタケ。しかし2011年3月11日に発生した東日本大震災で、大船渡は高さ17メートルもの巨大津波に飲み込まれた。海岸から2キロ離れたアマタケの本社も例外ではなかった。悪夢のような津波がアマタケのすべてを奪い去ったのだ。

本社と3つの工場は壊滅状態に。さらにエサが供給できなくなったため、100万羽を殺処分せざるを得なくなった。

「会社を見た瞬間は『もう終わったな』というのが最初の印象です。工場も中に車が突っ込んでいて、『よく崩れないな』という状況でした。ここで事業を再開するのは無理だろうなと思いました」(甘竹)

社員の頑張りで、4ヶ月後、本社工場だけはなんとか再開した。だが、原発事故の風評被害が岩手まで波及し、「大変なんてものではない。作った量の半分も売れない。4割くらいしか売れなかった」(甘竹)。商品が売れない上に復旧費用もかさむ一方。アマタケは倒産寸前にまで追い込まれた。



売り上げ10倍を実現~危機を脱した感動秘話

そんな窮地に手を差し伸べてくれたのがモスバーガーだった。創業者がともに大船渡出身という縁もあり、アマタケに声をかけてくれたのだ。

「外食業界でも、アマタケさんはいい意味で違うと思っていました。『我々で何かできないか?これから考えます』ということで、商品開発をすることになったんです」(モスフードサービス・櫻田厚会長)

震災から半年後、モスバーガーは「南部どり」を使ったハンバーガーを売り出してくれた。これがわずか1ヶ月で45万個を売るヒットとなった。

「すごく助けになりました。何よりも社員の意識。やはり商品が売れなくて沈みがちだった。それがお店に行けば『南部どり』という名前があるので、社員もすごくうれしいですから」(甘竹)

これを足場に反転攻勢をかけたいアマタケは、消費者の声を聞こうとアンケートを実施。するとそこに意外なヒントが隠されていた。客の多くはサラダチキンの皮を取って食べていたのだ。甘竹はそれを聞き、「最初から皮を取ったほうが売れるんじゃないか」という考えが浮かんだ。

しかし、社内からは一斉に反対の声があがった。営業担当役員の鈴木和明は、「皮を剥ぐということは、もっと商品にパサつき感が出る。バイヤーさんや消費者の方にも、絶対に受け入れられないんじゃないかと」と、当時を振り返る。

それでも甘竹は皮なしにすると決断、2014年に皮なしサラダチキンを発売した。すると思わぬ副産物も。皮を取ることで、40%もカロリーをカットすることができたのだ。これがヘルシーブームの波に乗り、震災前の1.5倍も売れる大ヒット商品となったのだ。

この経験を通して、甘竹はあることに気付く。それは「ひと手間をかけることが、商品を強くする」ということだった。これを機に、アマタケは「ひと手間カンパニー」を会社のスローガンに掲げ、すべての商品の見直しに乗り出した。

たとえば手羽元。「もともと手羽元は両手で食べるのが普通ですが、弊社では片手で食べやすい手羽元にしている」(本社工場長・佐藤雄司)という。機械で途中まで肉を剥がすという「ひと手間」をかけ、食べやすい形に加工した。すると売り上げは2倍になった。

ひと手間をかけた新商品は「しゃぶしゃぶ用鶏ムネ肉」。厚さ5ミリにスライスしてある。家庭ではできないひと手間が新しい用途を生み、年間20トンを出荷するまでになった。

そして皮を取ったサラダチキンは、消費者が後から味付けしなくても済むよう、味のバリエーションを10種類に増やした。今や売り上げは震災前の10倍に伸びている。

数々の「ひと手間」の取り組みで、震災で落ち込んだ業績は、V字回復。奇跡の復活を遂げたのだ。

「震災があってよかったとは思っていませんが、震災があったからこそ、大きな成果は生まれたと思っている」(甘竹)

震災から立ち直った原動力。それは、祖父の代から受け継がれてきたチャレンジ精神にあるのかもしれない。



働き方にも「ひと手間」を~社員の幸福を目指す新戦略

社員の結束力で震災の危機を乗り越えたアマタケ。その経験は、社長の甘竹の考え方にも変化をもたらした。「震災で社員に苦労かけてしまいましたから、自分なりに恩返しをしたいという気持ちがすごくあるんです」と言う。

そんな甘竹の気持ちを形にしたのが、工場の3階にある休憩室。「昼休みには横になって休憩したい」という声にこたえて、去年、3000万円をかけてリニューアルした。

甘竹は震災を機に、商品だけでなく、社員の働き方にも「ひと手間」を加えようと新たなプロジェクトを立ち上げた。それが「ひと手間プロジェクト」だ。

その一つが各デスクに置かれた「いいねボックス」。同僚が「感謝の気持ち」をカードに書いて、この箱に入れる仕組みだ。

「複雑な発注システムをよく理解して頂き細かな対応をしてくれるので本当に助かります」というカードをもらった関東第2営業部の竜野奈代は、「最初は恥ずかしかったんですけど、やはり仕事のモチベーションも上がりますね。見られているんだと感じて」と言う。

さらに違う職場の社員が交流できるよう様々なイベントも開催。アマタケで働くことに、「楽しみ」や「やりがい」を感じてもらう会社づくりを進めている。

時にはこうしたイベントが新たなヒット商品を生むこともある。社内のバーベキューを機に商品になったのが合鴨の焼き肉用パックだ。

「普通は鴨って、焼肉で食べる発想無いと思うんですけど、焼いて食べたら改めておいしいと気づき、商品化しました」(関東第1営業部・粕谷憲司)

これを取引先のスーパーに提案してみると、初日から完売するほどの売れ行きに。新たな定番商品として扱われるようになった。

「実践の提案にも繋がるので、非常に良い取り組みだなと思いました」(粕谷)

~編集後記~

先見の明とは、アマタケのためにある言葉かも知れない。

岩手の山里にありながら、創業者は養鶏をはじめてすぐに東京進出を目指し、先代は、抗生物質フリーのブロイラーを生みだし、秀企氏は赤鶏の原種鶏を導入した。

未来を感知する見識は、企業を成功へと導くだけではなく、信じられない苦難を克服する力となる。

大震災によってアマタケが直面した危機は想像を絶していた。創業以来続けられた無謀とも思える挑戦とその成果が、絶望的な状況を乗り越える原動力となった。

そしてその最たるものは、培われた従業員の「結束」である。

<出演者略歴>

甘竹秀企(あまたけ・ひでき)1966年、岩手県生まれ。1989年、慶應義塾大学卒業。1991年、アマタケ入社。2004年、社長就任。2006年、企業スローガン「ひと手間カンパニー」を採用。