客が絶賛するロングセラー~シソふりかけ王者の秘密~
「ご飯のお供」の代表格といえば、お家時間の増加で需要が高まっているふりかけ。この5年で家庭での購入額が10%近く上がっている。味のバリエーションも増えており、カレー味や焼肉味、さらにご当地ふりかけ、なんてものもある。
そんな激しい競争の中で、地味ながらファンをつかんでいるのが「ゆかり」だ。年間売り上げは41億円。ふりかけとしては「のりたま」に次ぐ売れ筋商品だ。赤じその香りと梅の酸味が食欲を掻き立てる、発売から50年以上愛され続けるロングセラーである。
その「ゆかり」を作っている三島食品は広島市にある。「ゆかり」は魚を原料に使う他のふりかけとはちょっと違った方法で作られている。メインの原料は赤じそ。それを塩と梅酢に3ヵ月漬け込み、いったん漬物にする。「余計なアクが抜けて、苦味などが残らないようになる」(生産本部・蒲川健吾)と言う。つまり、「ゆかり」は漬物のふりかけなのだ。
広島工場には「最後の砦」と呼ばれる女性たちがいる。検査を終えて流れてくる「ゆかり」をじっと見つめ、機械を止めた。何か見つけたようだ。「赤じその茎です。包装した時に穴が開くかもしれないので、取り除いている」と言う。秒速50センチの流れの中でも、色や大きさが異なるものを一瞬で見極める。
「ゆかり」作りへのこだわりは工場の中だけではない。三島食品の赤じその自社農園。ふりかけメーカーが自ら原料を栽培するのは珍しかった14年も前から始めている。
その畑で、会長の三島豊(67)がドローンを飛ばしていた。
「上空から撮ったたくさんの写真を3Dデータにして計算し、農場の成長分布を出すことができないかと」(三島)
成長が遅い場所を見つけ出し、そこの土壌を改良しようというのだ。
赤じそは「上と下の葉では香りが違う」という。下の葉は硬くて香りが弱い。だから「ゆかり」には、柔らかくて香り高い上5センチの新芽だけを使う。使用する赤じそは年間3000トン。使用量としては日本一だ。しかも、「ゆかり」に最適な品種まで自社で開発している。
「『ゆかり』を作るなら、赤じそについては絶対にナンバー1になろうと」(三島)
三島食品は家庭用ふりかけで、「丸美屋」に次ぐ業界2位。ふりかけだけで53アイテムを揃えている。
一番の売れ筋が長女の「ゆかり」、青じその「かおり」、タラコの「あかり」。「ふりかけ三姉妹」と呼ばれる大ヒット商品だ。また6年前、弁当ブームに目をつけ発売したのが「のり弁の秘密」。カツオ節をふんだんに使ったノリとご飯の間に敷く専用のふりかけだ。
「のり弁当はスーパーでも当たり前になっていますし、日本人はのり弁が好き。それ専用の商品ができないかと」(三島)
新しいことに挑戦する一方で、先代から引き継いだ教えも頑なに守り続けている。
「創業者は、『とにかく良いものを使え、宣伝に金を使うくらいなら良い原料を買え』と。それをずっと受け継いでいます」(三島)
その言葉を象徴する商品が「瀬戸風味」。発売から55年。「地方の小さなふりかけ屋」だった三島食品を広く知らしめるきっかけになった商品だ。使われているのは厳選して仕入れた食材ばかり。しかも「3たて」と呼ばれる製法でおいしさを極めている。
「瀬戸風味」に使う鰹節は本場・鹿児島の枕崎から仕入れた「荒本節」。「香りと味が全然違う」という。しかも常に「削りたて」しか使わない。削るのはその日使う分だけ。ゴマは生ゴマから仕入れ、使う分だけをその都度、焙煎する「煎りたて」。パリパリ感が売りのノリもブレンドする直前に焼く「焼きたて」。
この「3たて製法」が素材の旨味と香りを引き出しているのだ。
後発なのに販路拡大~躍進を支えた日本初戦略
三島食品の歴史はまさに「挑戦の歴史」だった。
創業は1949年に三島の父・哲男が始めた食品加工業の三島商店。創業3年目に広島でも普及し始めたふりかけに目をつけ、製造に乗り出すが、「問屋に行っても、ふりかけはたくさん扱っていた。ほとんど取り引きをしてもらえなかった」(三島)。地方の後発メーカーなど相手にしてもらえなかった。
買ってくれないなら自分たちで売り方を工夫しようと、始めたのが主婦に向けた「量り売り」。欲しい分だけ買えると評判になり、家庭用市場に進出する。
さらにこれを発展させて、1959年、一食分ずつの「小袋ふりかけ」を開発。それを学校や病院の給食用に売り込み、新たな販路を切り開いた。
「親父は結構いろんなことやっていました。どれだけ独自に新しいことをやるのか」(三島)
コンビニがほとんどなかった時代に、自社のふりかけを使ったおにぎり専門店「サラヤ」まで始める。当時珍しかったフランチャイズ形式で全国800店舗にまで拡大させた。
そのDNAを受け継いだ2代目も新たな挑戦を次々と仕掛けている。
若い女性が集まる東京・墨田区の和風カフェ「おぼんdeごはん 東京スカイツリータウン・ソラマチ店」で、三島食品の作ったものが人気となっている。それは客の6割以上が白いご飯に替えて注文する「ひじきご飯」だ。
使われているのは、4年前に三島食品が開発したマイナス18度以下で保存するふりかけ。中身は「ひじき」「金ごま」「キヌア」など5種類の穀物が入っている。通常のふりかけより生に近いため、しっとりしていて、素材の食感もそのまま残る。
一方で、ふりかけの新たな使い方も提案している。
たとえば「ふりかけ3姉妹」を餃子の皮において見た目も楽しい水餃子に。「ゆかり」をまぶしたおはぎもある。こうした使い方を次々と発信しているのだ。
「ご飯のお供以外にも使い方は無限にある。万能調味料ということをみなさんに知っていただきたい」(開発本部・富士由美)
こうした新たな挑戦を連発して三島食品は売上高138億円、ふりかけ業界2位にまで駆け上がってきた。目指す会社について、三島はこう語った。
「変な会社。変な会社と言っても“変化に対応できる会社”、という意味です。大きな変革が来た時に生き延びなきゃいけない。そのためには“変化を起こす会社”にする必要がある」
従業員のやる気がアップ~仕事が楽しくなるB面活動
創業者の父・哲男は5年前に他界した。
「小さい頃はあまり話してないんです。仕事、仕事で。『継げ』と言われて継いでみて、一時期は『何で?』と思ったこともあるけど、今になってみると大変いいものを残してくれたと思います」(三島)
社長の座を引き継ぐ時、父から言われたひと言が今でも三島の心に残っている。
「『あとは頼む。永く続かせてくれ。永続する企業になれ』と」
会社を永続させるため、三島は様々な改革案を打ち出す。だが、いざ実行しようとすると、そこに思わぬ壁が立ちはだかった。
それを象徴するのが工場の貼り紙だ。「安全の注意点」などを掲げた、どこの工場でも当たり前に見かけるものだが、これを始めた当初、「あるまじきこと」と大問題になった。古参の幹部が「先代は『工場はスッキリ清潔に』と仰っていた」というのだ。三島は耳を疑った。
「『それはやっちゃいけないんです、三島食品では』と言われた時は、目が点になった。言葉は悪いが、ここまで洗脳されているのかと思った」(三島)
創業者の偉大さが身に染みている幹部たちにとって、その方針を覆すことなど考えられなかったのだ。だが、このままでは会社は成長できないし、永続もできない。三島が社員の意識を変えるため始めたのが「B面活動」だった。
「B面活動」に10年前から取り組んでいる生産本部の三浦香織は、普段は夕方5時まで工場で働いているが、この日は作業が一段落した午後3時すぎ。工場を後にした。真剣な顔つきで描き始めたのはマンガだ。
「就業時間中でも生産が落ち着いたタイミングの1~2時間とか、そういったちょっとした時間をいただいてやっています」(三浦)
「B面活動」とは、会社に関係することなら勤務中でも自由にやっていいという制度。三浦の「B面活動」はチラシを作ること。しかもそれが今、会社の新たな武器になっている。
営業部の田中美千子が見せてくれたのは、三浦が描いた田中を主人公にした自己紹介漫画。これを名刺代わりに、営業先に渡しているという。仕事に取り組む姿勢や趣味など、その人となりを漫画で紹介しているのだ。
「初めて渡した時、いろいろな話に発展したり、非常に充実したツールになっています」(田中)
工場勤務・峠本香織の「B面活動」は会社のオリジナルソング作り。社員を駆り出してレコーディングも行われた。出来上がった曲は倉庫で流される。そこにはキリンの模様のロボットが稼働している。実は工場見学に来た子どもたちに喜んでもらおうと、ロボットの動きに合わせた曲を作っていたのだ。
「自分の活躍の場をもらって、頑張ったからこそ『良いふりかけ作ろう』というやる気につながっています」(峠本)
今や「B面活動」には多くの社員が参加。総務部の社員たちは会社のノベルティーグッズを作り始め、工場勤務だった女性は自ら機械の改良を買って出た。社員がどんどん積極的になって「挑戦する集団」に生まれ変わった。
社員の意識が変わったことは新商品の開発にも結びついている。
新商品のPR動画作りに参加している常務の今村達郎は、重役業をこなす一方で、赤じその爽やかな香りをいかした口当たりのいいリキュール「ゆかりクラシック」を、「赤じそをゆかり以外にも使いたい」と2年がかりで開発した。
「“世界をゆかり色に染めよう”というのが自分のビジョン。それに対して、会社は応援してくれているので、それは幸せなことだと心から思っています」(今村)
やっぱり応援したくなる~良い商品を生む正直経営
去年、三島食品の「あおのり」がちょっとした話題を呼んだ。
実は、地球温暖化の影響で、それまで使っていた香り高く味も良い、スジアオノリが激減。やむなく、見た目は大差ない別の品種に変更した。その事情を消費者に伝えようと、パッケージを青から緑に変え、裏に「お詫びのメッセージ」までのせた。
「自信をもってお届けしてきたスジアオノリを伝統の青いパッケージで作ることができなくなりました」と、以前とは違う商品だということを正直に伝えたのだ。
すると、消費者からは「読んだ瞬間、スーパーで涙が出そうになりました」「貴社を誇りに思います。今後も出来る限り支持いたします」といった声が、続々と寄せられた。
「ビジネスをしていて応援してもらえるっていうのは、この上ない喜びです」(三島)
一方でスジアオノリの減少を予期していた三島はすでに手を打っていた。スジアオノリの陸上養殖だ。およそ2万平方メートルという日本最大規模。良いものを作るためなら、手間も金も惜しまない。
これにより、年内にはスジアオノリが戻ってくるという。
~村上龍の編集後記~
ふりかけの「ゆかり」を知らない日本人はほとんどいない。ただ三島食品はいっさいテレビのCFを打っていない。テレビのCFを打たずに国民食となった商品をわたしは知らない。「テレビで宣伝するくらいなら、その金を原材料にかける」という考え方は、全社員に共有されている、それが誇りを生んでいる。その誇りは精神的な余裕を生み、ユーモアが芽生える。「B面活動」がその典型だ。真剣なユーモアで、心の疲弊を防ぐ取り組みが行われている。
<出演者略歴>
三島豊(みしま・ゆたか)1954年、広島県生まれ。1978年、東京大学大学院を卒業後、京セラ入社。1981年、三島食品入社。1992年、社長就任。2017年、会長就任。
(2021年9月30日にテレビ東京系列で放送した「カンブリア宮殿」を基に構成)