顧客満足度ナンバーワン!劇場型グルメ系回転寿司「銚子丸」の流儀/読んで分かる「カンブリア宮殿」

味・値段・接客で顧客満足度ナンバーワンの「銚子丸」

リピーターが後をたたないという回転寿司のチェーン店、銚子丸。お年寄りから小さな子供まで、あらゆる世代に人気がある。

寿司は一皿140円からで、ネタによって値段が変わる。職人が手で握る本格派だ。銚子のシンボルとも言える「イワシ」は2貫で194円。期間限定のメニューも充実、「漬け真鱈白子」は324円。分厚く切られた「中トロ」は453円。どのネタもボリュームたっぷり。ちょっとした高級感とお値打ち感が銚子丸の最大の特徴だ。

回転寿司は安さを売りにする「100円回転寿司」と、ネタの良さで勝負する「グルメ回転寿司」に分けられる。銚子丸は後者。

外食不況にあって、回転寿司は右肩上がりの成長産業。そんな中でも銚子丸の評価は高い。味・値段・接客の総合評価で軒並み顧客満足度ナンバーワンの地位を獲得している。

その人気の鍵を握るのが、仕入れを一手に担っている商品部長の本村公弘。

「私はいつも現物を見ます。おいしいものをお客さんに食べてもらいたいので」と言う本村がやってきたのは千葉県の銚子港。水揚げ量日本一を誇るここが銚子丸にとって重要な仕入れ場となる。キンメダイ、サバ、マグロ……銚子丸の人気は、いい魚を安値で仕入れる本村の目利きにかかっている。

本村の足が止まった。ブリの子、イナダだ。この季節は脂が乗ってうまくなるという。仲買業者「丸隆」の堀井亮輔さんとセリ値を相談する。本村はこの道30年の経験と勘で、この日は1キロ291円に決めた。

銚子のセリは、値段を書いた札をポストに入れて、一番高値をつけた業者が落札する仕組み。「丸隆、2トン」の場内コールが。見事、2トンのイナダを競り落とした。この日、本村は他にも、今が旬のホウボウやヤリイカなど、いいネタを大量に購入した。

銚子丸は1都3県に87店舗を展開し、売り上げは188億円。銚子の魚を新鮮なうちに届けるため、出店をあえて首都圏に集中している。

魚は銚子港から直送される。本村が競り落としたイナダもさっそく店内へ。すかさず「ただ今から店内におきまして、銚子港直送の天然イナダを調理してまいります」とマイクでアナウンス。惜しげもなく大ぶりに切って、職人が手早く握る。回転レーンに乗せる暇もなく、イナダ(194円)が飛ぶように売れていく。銚子で仕入れたホウボウ(270円)、キンメダイ(453円)も並んだ。

新鮮なのは産直の魚だけではない。銚子丸には回転寿司店には珍しく、いけすがある。そこから捕った活魚の「マダイ」をさばくと、客は拍手で大盛り上がり。この新鮮さとパフォーマンスが客を魅了する。

自慢は鮮度だけではない。職人が北海道産の甘エビの頭を外して、一匹一匹ミソを絞り出す地道な作業が行われていた。200匹分のエビの味噌だけを弱火でじっくりと煮詰める。これを甘エビにトッピングして「生甘エビ」(324円)に。職人だからできる手の込んだ仕事を回転寿司で味わえるのも、銚子丸の魅力だ。



店は劇場、従業員は役者~マグロの解体ショーも

開店前の千葉市「すし銚子丸」高洲店で、恒例の朝礼が行われていた。そこへ一人の女性が現れた。会長の堀地ヒロ子がお菓子の差し入れにやって来たのだ。堀地は、こうして各店舗を回り、スタッフをひとりひとり元気づけるのが日課だという。

堀地が夫・速男とともに「すし銚子丸」を立ち上げたのは21年前。夫婦二人三脚で顧客満足度ナンバーワンの店に作り上げた。創業以来、客を喜ばせることがモットーだ。

「創業者の考えで、劇場空間にしようと。『皆さんで芝居しましょう』『あなたたち役者ですよ』と、私は教育する時に言うんです」(堀地)

銚子丸はどの店に行っても威勢のいい掛け声にあふれている。しかもそこには盛り上げ役のリーダー「座長」がいるのだ。

「店は銚子丸の舞台なんです。普通のお寿司屋ですと、店員と客なんですけど、銚子丸では、劇団員と観客という関係で、楽しませることをメインにしています」(座長・高山将平)

客を楽しませる真打ち、大きなマグロが出てきた。一番人気のマグロの解体ショーだ。目の前で握った本マグロの「大トロ」(626円)に次々と手が伸びる。

銚子丸の本社は千葉市。3年前に創業者は亡くなったが、銚子丸の経営は盤石。それを担うのが、5年前に異業種から社長に就任した石田満だ。客を喜ばせるという創業者の理念を受け継いだ石田は、それを新たな形にして展開している。

東京・世田谷区の特別養護老人ホームで、銚子丸のスタッフが組み立てていたのは回転寿司のレーン。「おいしい舞台へようこそ」という威勢のいい掛け声につられて、入居者の皆さんが続々とやってきた。

これは「出張回転寿司」というサービス。外食ができないお年寄りたちに喜んでもらおうと、去年から始めた取り組みだ。

「我々は、真心を提供してお客様の感謝と喜びを頂くという、創業以来の理念を商売の根底に持っていますから、十分期待して来て頂いて、美味しかったと言っていただきたいなと思っています」(石田)



「僕たち戦友だったね」~夫婦二人三脚の起業物語

堀地ヒロ子は、3年前に亡くなった速男の最期の言葉が耳から離れないという。

「亡くなる本当に直前、病院から本人が電話をかけてきて、『お母さん、よく私たちやってきたね』と。そういう言葉は時々言っていました。『戦友でもあったね』と」

新潟県上越市で小さな鉄工所を営む家庭に生まれた堀地ヒロ子。子供のころからの夢は、「小さな店を持つこと」だった。一方、6つ年上の速男はスーパーのサラリーマン。「一国一城の主」になることが夢だった。

2人が出会ったのは見合いの席。開口一番、速男は「ヒロ子さん、貸借対照表は読めますか?」と言ったという。ヒロ子はあっけにとられた。

「お見合いは8回目でしたけど、そんな強烈な男、いませんでしたからね。『無理無理、この人は無理』と思ってね」(堀地)

そんな出会いだったが、ほどなく結婚。2人の夢が重なり、起業を目指す「戦友」となった。必死に開業資金を貯め、6年後、念願の起業を果たす。それは寿司とは縁のない小さなおもちゃ屋だった。

「何でもよかったんです、起業ができれば。とにかく経営者になりたかったんです」(堀地)

だが、行き当たりばったりの経営で、わずか1年半で店じまい。2人は次の活路を見出そうと模索する。

時は70年代後半。ファミリーレストランが台頭し、外食ブームが到来。さらに、弁当や総菜のテイクアウトも人気となっていた。時代の流れに目をつけたヒロ子は、夫の速男にある商売を提案した。それが寿司のテイクアウト専門店。当時、寿司は値段が高いイメージだったが、それが手軽に買えるとあってたちまち大人気となった。

「とにかく売れました。売れに売れて嬉しかったです。1年間に5店舗ぐらい出店しました」(堀地)

すると今度は速男が「もっと売り上げを伸ばそう」と事業を一気に拡大する。ラーメン店や和食、そして回転寿司の経営にも乗り出す。さらに速男は不動産や学習塾の経営にまで手を広げていった。

夫婦2人で始めた会社は、あっという間に総勢500人のスタッフを抱える大所帯になった。だが、「いろいろな業態を抱えていて、嫌でしたね。自分でも整理しきれなかったんだと思います」(堀地)。

急激な拡大で、店の管理はおろそかになり、料理の味は落ち、経営も悪化した。店は次々と閉店に追い込まれた。



「寿司を売るな、理念を売れ」~創業者から受け継ぐ銚子丸魂

立て直しのヒントを求め、1997年、外食の先進地・アメリカを視察。ある人気のハンバーガーショップで、速男はオーナーに「売り上げを上げる経営のポイント」を尋ねた。するとオーナーは「売り上げは二の次だよ。経営はまず理念を明確にすることだ」と答えた。売り上げしか頭になかった速男は愕然とした。

帰国後、理念について必死に考え、たどり着いた答えは「お客さまに感謝と喜びを頂くこと」だった。理念を確立した2人は事業を一本に絞る。それが回転寿司だった。

当時の回転寿司は、カウンター席で食べる、一皿100円の均一料金を売りにした店ばかり。これといった特徴はなかった。全国の回転寿司を視察していた2人は、ある店でヒントを見つける。

その店には、家族で楽しめるボックス席があり、デザートも充実。寿司はネタによって値段を変えるなど、店づくりのヒントがいっぱいあった。しかし、厨房をのぞいてみると、ネタは加工場から送られたものを使い、鮮度はお構いなし。シャリも職人ではなく、寿司ロボットが握っていた。

これを見た速男は「新鮮な魚を直接仕入れて、それを客の目の前で握ったらどうだろう」と考えた。「2人で新しい寿司文化をつくろう」という思いで、1998年、「すし銚子丸」1号店を開店した。

銚子丸は100円寿司とは違う「グルメ回転寿司」のはしりとなり、人気に。「お客さまに感謝と喜びを頂く」という速男の理念が客に支持された。業績は順調に伸び、2007年にはジャスダックに上場した。

しかしこの後、速男を病が襲う。ガンを患った速男は、病と闘いながら後継者を探す。つてを頼りに白羽の矢を立てたのが、現社長の石田だ。

石田の経歴は外食とは無縁だったが、大手スーパーの役員や、レンタルビデオ会社の社長として事業を拡大した経営手腕を速男に買われた。2014年、石田は社長に就任。その2年後、速男は息を引き取った。石田は「ある一言」を胸に刻んでいるという。

「お寿司を売ろうとしないでいい。理念を売ってほしい。まさに堀地の胸の中を言っていた言葉だと思います」(石田)

その理念を受け継いだ石田は、東京・大手町で新たな挑戦を始めた。「鮨YASUKE」を、家族連れだけでなく、ビジネスマンも満足させたいと、去年の暮れにオープンした。

職人歴37年の大将が腕をふるう人気のランチが「ランチ握りセット」(1080円)。ネタはとびっきりだがリーズナブル。オープンから4か月。舌の肥えたビジネスマンの胃袋をガッチリつかんでいるようだ。

回転寿司店に「女将」がいる!~さらなるサービス向上へ

銚子丸には、他の回転寿司にはいない重要なスタッフがいる。店ごとにホールをまとめるリーダーの女将だ。笑顔での接客はもちろん、スタッフへの指示も行う。女将制度は9年前に始まり、顧客満足度アップにも繋がっている。

「いろいろなお客様に目を配るために、いろいろ動いてやっているつもりではあります」(「すし銚子丸」立石店女将・中畑清乃)

店を盛り上げるためには、誕生日の子供客に「ハッピーバースデー」までマイク片手に歌う。

銚子丸の本社に総勢80人の女性が集まっていた。各店舗の女将を集め、年2回行われる「女将研修」。接客の基本中の基本、笑顔のトレーニングをしていた。

「笑顔は原価ゼロ。効果抜群。声が出ることは最高の元気の素です」と、堀地が呼びかける。

研修はこれだけでなく、話し方やマナー、和倉温泉の名旅館「加賀屋」の女将を呼んで、接客の極意を学んだりもしている。

「毎回刺激を受けるので、私たちが受けたものを、店に帰って教えて、みんながまたそれを実行するという役目だと思っています」と、参加者の一人。アルバイトで入ってそのまま女将を目指すという高校生は「元気よくハキハキと接客できたらと思います」と言う。

従業員教育に力を入れている銚子丸には、こんな研修もある。

東京・大田区の住宅街にある「蒲田初音鮨」。1年先まで予約が埋まっているという店の主は中治勝さん。11年連続でミュラン2つ星を獲得、コースは4万5000円からという名店だ。

その「初音鮨」で銚子丸の職人が研修を受けている。憧れの寿司職人、中治さん直々の指導に、銚子丸の職人も緊張の様子だ。「超一流の技を学びたい」と銚子丸側がお願いしたところ、「寿司文化を広めるためなら」と、無償で引き受けてくれたという。

「親方である中治さんの気持ちは本当に素晴らしいなと思いました。僕たちも近づけるように、もっとお客さまに感謝と喜びを頂くために、レベルアップしていきたいと思います」(大網白里店店長・滝澤啓一)



~村上龍の編集後記~

「創業者、速男氏はグルメ回転寿司だから成功したのだろうか」最後に予定していた質問は止めた。たぶん何をやっても成功しただろう。ただし「ヒロ子さんというパートナーがいれば」という条件がつく。

二人は、「情熱と好奇心」で興した事業に立ちはだかるものすべてと、ともに闘ってきた。多くを学んだ。その成果は、石田氏という、それまで外食と無縁だった逸材を後継者に選んだことに象徴されている。

情熱と好奇心、方法や戦術ではない。ビジネス書にはない。「寿司を売るな、理念を売れ」。

闘いの連続の中で生まれた言葉だ。

<出演者略歴>

堀地ヒロ子(ほりち・ひろこ)1948年、新潟県生まれ。1978年、おもちゃ屋で初めての起業。1998年、すし銚子丸を開業。

石田満(いしだ・みつる)1956年、茨城県生まれ。1998年、オーケー株式会社入社。2000年、(株)ウェアハウス入社。2014年、銚子丸入社。執行役員を経て社長。

(2019年3月21日にテレビ東京系列で放送した「カンブリア宮殿」を基に構成)