酪農家と共に成長を!業界の異端児が仕掛けるサバイバル術・よつ葉乳業/読んで分かる「カンブリア宮殿」

絶品クロワッサンを生む、極上ミルク&バターの秘密

おしゃれな街、東京・広尾に今、注目のパン屋さんがある。軽井沢の大人気店「ベーカリー&カフェ沢村」。そこに並ぶのはちょっとセレブなオリジナルパン。「旬の地野菜カレーパン」(270円)は10種類以上のスパイスを使った本格派だ。オレンジリキュールを効かせた「フレンチトースト」(240円)は、表面はカリカリ、中はしっとり。

どれも食べてみたくなるパンばかりだが、お客が次々に取っていく一番人気はシンプルな「クロワッサン」(240円)。絶賛を呼ぶ秘密はバターにあるという。パンの中でも最もバターを使うクロワッサン。だからバターの風味が味を大きく左右する。

クロワッサンに使われていたのはよつ葉乳業のバター。多くのプロが選ぶメーカーだ。ベーカリー統括責任者の森田良太さんによれば、「バターの香りが命なので、品のいい香りがして味わいよく食べられます」とのこと。

この店では生クリームもよつ葉乳業。これに変えてから生地の出来が変わったと言う。

「試しに使ったら、今までと違う口どけのいい仕上がりになる。うちのパンには欠かせないですね」(森田さん)

プロ御用達のよつ葉乳業だが、もちろんスーパーにも並んでいる。値段はちょっとお高めだが、それでも売れるのは味がいいからだ。その味の違いは国も認めたもの。パッケージに書かれている「特選」は、国が定めた様々な基準をクリアしないと名乗れない。

 よつ葉乳業のふるさとは北海道十勝地方。十勝は加工前の牛乳、生乳の生産量日本一を誇る。牧場だらけの音更町の真ん中に、よつ葉乳業最大の十勝工場がある。年間60万トンの生乳をここで加工。十勝で生産される生乳のおよそ半分がここに集まってくるのだ。

しかし、すぐに製造に回るわけではない。真っ先に行われるのが検査。「特選」を名乗るためには高いハードルを越えなければならない。

機械で測るのは生乳の成分。「いろいろな乳の成分の中でも脂肪分が高いと美味しくなりなります」(品質管理課・後藤英嗣)と言う。「特選」の基準は乳脂肪の割合が3.5%以上。よつ葉乳業はその上をいく3.7%以上しか使わない。だから濃く感じるのだ。

他にも、含まれる細菌数などで「特選」は一般の牛乳に比べ厳しい基準になっている。その数値をクリアしないと販売できなくなるため、大手はなかなか手を出さないのだ。

紋別市にあるオホーツク北見工場には不思議な機械があった。サイコロのような箱がグルグル回る。中に入っているのはバター。一般的な製法に比べ、ゆっくり時間をかけることで、乳脂肪分の高いバターを作っている。

そのこだわりのバターは企業から引っ張りだこ。例えば洋菓子で有名な「巴里 小川軒」の看板商品「レイズン・ウィッチ」にも使われている。ラム酒につけた味の強いレーズンに負けないバターの風味が持ち味だ。

「よつ葉さんがなければこの味、特にクッキーの濃厚なバター風味は出せないのかなと思います」(小川鑑社長)

「帝国ホテル」の名前を冠したバターもよつ葉乳業製。乳酸菌で発酵させ、ヨーグルトのような酸味を加えた逸品だ。

日本のバターの8割以上が北海道で作られているが、その中でよつ葉乳業は、雪印や明治などの大手を抑えトップシェアを誇っている。他にも品質にこだわったヨーグルトやチーズなどの乳製品を製造。業界4位のポジションを築いている。



酪農家とともに生きる~絶品を生み出す乳業革命

オリジナル商品を生み出す、北広島市のよつ葉乳業中央研究所。社長になって2年の有田真(62)は、ありそうでなかったキャップつきの牛乳パックというヒットを生んだ。

「今はいろいろな飲み物があるので、冷蔵庫のポケットがいっぱいになる。これだと横にしても置けますし、キャップをしっかり締めれば逆にしても漏れません」(有田)

小さな工夫だが、「使いやすい」とこの容器に変えてから売上は1割伸びたと言う。

「生産者のために、生乳から付加価値のある商品を作るのが、我々の第一の使命ですから」(有田)

よつ葉乳業はもともと酪農家のために作られた会社。だから生産者との結びつきは強い。

酪農部主任技師の渡邉誠治は、毎日、生産者の元を回る。この日は石黒牧場・石黒和彦さんの元へ。よつ葉が特別な生乳を作ってもらっている15人の指定生産者の一人だ。

向かう先には放牧された牛たちが。石黒さんの生乳は全て放牧した牛から搾っているのだ。「パリッ、パリッ」という牛が草をはむ音が聞こえる。

「放たれた自然な感じがよくて、牛が草をはむ音が聞こえてくると、放牧でよかったと思います」(石黒さん)

外でお腹いっぱい草を食べた牛は、お乳が張り、自分から牛舎へ向かう。搾乳の時間だ。

ここで酪農部・渡邉の仕事が。綿棒を取り出すと、牛の乳首を撫でた。細菌がついていないかをチェック。これも酪農家のフォローの一環だ。

「元気よく放牧場で遊ぶので、やはり牛も汚れるんです」(渡邉)

乳首をお湯で洗う洗浄機もある。こうした機械を現場に導入し、品質を上げるべく指導している。さらに「つい最近は『ペーパータオルを』と言われました。機械で洗った後に水滴が残る。水滴に雑菌が入っているのではないかと指摘され、ペーパータオルを使うようになりました。細かいですよ、ハッキリ言って(笑)」(石黒さん)

これだけ厳しく管理して作るのが、放牧生産者限定の「ノンホモ牛乳」だ。普通の牛乳と比べると、色が少し緑っぽい。外で食べている青草が生乳に影響しているのだと言う。

よつ葉乳業はこの生乳を、通常より高く買い取っている。まさに「生産者あっての会社」を実践しているのだ。

生産者と共に築いた品質で、売り上げは1000億円を突破。過去最高益も叩き出した。

「頼りになるパートナーで共同体のような感じ。もっといい牛乳を、安全安心なものを作っていきたいなと思います」(石黒さん)

酪農の理想郷をつくりたい~感動のよつ葉誕生秘話

会員登録すると、受注生産で作りたてを送ってくれる宅配サービスもあるよつ葉乳業。今では全国にファンを持つが、その歩んできた道は決して平坦なものではなかった。よつ葉乳業の前身、「北海道協同乳業」の創業は1967年。十勝の八つの農協が酪農家のために作った会社だった。そこには北海道の酪農の灯を守るために戦った壮絶な歴史があった。

1960年代、北海道の酪農は危機的状況にあった。当時、酪農家は大手の乳業メーカーと直接、契約を結んでいた。立場は弱く、生乳をメーカーの都合のいい価格で買い叩かれていた。その結果、北海道の生乳価格は日本で一番安くなり、酪農家の8割が赤字という事態に陥った。

当時から酪農を続けている鈴木洋一さんは「買い取り価格も低くて、負債の支払いも多く、どうやっても利益が出ない。酪農家はみんなそうだった。やってられない状況で、生活ができなかった」と言う。

このままでは北海道の酪農は滅びると、一人の男が立ち上がる。それがよつ葉乳業の創業者、太田寛一。士幌農協の若き組合長でもあり、「北の闘魂」と呼ばれた熱血漢だ。

太田は突破口となるヒントを求め、酪農の先進国であるヨーロッパを視察した。そこで見たのは、酪農家が工場を建て、自分でチーズを作る姿だった。生産者自ら加工販売する6次産業化が進み、市場の8割を占めていたのだ。

太田は自分たちで加工工場を作る「農村ユートピア計画」を打ち出し、行動に出る。

大手乳業メーカーに気づかれないように極秘で八つの農協のトップを招集し、「乳業メーカーが栄えて酪農が衰退するのはおかしい。生産者が加工販売しなければ未来はない」と訴え、農協の出資で酪農家のための会社を設立する話をまとめた。その際には乳製品工場を実現させるという誓約書まで作成、八つの農協のトップが判を押した。何があってもやり抜くことを誓った、いわば血判書だ。

酪農振興会の会長だった今村博人さんは「既存のメーカーからの反発がすごく強かった。なんとか潰そうと酪農振興会の役員を抱きこんで、作らせないように動いたんです」と、振り返る。

太田の計画が表に出ると大手乳業メーカーは猛反発。なんとか阻止しようと動きだした。大手乳業メーカーにとってよつ葉乳業は、できてはいけない会社だったのだ。

「今までは自分たちの都合で乳価を決められていたのが、違う発想の会社ができると、自分たちの権益を侵されるということです」(有田)

乳製品工場の建設を進めようとすると、様々な横やりが入り、あからさまな妨害工作も始まる。間もなく着工という段階に辿りついた時には、契約した建設会社が工場の建設を断ってきたことも。大手乳業メーカーと取引していた建設会社だった。

それでも太田は諦めない。大手乳業メーカーとはしがらみのない建設会社を探し出し、工事を依頼。海外視察から1年あまりの1967年、酪農家のための工場を完成させた。

 よつ葉乳業は、酪農家のためにも「売れる牛乳にしなければ」と、大手との差別化を図り、当時はまだなかった搾りたてに近い味で勝負した。

「生乳の味を活かした加工をする。そのためには脂肪分もそのままで手を加えない。ミルクを生産する側としては当然の思いですが、いいものを美味しく飲んで下さい、と」(有田)

当時、牛乳は宅配が主流だったが、よつ葉乳業は店頭販売も開始。しかも瓶が当たり前の時代に、返却の必要のない紙パックを採用し、大ヒットした。

酪農家の利益を確保するよつ葉乳業が登場して10年。乳価は2倍以上に跳ね上がった。そして北海道の酪農家も生活していけるようになったのだ。

50年前は酪農をやめようかとさえ思っていた鈴木さん。当時5頭しかいなかった牛は現在350頭に増え、毎日、生乳をよつ葉乳業に卸している。

「よつ葉乳業ができてなかったら大変だったと思います。酪農を続けてなかったかもしれない。太田さんは現状を見ないで亡くなったけど、見たら満足すると思うね」(鈴木さん)

酪農の危機を乗り越えろ~生産者を支える驚きサポート

よつ葉乳業の登場で変わった北海道の酪農の世界。しかし今も、現実は決して甘くない。

鹿追町の山田清美さんは、4代続いた牧場を今年の春、閉めた。牛舎が老朽化したが、建て替えられなかった。「100頭飼っていて、建て替えるなら100頭の建物ではダメなんです。200頭を飼育しなければ返済ができない。続けていくのは難しい」と言う。

頭数を増やすのは体力的に無理。一緒に酪農をしていた息子さんは会社勤めを始めたという。山田さんだけではない。北海道の酪農家は減り続けていて、毎年200軒が離農している。よつ葉乳業にとっても大きな問題だ。

「乳業メーカーとすると、このままいくと大変な状況です。ただ『やろう』という若手の生産者もいますから、それを支援するのが我々の役目だと思います」(有田)

そこでよつ葉乳業は、3年前から若手酪農家の研修事業を始めた。一歩進んだ海外のやり方を見せ、意識改革を図り、新時代の酪農家を育てようとしている。

音更町の木村牧場で働く木村祐輔さん(36)は、よつ葉乳業の海外研修を受け、「自分の牧場を大きくするという夢を持って経営している若手の方もいらっしゃって、刺激になりました」と言う。その木村さんは借金をして3億円のハイテク牛舎を作った。

デンマーク製の機械が、自動的に餌が積み込まれると動き出す。牛の前まで来ると、餌を給仕。1日6回、決まった量を配ってくれる自動エサやり機だ。大きなお掃除ロボットのような機械は、食べ散らかした餌を牛の方に寄せてくれる。

搾乳の時間には驚きの機械が活躍。牛が定位置に入ったら大きな機械が始動。センサーが乳首の位置を探し出し、自動で搾乳してくれる。この体制なら牛を増やしても家族だけでやっていける。浮いた人件費で借金も返済できると言う。

「まずはこの牛舎をいっぱいにして、120頭の乳牛で軌道に乗せたいと考えています」(木村さん)

よつ葉の力を借りて新たなビジネスを展開させた牧場もある。鹿追町東瓜幕協和生産組合。清水勇輝さん(34)、伸哉さん(33)の兄弟がよつ葉乳業の支援を受けてやっているのは、オリジナル乳製品の加工販売だ。

搾りたての生乳で作るヨーグルト「草原のヨーグルトでーでーぽっぽ」(560円)は、成分調整をしていないので、上の方には甘い生クリームの層ができている。酸っぱすぎず、砂糖を加えなくても美味しいと言う。他にも飲むヨーグルトなど、オリジナル商品を開発した。ただし沢山は作れない。そこで力を貸してくれたのがよつ葉乳業。販路を持たない生産者の商品を買い取ってよつ葉の販売ルートで売る、代理販売で支援しているのだ。

「こんな小ロットでお客様に届けられるのは、よつ葉さんあってのことです」(清水さん)

よつ葉乳業と手を組んでから、毎年2割ずつ売り上げが伸びていると言う。

「これからどんどん加工する量を増やし、日本全国、世界にも届けたいと思います。楽しいですね。こんな幸せなことはないです」

酪農でも夢を見ることはできるはず。よつ葉乳業は若者とともに、酪農の未来を作ろうとしている。

~村上龍の編集後記~ 

日本の乳業は、北海道の開発とほぼ同時期に興った。わたしは「よつ葉」のバターが好きだ。こくがあるのに、どこか味が優しく、脂肪分をあまり感じさせない。

「よつ葉」は歴史的に、「酪農家に寄り添ってきた」と言われる。だが、その表現は充分ではない。

当時の大手乳業との壮絶な確執を経て誕生したときから、「よつ葉」と「酪農家」は単なるメーカーと取引先ではなかった。「運命共同体」だった。

だから両者は、お互いのため、消費者のためを思い全力を尽くし、それが「どこか優しい味」を生んでいるのだと思う。

<出演者略歴>

有田真(ありた・まこと)1955年、北海道生まれ。岩手大学卒業。1981年、北海道農協乳業(現よつ葉乳業)入社。2006年、営業本部乳製品統括部長。2010年、取締役営業本部長。2015年、代表取締役社長に就任。