コロナ禍でも売れまくる~本物にこだわる必勝法
東京・渋谷区で評判を呼んでいるこだわりバーガーの繁盛店「バーガーマニア」恵比寿店。今しか食べられないちょっと変わったイチ押しバーガーがある。使うのはチーズと餅。カリカリのベーコンも効いている毎年1月の限定メニュー、「餅チーズベーコンバーガー」(1639円)だ。バーガーに合うと選ばれたのがサトウ食品の餅だ。
「国産牛を使っていて、それに一番合うのがこのお餅でした」(守口駿介さん)
今、餅が巣ごもり需要から売り上げを伸ばしている。コロナを機に日持ちする食品を買い置きするようになり、普段から餅を食べるようになったという人も多い。
プロにも主婦にも愛されるサトウのお餅。スーパーには、スティックタイプの「サトウの切り餅いっぽん」(321円)、乳酸菌入りの「サトウの切り餅乳酸菌プラス」(278円)など、さまざまなサトウの餅が並んでいる。シェアは4割以上と国内トップに立つ。
サトウ食品は米どころ新潟にある食品メーカーだ。餅を製造している新発田市の新発田工場。餅の材料は国産のもち米だ。これを蒸して「おこわ」にし、さらに練り上げる。
ここまではどの餅メーカーでも似たようなものだが、その先にサトウ独自の機械があった。それが自動化された臼と杵。サトウは餅つきを機械でそのままやっているのだ。
「お餅はつきあげるほど、粘りがどんどん出てくるんです」(生産本部・福所日出文)
自社開発したこの機械で特にこだわったのが、臼の底で回っている円盤だ。
「お餅を返してムラなくすることで、伸びやコシが強くなります」(福所)
ライバルにはミキサーを使って餅を作っているメーカーもあるが、餅を伸ばしてみると、サトウの「杵つき製法」で作った餅のほうが切れにくい。伸ばしても切れない餅にはコシが生まれ歯ごたえが増すのだ。
この餅だけでサトウは年間215億円を稼ぎ出す。3代目社長・佐藤元(56)には、食品メーカーのトップとして、守り続けている信念がある。
「やはり本物を作って本物を提供する。餅であれば臼と杵でついた餅をお出しする。そこにこだわることが、小さな田舎のメーカーの競争力になると僕は思います」(佐藤)
創業は1950年、元の祖父・勘作が起こした「佐藤勘作商店」。朝の3時から白玉粉を作っては配達する商売だった。だが、あんみつなどに入れる白玉はほとんど夏しか売れず、冬は暇になる。そこで1958年、冬も売れる餅の製造に乗り出したのだ。
その餅の商売を業界トップにまで育て上げたのが、2代目で現在は会長となった功。サトウ食品の「杵つき製法」を確立した。「杵でついたのは当社だけだった」(功)という。
こうして作り出した杵つき餅を、功は全国に知らしめる大勝負に打って出た。それが歌手・西川峰子を起用したテレビCM。これで知名度は上がり、売り上げも一気に伸びた。
さらに1980年、功は業界をあっと言わせる製造法を打ち出す。当時の餅作りは作った後で再加熱し殺菌するのが常識だった。しかし、このやり方では食感が悪くなる。
「無菌ルームのある工場を造れ、金をかけてもいいからやれ、と」(功)
餅の工場全体を無菌化する世界初の試み。試行錯誤は2年間続いたが、1980年、ついに無菌製法に成功する。これによって加熱殺菌なし、賞味期限1年の餅が生まれたのだ。
コメ離れでも絶好調~世界初を連発する開発力
この無菌製法技術から、サトウ食品はもう一本の柱となる商品も手に入れる。それが「玄関開けたら2分でご飯」というCMで有名になった「サトウのごはん」。レンジで2分、チンするだけでほかほかのご飯ができあがる。
発売から33年、今やこのパックご飯は非常食として買い置きするだけでなく、普段から日常的に利用する人が増えている。
餅同様、丸ごと無菌化された新潟・聖籠町のサトウ食品聖籠工場。米を小分けし、水を入れたのはパックご飯と同じ形の厚釜。これを直火で釜炊きする。米が入った先には60メートルもの連続炊飯器が。この中を40分かけてゆっくり移動していく。
最初は弱火で「はじめチョロチョロ」真ん中あたりでは強火に変わり「中パッパ」、吹きこぼれそうになるタイミングで火を止め「赤子泣いても蓋取るな」と、蒸らしていく。こうして昔ながらの釜炊きを再現しているのだ。
「他社は米の蒸気を吹き付ける蒸気炊飯。釜炊きはサトウだけです」(工場長・五十嵐信之)
1食分ずつ炊き上がったご飯は容器に移される。同じ形の容器をかぶせ、最後にフィルムの蓋をして完成。つまり、炊きたてご飯をパックしただけだから「70~80度ぐらいの熱々です」(五十嵐)。
保存料などは一切使っていないが、賞味期限は1年も。150度の高圧蒸気を米に吹き付け、瞬間殺菌。さらにパックご飯の容器にも独自の仕掛けが。容器は2重構造になっていて、間には脱酸素剤が入っている。これがパックの内部の酸素を吸収するので、カビ菌も繁殖できず、1年という賞味期限を実現させたのだ。
こうして作られるサトウのご飯の売り上げは今や餅を上回り253億円に。これまた国内トップシェアとなっている。
そのサトウが新潟市中央区の老舗海鮮メーカー「加島屋」とタッグを組み、ヒット商品を生み出した。「加島屋」の名物は一カ月間熟成させた鮭を焼き、その身をほぐして作る「さけ茶漬」(1944円)。しっとりとしていて旨味が強い、普通の鮭フレークとは一味違う逸品だ。
新潟が誇る魚のプロとご飯のプロが手を組み生み出したのが「キングサーモンのづけ丼4食セット」(6480円、季節限定)。キングサーモンとイクラの醤油漬けにサトウの「魚沼産コシヒカリ」という組み合わせ。発売して20年になる贅沢なロングセラーだ。
この日は「加島屋」のトップを相手に佐藤自ら新商品の提案にやってきた。持参したのは新潟イチオシの新しいブランド米「新之助」のパックご飯。これで新たなセットを作ろうと目論む。サトウと「加島屋」が新たな商品開発に動き出した。
米離れが進む逆境にありながらサトウ食品の売り上げは右肩あがりで、469億円まで伸ばした。しかし、佐藤は言う。
「売り上げトップよりも『一番おいしい』と言ってもらえるのが一番うれしいです。一番おいしかったら業界トップになれると僕は思っています」
安売り競争で赤字が拡大~倒産危機から奇跡の復活
餅やパックご飯を使ったさまざまなレシピの情報発信をして売り上げアップに拍車をかけるサトウだが、つい10年ほど前には倒産の危機に追い込まれていた。
サトウの成功を見た大手食品メーカーが1990年代後半、サトウに続けと「パックご飯市場」に続々参入。そんな中で2008年、リーマンショックが食品業界を直撃する。日本中がデフレの波に飲み込まれ、一つ130円前後で売られていた「パックごはん」は軒並み100円以下に。価格破壊が起こってしまったのだ。
当時の佐藤は営業本部長。大手との価格競争のど真ん中で戦っていた。
「参入してきたメーカーは数を売るために安く売る。するとどんどん価格競争に入っていきました」(佐藤)
コストのかかる釜炊きをしながら安売りすれば、売れば売るだけ赤字になる。そんな絶体絶命の状況に追い込まれてしまったのだ。そこで当時の社長、2代目の功がとった行動は「今のうちの安い値段で売り続けたら会社は潰れる。価格を元に戻せ」だった。
しかし、現場の営業マンからは「各社がシェアの競争をしている時だったので、厳しくなるな、と」(営業本部・鈴木覚)、「『第一線を退くのか』と。価格競争から脱却して業界1位を堅持できるのか」(当時の営業担当・中川誠二)という声が上がった。
その時、営業本部長だった佐藤はある行動に出た。全国の営業マンを全員、パックご飯の工場に集めると、「考え方を変えてほしい」と、製造現場をあらためて見てもらい、いかにコストをかけて作っているかを理解させたのだ。
「作り上げてきた米飯事業を続けるためにはやらなくてはいけないと、覚悟を決める起点になりました」(鈴木)
安売りをしないでやっていくと、社内は団結した。しかし、小売業者からは総スカンをくらい、取引が半減した現場もあった。
「売り上げが5億円くらいは落ちると覚悟していましたが、最終的には10億円くらい落としました」(佐藤)
売り上げは減り続け、危機は膨らんでいったが、およそ2年後、消費者から「値段は高くてもおいしい」という声が上がり出す。消費者は20~30円高くてもサトウを選び、売り上げが回復。サトウは危機を脱した。
餅の進化は終わらない~新たな「ゼロイチ」への挑戦
ただ餅とご飯だけを作り、躍進してきたサトウ食品。その狭い世界で革新的な商品、そして製造方法を生み出してきた。
例えば、餅一つ一つの個包装。1983年にサトウが先駆け、業界に広がった技術だ。
「同業者が追いかけてきても丸6年できなかったんです。そのくらい難しい」(功)
さらに3代目の佐藤は餅を包むフィルムを進化させる。
「以前の個包装のフィルムより100倍以上よくなっています」(佐藤)
フィルムに酸素を吸い取る機能を持たせ、餅の賞味期限をかつての倍、2年に伸ばした。
こうした革新的な商品作りのチャレンジは今も続いている。開発部のホープ、小野義宏が先輩の代から続けて10年がかりで取り組んでいるのは、電子レンジでチンするだけでつきたての食感になる餅だ。
「封を開けて電子レンジで温めれば、すぐにつきたての餅が再現できる商品を目指しています」(小野)
実はレンジと餅は相性が悪い。餅を温めようとする場合、中心部に食べ頃を合わせると「四角い餅は硬い部分が残るんです」(小野)。餅の形や水分量を変えることでなんとかならないかと、試行錯誤を続けているのだ。
「結構いいところまで来たような気がします。1~2年以内に出せればな、と」(小野)
※価格は放送時の金額です。
~村上龍の編集後記~
「うちが目指すのは家庭で炊いたような本物のご飯だ、やり直せ」先代は言った。添加物は味を変え、レトルト殺菌は独特の匂いがする。ふっくらとした炊き上がりを再現するため「1食分、ガスで直火する方法に」1食分ガスで直火? 90年に米飯専用の工場を建設、日産8万食。VTRを見て「1食分ガスで直火」というのがわかったが、それは60メールもあるとんでもない規模の炊飯施設だった。 米どころを支えてきた越後人でなければ、そんな炊飯施設は作れない。
<出演者略歴>
佐藤元(さとう・はじめ)1965年、新潟県生まれ。1987年、関東学園大学を卒業後、亀田製菓入社。1990年、サトウ食品入社。2010年、社長就任。
(2022年1月13日にテレビ東京系列で放送した「カンブリア宮殿」を基に構成)