行列のできる全国No1郷土菓子~人気の詰め放題&工場見学
東京駅の地下にある「諸国ご当地プラザ」には全国各地のおみやげが取り揃っている。この店の売上げナンバーワンが巾着袋に入った山梨の「桔梗信玄餅」。発売から50年経つ超ロングセラーだ。きな粉をタップリまぶした餅に特製の黒蜜をかけて食べる、素朴なお菓子。JR東日本の「おみやげグランプリ2017」でも、みごとお菓子部門の金賞に輝いた。
人気のお菓子を作っている桔梗屋は山梨県笛吹市にある。朝5時半。桔梗屋の本社兼工場に続々と人が集まり、大行列ができていた。
お目当ては「信玄餅」の詰め放題。観光客に人気のイベントとなっている。あまりにも人数が多いため、整理券を配布する。この日は220人分用意されたが、わずか10分でなくなった。ビニール袋に詰め放題の参加費はわずか220円。安さの秘密は、消費期限がこの日までだからだ。
桔梗屋の工場は山梨屈指の観光スポット。年間160万人がやってくるという。人気は工場見学。365日無休なので、いつ行っても見学が可能だ。工場の2階から「桔梗信玄餅」の製造工程すべてを見ることができる。
まずはベースとなる餅作り。国産の餅粉3種類をブレンドし、特注の機械で蒸していく。蒸しあがったお餅は一晩寝かせて、適度な硬さになったものを細く伸ばしながらカットし、丸めていく。3個ずつ容器に入れて、国産大豆で作った特製のきな粉をたっぷりとかける。きな粉は1日に400キロも使うそうだ。蓋でギュッときな粉を押しこんで、その上に黒蜜が入った容器をセットする。
工場最大の見どころが包装作業だ。ビニールの風呂敷をすばやく手で結んでいる。包装歴13年の内藤加奈によれば、「普通に本結びをしているだけなんですけど、無駄な動きをしないようにしています」とか。1日に12万個作られる「桔梗信玄餅」の仕上げは、全て人の手で行われているのだ。工場見学のコースを抜けると、その「包装」にチャレンジできるスペースが。包装体験(「桔梗信玄餅」4個付き)は390円。自分が包んだ分はお土産になる。
工場の敷地内にはお菓子のアウトレット店もある。ここでは消費期限が迫った「桔梗信玄餅」を販売している。4個で332円と、通常の半額。他にも「桔梗信玄餅」の餅だけやロールケーキのはじっこなど、規格外のお菓子を格安で販売している。
老舗和菓子メーカーの挑戦~進化を続ける「桔梗信玄餅」
「武田信玄とはなにも関係ございません。ただ昔から山梨県民が敬愛する武田信玄公にあやかって『桔梗信玄餅』と名前を付けさせていただきました」と語るのは、「桔梗信玄餅」の生みの親、桔梗屋4代目で、相談役の中丸眞治(67歳)だ。
甲府市内の住宅街に桔梗屋本店がある。創業は今から130年ほど前、明治時代の1889年。店頭には伝統的な和菓子が並ぶ。店の奥が工場になっていて、毎日手作りしている。贈答品から普段のおやつまで、桔梗屋の和菓子は地元の人たちに愛されてきた。
山梨生まれの「桔梗信玄餅」は今や全国区の人気商品。そして今、「桔梗信玄餅」シリーズが次々と出ている。
例えば2011年発売の「桔梗信玄生プリン」(4個入り、982円)。きな粉味の和風プリンに黒蜜をかけて味わう。1日に3万個も売れる、「桔梗信玄餅」に次ぐヒット商品だ。
その他にも、和洋折衷のお餅の入ったロールケーキ「桔梗信玄餅生ロール」(183円)に、黒蜜入りのアイスクリーム「桔梗信玄餅アイス」(324円)などなど。最新作は「桔梗信玄餅どら」(194円)。中にはアンコときな粉を練り込んだ餅が入っている。シリーズは客の好みや時代に合わせて数を増やし、いまでは13種類も作っている。
さらに桔梗屋は和菓子屋の枠を超えたビジネスを展開している。ヘルシーメニューで人気のイタリアンレストランを経営。「アルプスの少女ハイジ」のテーマパークに、温泉施設やホテルまで運営。さらには農業にまで進出しているのだ。
今やグループ会社は12社にも及び、従業員は全体で930人。売り上げも右肩上がりで、年商93億円に達している。
「美味しいこと、楽しいこと、美しいこと、そして健康に関連することだったら、なんにでも興味持とうと。その中に新たしい事業の目が出てくるかもしれない」と、中丸は言う。
倒産危機からの復活劇~「桔梗信玄餅」誕生秘話
8月の山梨県甲府市。お盆の習わしに従って、中丸家でも先祖の霊を迎える「迎え火」を焚く。妻で社長の中丸輝江が、お盆にあるものを供えている。きな粉のかかったお餅だ。「子どもの頃から、お盆は安倍川餅を供えてきました」と言う。
安倍川餅といえば静岡生まれ。きな粉餅とあんころ餅の2種類を一皿に盛るのが一般的だが、山梨では昔から、きな粉をまぶした餅に黒蜜をかける。山梨を代表する土産菓子は、そんなお盆の風習がヒントになっていた。
明治の中頃に創業以来、地元で評判の和菓子屋だった桔梗屋。中丸は1949年、その4代目として生まれ、子どもの頃から和菓子づくりを手伝っていた。だが1960年代、高度経済成長が始まると、食生活が欧米化。洋菓子ブームがやってきて、和菓子は衰退し始める。
「当時、親父は景気が悪いと言っていましたが、今考えれば実は『ケーキ』が悪かった。かなり経営が苦しかった」(中丸)
売り上げは下がる一方で、年末には両親が、取引業者に支払いを伸ばしてもらうように頼む姿も。当時、高校生だった中丸は不安に襲われた。
「支払いを待ってくださいと、頭を下げる親を見たとき、子供心にこのままではまずいと思ったのを覚えています」(中丸)
中丸は受験勉強をしながら、父・幸三、母・榮とともに、どうやったら店を再建できるかを考え続けた。高校3年のときのお盆。仏壇に供えてあった安倍川餅を見た中丸は「土産菓子になるんじゃないか」と思った。さっそく両親に話をすると、「わかった、餅のことはわしに任せておけ」(父)、「黒蜜はお弁当に付いているお醤油の容器に入れたらどう?」(母)と、話が進んでいった。
こうして1968年、家族3人の想いが詰まった「桔梗信玄餅」を発売した。中丸は明治大学に入学し、マーケティングを専攻。卒業後、桔梗屋に入社した。そして45歳のとき、4代目社長を継いだ。
社長になった中丸は、48歳で明治大学大学院に合格。学生時代に学んだマーケティングをさらに深く研究した。その知識をもとに経営の専門書まで出版。こうした研鑽のすえに、中丸は「伝統を守るだけではなく、壊していく、新しくしていくことも、伝統を引き継ぐことだ」という確信を掴む。
ハイジにホテルに水族館~伝統を打破!和菓子屋の夢
その言葉どおり、中丸は和菓子屋の枠を越えた。その象徴が山梨県北部の北杜市にあるテーマパークだ。
「山梨県立フラワーパーク」はもともと山梨県が花の産業振興のために作った施設だったが、毎年億単位の赤字を出していた。そこで中丸が再建に手を挙げ、2006年、山梨県から運営を引き受けたのだ。
「建物はお金はかかっていい雰囲気なのですが、十分に生かし切れていないと感じました。私どもで運営すれば魅力的な施設になると、勝手に思ったわけです」(中丸)
スイスを思わせる建物に注目した中丸は、そこを「ハイジの村」と名付けた。「アルプスの少女ハイジ」の世界観を再現し、今や年間20万人が訪れる人気のテーマパークに生まれ変わらせたのだ。
入り口ではハイジがお出迎え。ハイジの世界観を盛り上げるために中丸は新たな建物も作った。それが、ハイジがお爺さんと暮らした「アルムの家」。室内もアニメを参考に、家具や道具などを忠実に再現している。
「ハイジの村」に隣接しているのが、ホテル「クララ館」。ここもかつて赤字だった公共の温泉施設。桔梗屋が再建を手がけている。
泊まる和室にもハイジの世界が。襖にはハイジが暮らす村が描かれている。夕食はもちろん本格的なスイス料理。テーブルにシェフがやってきて自らサーブしてくれる。「ラクレット」というスイスの家庭料理は、チーズの塊を温めて削いでいき、茹でたジャガイモなどにからめて食べる。この料理はハイジのアニメでも登場する。
一泊2食付きで大人1万1640円~、小学生4620円。子ども連れにはありがたい値段だ。コンセプトを明確にすることで客を呼び、赤字から黒字の施設へと転換させたのだ。
「ハイジの村」では結婚式もできる。年間20組ほどがここで式を挙げている。ぜひ緑の中で、という花嫁さんが多いそうだ。披露宴のお楽しみは桔梗信玄餅の詰め放題。その演出に、会場は笑顔にあふれるという。桔梗屋グループの婚礼担当、中沢留美は「『ここでできるの』と喜んでくれる方が多いので、その顔を見るのが嬉しいです」と言う。
「ハイジの村」以外にも、桔梗屋はフランスの画家ミレーのコレクションで知られる「山梨県立美術館」や、富士山のふもとの忍野村にある淡水魚の水族館「山梨県立富士湧水の里水族館」といった公共施設の運営にも参加している。
中丸はなぜ、和菓子屋の枠を超えてチャレンジし続けるのか。
「我々ができることでお客様に喜んでいただければ、大袈裟に言えば山梨の観光にプラスになると考えられると思います」
地元山梨に貢献したい~和菓子屋のベンチャー魂
山梨県笛吹市にある野菜畑。桔梗屋の自社農園だ。働いているのは農園担当の橘田光一郎。桔梗屋グループの社員で、7年前、農園の立ち上げから携わっている。
「桔梗屋の営業部門にいまして、最初は不安のほうが大きかったのですが、県外に研修に行かせていただいたりして、だんだん楽しさが出てきたと思います」(橘田)
ここはもともと耕作放棄地。ふる里の農地が荒れ放題になるのは忍びないと、その再生を始めた。土地を借り上げることで農家も喜ぶ。さらに桔梗屋は、リタイヤしたシニア世代も積極的に雇用。現在34人が働きながら第2の人生を謳歌している。社員のひとりは「いいですね、自然の中で働くのは。空気もいいですし、仲間もいるから話し相手もいますし」と語る。
農園で作った野菜を食べてもらうため、桔梗屋はレストランも作った。「イタリアントマトクラブ」のヘルシーなメニューは客に評判。一番人気は自社農園で採れた野菜をふんだんに使ったサラダバー。このサラダを目当てに来るお客もいるほどだ。
この秋、桔梗屋は新たな挑戦を始めた。本業の菓子作りでも、地元農家との本格的なコラボに動き出したのだ。
入社10年目、仕入れ担当の塚原弘明は、山梨のブドウを使った新しい菓子作りのため、農家を訪ねて回る。
ブドウ農家の内田良幸さんが作っているのは、種なしで皮ごと食べられることで人気のシャインマスカット。その内田さんに「初年度なので1トン半くらいの仕入れを考えています」と話す塚原。地元のフルーツを使って大量の菓子をつくるのは、桔梗屋にとっても初めてのこと。仕入れるのはいわゆる「訳あり」のブドウ。粒が小さかったり、欠けているものを買い取り、それを加工品にすることで、農家をサポートするという。
まずシャインマスカットを皮ごとミキサーに入れてジュースにする。それを温めた寒天と混ぜあわせる。次にゴム風船を機械にセット。そこに液を詰めていく。「玉ゼリー」というお菓子だ。割ってみると、まるで本物のブドウのようだ。
9月下旬、いよいよ販売開始。中央高速釈迦堂パーキングエリア内の店に、担当の塚原が「シャインマスカットゼリー」(3個入り、410円)を並べていく。ラベルには「山梨農業応援菓」の文字が。その思いが通じたのか、お客が次々と手に取っていく。
「今後も地元の農家さんと協力して、山梨のフルーツを盛り上げていきたいと思います」(塚原)
~村上龍の編集後記~
「成功の秘訣」など、ないんだなと、つくづくそう思う。商品もサービスも、細かく多様化して、しかもモノは余っている。どんな商品を、どう売ればいいか、共通する答はない。
中丸氏は、マーケティングを深く学んでいるが「市場調査」を重要視しない。「自分が面白いと思うかどうかだ」。そう言いきる。
だが「面白いアイデア」は、どこかに転がっているわけではない。考え抜いた末に、あるときふいに意識の底から、泡のように浮かんでくる。
さえない響きのある「地方の中小企業」、という言葉、桔梗屋は、そのイメージを、一新した。
<出演者略歴>
中丸眞治(なかまる・しんじ)1949年、山梨県生まれ。1968年、両親と「桔梗信玄餅」を開発。1972年、明治大学卒業後、桔梗屋に入社。1995年、社長就任。2010年、相談役就任。