自宅で最期を迎える~在宅医療革命の全貌
厚生労働省の調査によると、7割の人が自宅での最期を希望している。しかし、実際には様々な理由から、自宅で最期を迎える人はわずか1割しかいない。だが東京・板橋には、「自宅で安心した最期」を叶えてくれる診療所があるという。やまと診療所だ。
中に入ると受付もなければ待合室もない。オフィスが広がっているだけ。ここは在宅医療をメインにした診療所。4年前に開業し、常勤医師4人を含む26人が働いている。若いスタッフが多く、平均年齢は29歳だ。
やまと診療所を立ち上げた院長の安井佑も36歳。名刺を見ると、「自宅で自分らしく死ねる」と、ドキッとするフレーズが入っている。「同業の医師なんかに渡しても、すごくびっくりされることがあります」と笑う。
「自宅で自分らしく死ぬということは、結局、自宅で自分らしく生きる、最期まで生き抜くということなので、我々がそれを支えるんだということを表しています」(安井)
やまと診療所はいわゆる「看取り」に力を入れている。末期がんなどで遠からず死を迎える患者に、人生の最後を自宅で、自分らしく過ごしてもらうための医療を施すという。
番組では去年の夏から安井に密着した。
この日、安井が訪ねたのは一人暮らしの平山千鶴子さん(82)。週に一度、在宅医療を受けている。
乳がんを患い、治療の副作用で、医師から「いつ亡くなってもおかしくない」と言われ、去年8月、自宅での療養を選んだ。安井は病院と同じ処置を自宅で行う。
それを見つめるのは長女の和子さん。1時間ほど離れたところに暮らし、週に1度、様子を見に来ている。在宅医療では家族へのケアも大事。どんな質問にも的確に答える。
続いて体調のチェック。終末期の医療は「痛みを和らげること」と「体調管理」の二つが中心となる。
滞在時間はおよそ30分。安井は1日10件の在宅医療を行っている。診療代は月額で上限1万2千円ほど(自己負担1割の場合)。24時間対応している。
「ひとりでここで暮らしたいというのが母の一番の希望なんです。一緒に住むとか思ったんですけども、本人のしたいように暮らしてもらうのが一番良いと思って」(和子さん)
「こうやって生活していくには、私みたいに病気を抱えている者にとっては本当にありがたいです。大きな言い方したら、生きていく上で本当にすごい支えです」(千鶴子さん)
「望む最期を届けたい」~若きスーパードクターの挑戦
安井が次に訪ねたのは櫻井康子さん(69)。末期の大腸がんで、医師から余命1ヵ月と宣告されていた。夫の五郎さん(75)と二人暮らし。五郎さんと一緒にいたいと、康子さんは病院から自宅に移ることを選んだ。
やまと診療所の患者は300人あまり。こうした末期がんの高齢者が半数を占めるという。安井は心がけていることをこう語る。
「どんな状態であっても、これができて良かったとか、これが楽しいというふうに、本人たちが笑っていられる状況を、一瞬でもいいから作りたいなとは思います。苦しい、辛いという要素が多いなかで、少しでも本人たちが前向きに考えられるきっかけを作りたい」
翌日、五郎さんはずっと康子さんのそばにいた。時折、「寒くないか」と声をかける。
「妻は『迷惑かけるね』と言う。それはいいんだよって」(五郎さん)
「でもお家に帰ってこられて、主人の側にいられるってことはすごく嬉しいの。今が一番幸せ」(康子さん)
自宅だからこそ愛おしめる、2人だけの時間が流れていた。
安井は1980年、東京のサラリーマン家庭に生まれた。中学、高校は父親の転勤でイギリスやアメリカで生活。おおらかな父のもと、家族で海外生活を楽しんでいた。
だが高校2年のとき、父親は末期ガンを宣告される。一家は急遽、帰国。当時、日本で始まったばかりの緩和ケア病棟に入ったが、わずか3ヵ月で命を落とした。
「その宿題を今でも解いているような感じです。その時、自分が父親と関われなくて悔しかったという自分の思いを、20年経っても解決しようとしている」(安井)
安井は父親の死を機に医師を志し、東京大学医学部へ。2007年には国際医療チームの一員として、当時、軍事政権下にあったミャンマーに渡った。医師のいない村で、あらゆる症状の患者を一手に引き受けた。1日20時間以上手術をすることもしばしばあったという。
2009年に帰国し、都内の大学病院に勤務。だが次第に、何もかも管理された病院での最期に疑念を抱くようになった。
「患者と家族が何か思いを我慢して周りに合わせたまま、時間だけが過ぎてしまっているんじゃないか。本来、本人と家族が過ごすべき時間が流れてしまって、いつの間にか死んでいたとなることに対して、やっぱり僕は抵抗があるんでしょう。自分たちで一個一個、決めて欲しい」(安井)
「患者と家族が望む最期を届けたい」と、安井は看取り中心のやまと診療所を立ち上げた。
2016年10月、安井が向かったのは康子さんと五郎さんのお宅。そこには笑顔の康子さんが。余命1ヶ月を大幅に超えていた。夫の五郎さんも嬉しそうだ。
自分の家で思うままに暮らすことが、患者の生きる力を強くすることもあるのだ。
去年の暮れ、番組のスタッフに連絡があった。
櫻井康子さんが12月11日、夫の五郎さんに看取られながら、静かに息を引き取った。「眠るような感じだよね。家にいたから、在宅でやったから、最後の息を引き取るところまでちゃんと見られたから、それも良かったんじゃないかなと思う」(五郎さん)
47万人が「看取り難民」に?~2030年問題に挑む!
宮城県北部の登米市に安井がやってきた。向かったのはラジオ局。登米市民の8割が聞くという人気のエフエム局だ。
安井は3年前からラジオのパーソナリティを務めている。きっかけは2011年の東日本大震災。安井は医療ボランティアとして、被災地に入り、その縁で宮城県の登米でラジオの医療番組を受け持つことになった。
ラジオでも在宅医療の必要性を訴える安井。その背景には、日本が抱える大きな問題がある。それが2030年問題だ。
現在、高齢者の割合は4人に1人。それが2030年には3人に1人に増加する。病床の不足などで、47万人が死に場所のない「看取り難民」になる可能性があるのだ。
その難題に立ち向かっているのがやまと診療所。常勤医師4人、全スタッフ26人と、規模は大病院に及ばないが、年々、看取りの件数を増やしている。
その裏には安井が導入した画期的な仕組みがあるという。
「自分が患者さんに寄り添って診療していくなかで、患者さんの意思を汲み取って連絡調整をするという仕事がとても大事だということを実感しました。そこで我々は、在宅医療PAという在宅医療のプロフェッショナルを育てることで、切り札にしようとしています」
PA(Physician Assistant)とは医療アシスタントのこと。安井は看取りのプロフェッショナルと位置づける。
通常の在宅医療は、医師1人か、看護師を伴った2人体制。だが、やまと診療所では2人のPAを伴う3人体制だ。
PAは、看護師の資格がなくてもできるカルテの記入などを行う。さらに、医師が家族の相談に答えているとき、PAは患者の体調をチェックする。血圧や脈拍の測定、医療器具の準備などをPAが行うことで、医師は診察に専念でき、滞在時間も減る。だから多くの患者を診ることができるのだ。
患者も医師もサポート~“在宅医療PA”とは?
だがPAにはもっと大事な仕事があるという。やまと診療所のPA第1号、針生彩子は「患者さん側に立てるスタッフだと思っています。医師の負担を取るというだけでなくて、患者さんの希望を聞きながら、必要な治療をしていくという方が強いですね」と言う。
PAは、患者の希望に沿った医療の体制を組むコーディネーターのような役割もする。
板橋区内にある板橋中央総合病院を針生が訪ねた。腹部のがんで入院している鈴木京子さん(82)。自宅で生活したいと望み、PAの針生はその準備にやってきたのだ。針生の細やかな心遣いに京子さんも安心した様子だ。
終末期の患者が自宅で生活する場合、医師の他に訪問看護師やヘルパーなどのサポートが必要となる。通常はそれぞれが患者から話を聞き、その人に合ったプランを立てている。
一方、やまと診療所ではPAがその中心になって患者の要望を聞き取る。その情報をもとに、看護師やヘルパーなど外部のスタッフとも連携し、1つのチームとして患者を支えていくのだ。
京子さんが退院したその日、すぐさま自宅を針生が訪ねた。患者や家族にわかりづらい、医療や介護の煩雑な事務手続きをサポートする。簡単な問診を行い、その内容を担当の医師にメールで送信。初めての患者でも、どんな病状なのか、飲んでいる薬や食事の様子も分かるので、医師も心の準備ができるという。
針生が着いてから1時間後に医師が到着。初めての患者でもPAが関係性を築いているので、医師はスムーズに診察を行える。
患者と家族を、医療や介護のチームとつなぐ。PAは在宅医療の要となる存在なのだ。
職歴、経験関係なし~在宅医療PA育成術
PAを志望してやまと診療所に入ってきた新人たち。前職は不動産関係、ペットショップ勤務……と様々だ。やまと診療所では独自のプログラムを作成し、医療分野の経験がない人を一から鍛え、PAに育て上げている。
まずは医療知識を徹底習得。PAは医師や看護師の資格がないため、医療行為はできない。だが器具の準備はできる。カテーテルや点滴、人工呼吸器など、300種類以上の器具の取り扱い方を学んでいく。
週1回は医師による講義も。在宅医療で多く見られる病状や薬剤の知識のほか、保険や診療報酬の仕組み、さらに介護の知識なども身に付ける。
続いてはコミュニケーションを武器にする研修。患者と心を通わせるにはコミュニケーション能力が不可欠。外部から話し方の講師を招いて徹底指導。やまとでは、PAに最も必要なのはコミュニケーション能力だと位置づけている。
そして、とにもかくにも現場で学ぶこと。先輩PAに付いて現場のイロハを学び、医師の仕事を少しずつフォローしていく。
こうした研修を3年間積み重ね、ようやく一人前のPAになれるのだ。
在宅医療PAという仕事について、スタジオで安田はあらためてこう語っている。
「命に関わる厳しい現場にいて、家族や本人とコミュニケーションを取り続ける。周りの多職種と調整をし続ける。そこに自分の価値を発揮するくらいやり続けなければいけない。タフな現場にい続けるということと、自分自身が常に成長しなければいけないという意味で、PAは真の医療人だと思っています」
宅配業ともタッグ~地域ぐるみで在宅医療
やまと診療所で去年の夏、新たなプロジェクトが動き出した。食品メーカー「明治」の宅配センターを取り仕切っている飯田健太さんとタッグを組むというのだ。
「乳製品の宅配という域から、サービスの幅を広げることができてない。生活にけっこう入り込んでいる業界でもあるし、そこの部分でやっぱり悩みを聞いて何もできなかった。特に医療の部分というのは、相談じゃないですけど、ただ話したくて話している方が非常に多いので」(飯田さん)
やまと診療所と明治の宅配所が協力してスタートさせたのは、医療や介護の無料相談。生活をする上での困った点や、病気や介護に対する不安なことがあれば、診療所のスタッフが電話で応対。ケースによっては自宅まで伺うという。
宅配の利用者は高齢者が多い。飯田さんはやまと診療所と手を組み、地域の住民を支えたいという。
「困っている人の話を直接聞けて、何もできないっていうのでは……。この仕事は医療につなげないともったいないというか」
地域と一体となった新しい医療の取り組みが始まったのだ。
「在宅医療自体が、世の中にあんまり十分知られていないと感じている。在宅医療が必要な人がいっぱいいるはず。そういう人達に対して正しい選択肢を提示するためにも、地域連携はとても重要だと思っています」(安井)
~村上龍の編集後記~
在宅医療は、トピックスである。根本には当然、ヒューマニズムがある。だが、ヒューマニズムだけではやっていけない。
安井先生は、訪問看護やヘルパーとの連携システムを作り、さらにPA、つまり「フィジシャン・アシスタント」を養成し、活用している。画期的だ。
PAは「医師助手」と直訳されているが、「メディカル・ネットワーカー」という日本語訳は、どうだろうか。
将来、「看取り難民」が激増するらしい。病院から出され、一人で死を待ち、支援もない。考えただけでぞっとする。
「やまと」は、そんな現実に、立ち向かっている。
<出演者略歴>
安井佑(やすい・ゆう)1980年、東京都生まれ。2005年、東京大学医学部卒業。2008年、ミャンマーで海外医療チームに所属。2013年、やまと診療所開業。