仕事の時間配分は難しい(結城浩「ワークスタイル・ライフスタイル」)

こんにちは、結城浩です。

一人で書き物の仕事をしていると、自分の24時間をどのように配分するかは自分の裁量に完全にまかされています。誰からも指示されないのは気楽ですが、自分で自分に指示しなくてはいけないのはつらいものです。

書き物の仕事にもいろんな種類があります。「単発で依頼されて書いて終わりという短期的な仕事」から、「何ヶ月もかかる本の書き下ろしのように長期的な仕事」まで、かかる時間はさまざまです。

時間の長短とは別に「やればできるとわかっている仕事」もあれば、「きちんと成果に結びつくかわからない仕事」もあります。後者は仕事というか、ただの勉強であることも多いのですが。

一日ずっと一つの仕事をしていることは珍しくて、たいていはその日のメインの仕事と、それ以外のこまごまとした作業を組み合わせます。

自分の時間の振り分けが難しい理由の一つは「今日の自分の振り分け」が正しかったかどうか、誰も評価してくれないという点にあります。

私が今日の一日をどう過ごしたか、どういう仕事に時間を使ったかは、基本的に私しか知りません。ですから誰も「それでいいよ。その調子」とは言わないし、「それはまずいな、もっとこの仕事に時間を使いなさい」とも言わない。「その調子で進んでも成果は出そうにないからやめたまえ」とも言わない。ただ静かに時計の針が進むだけです。

自分の行動を適正に保つためには、正しいと思われるフィードバックをかけなくてはいけません。それをかけることができるのは自分自身です。それは、好んでやっていることとはいえ、時に困難を感じることもあります。特に、長期的な仕事に対してどのように時間を掛けるかは難しいものです。迷ってばかりはいられないのでどこかで「心決め」するしかないのですけれどね。

「遊んでしまって時間を無駄に使う」という危険性はあまりありません。なぜかというと、その時間遊んでしまった、休んでしまった、さぼってしまったのは、自分でわかっているからです。「気分転換は終わりにして、そろそろ仕事しなくっちゃ」と思います。

実は、きちんとした仕事に見える作業が危険な落とし穴です。ほら、手を動かして時間を使うと「妙な達成感」があるじゃないですか。あれがとても危険です。「ああ苦労したなあ。でもやっとできた」このような達成感が、感覚を鈍らせてしまうのです。苦労して時間を使ったからよしというものではないのに。

その一方で、効率優先・結果優先ならばいい、ともいえないのが難しい。本を書くような仕事、勉強を必要とする仕事では、ときに「無駄な遊び」が必要になるのも事実だからです。無意味に見えるようなプログラムを作ることが、その開発環境に慣れることにつながることはとても多いです。時間の使い方の見極めは難しいですね。

結城メルマガVol.063より)