4坪店から年商1000億円へ~女性熱狂、お値打ちアパレル
スカイツリーの商業施設、東京ソラマチに、客が殺到するアパレル店がある。女子大生のグループに小さな子ども連れのママ、さらに76歳という常連客も。驚くほど幅広い客を掴んでいる理由は、ベーシックで落ち着いたデザインに、女性らしいかわいいファッション性。そしてなによりも、ほとんどの服が3000円から4000円台で買える手ごろな価格帯にある。
この大人気ブランドは「アース」の名前で親しまれる「アースミュージック&エコロジー」。女優・宮﨑あおいを使ったCMでも有名。運営するのはストライプインターナショナルという会社だ。
その成長スピードは驚異的。なんと毎年150店を出店。ストライプの店はすでに1200店舗に迫り、国内では、あのファーストリテイリングのユニクロとGUに肩を並べるまでになっているのだ。なぜアースの店はここまで急速に増えているのか。
ここ数年、業績が悪化している大手アパレルの店が全国で大量に閉店している。ストライプの店は、その空き店舗を埋める人気店として商業施設で引っ張りだこ。大手ファッションビル、ラフォーレ原宿の荒川信雄社長も、「いつも活気があって素晴らしいですね。非常に貴重な存在です」と、高く評価している。
そんな会社を作り上げたのがストライプインターナショナル社長、石川康晴(45歳)。1994年、岡山のわずか4坪の店で創業、ここ数年で怒濤の成長を遂げ、年商は1000億円を超えた。今やアパレル業界で最も注目される経営者だ。
アースが幅広い年齢層の客を掴む理由は安さだけではない。
アースの店には毎日のように新作が届く。その数、1日平均10種類。一方、店内に置く在庫の数は少ない。ある店では、1つの商品・ワンサイズにつき在庫は3点まで。同様に安さで売るユニクロの場合、売れ筋の定番商品を膨大な量仕入れて、積み上げて売っている。しかしアースの店は、店内の在庫をあえて少なくすることで、売れていく端からどんどん新商品を並べる。その新鮮さが女性の心を掴んでいるのだ。
売上高1兆円を狙う、大胆現場主義
東京・銀座。歌舞伎座の上にそんなストライプの東京本部がある。社員数はグループ全体で4600人。自社で服をデザインし、製造・販売までするアパレルメーカーだ。
石川に成長の秘密を聞いてみると、あるものを見せてくれた。廊下に掲げられているのは、プロの写真家に撮ってもらった東京本部で働く社員ひとりひとりのポートレート。その数300。それぞれ自分の一番大切なものを持っている写真には、ある役割があった。
「うちの常務は浦和レッズのファンなので、レッズタオル。こちらの女性もレッズファンなんです。だから一緒に観戦に行きます。そんな会話のきっかけになると思って。コミュニケーションを増やすために、こういう仕掛けを入れています」(石川)
この社員との関係こそが、石川の成功を支えてきたという。その本当の意味が石川の店舗視察に同行して分かった。
この日、熊本の店では復興支援のセール中。石川は「困っていることない?」と、スタッフに声をかけて回っていた。さすがに相手が社長とあって、なかなか本音は出てこない。だが、「何回も聞き直すとだいたいひとつくらい出てくるんです。それが会社の利益、売上げになります」(石川)。実際この日も、石川が何度も聞いて回ると、一部の商品が足りないという現場の問題点が出てきた。
現場の意見に耳を傾けることで、常識に縛られない大胆な挑戦ができるという。東京・立川市の「ららぽーと立川立飛」にあるアースの店の隣に作ったのは「ブロックナチュラルアイスクリーム」というアイス屋さん。アパレルにもかかわらずこの店を始めた理由も、「今までアパレルで培ってきたかわいいビジュアルや、女性の好みがわかるので、それを生かせるのではないかと考えました」(本社企画部・田村友代)という現場の声からだ。
さらにアパレルの常識を変える大胆なサービスも。「メチャカリ」という服のレンタルサービスだ。中古でなく新品が借りられるという。スマホで気に入った服を選び、一度に3着まで借りることができる。料金は定額で月6264円。ちなみに、客が返却した服は古着としてネットで格安で販売する仕組みだ。
メチャカリ立ち上げの責任者、ウェブ&テクノロジー本部長の松村映子は、「服を着るという行為を楽しみたいという女性がたくさんいるのに、お金がないとか、服を入れる場所がないという悩みがありますので、楽しさを提供することをメチャカリで実現したいと思っています」と語る。
現場と格闘し、アパレルの常識を覆す石川。その先に見据えるのは、大胆すぎる未来だ。
「今、日本のアパレルで1兆円を超えているブランドはユニクロしかないんです。僕たちもこのステージに行かないと。ZARAやH&Mを将来追い抜く、世界一になるブランドにしていきたいと思っています」(石川)
「社長がバカだから」~洋服好きの少年が真の経営者になるまで
かつて日本のアパレルの主戦場は百貨店だった。大手レナウンが、最先端のファッションを武器に業界を席巻していた。そんな1970年、石川は岡山県で生まれた。幼い頃からおしゃれに目がなかったという。
1980年代になると、バブル経済ともに盛り上がったのがDCブランドブーム。流行のファッションビルで、メンズビギやイッセイミヤケなど、有名デザイナーの作るおしゃれな服が高い値段で売れまくった。高校生になった石川も、ニコルのシャツにレイバンのサングラスと、なけなしの小遣いをおしゃれに費やした。
そんな石川は23歳の時、紳士服メーカーで働いて貯めた資金をもとに起業。岡山市内で小さな場所を借り、アパレルビジネスへの第一歩を踏み出す。
バブルも崩壊していたそのころ、石川が売ったのは自分が好きだったパンクロックのファッション。わざわざ海外で買い付けた。その独自の品揃えは話題となり、石川は4店舗にまで拡大する。ところが、「もっと高いものを、もっと奇抜なものを仕入れようという方向に動いたんです。そうするとユーザーがついてこられなくなって、一気に客数が落ちた。創業して初の赤字ですね」(石川)。
追いつめられていった石川はある日、社員を前に、強気の戦略を発表する。
「地方の人にこのデザインの良さはわからない。東京の代官山に派手な店を出そう」
すると翌日、社員の何人かが「石川にはついていけない」と、辞めていった。何がいけないのか、分からない石川。するとレジの下から1通の手紙を発見する。石川が特に信頼していた女性社員が友人に宛てて書いたものだった。そこには、「社長がバカだから私も会社を辞める。この会社は間違いなく潰れる」とあった。
「その手紙を読んでから、自分の価値観が変わったんです。社員がこれだけ思っているということは、自分が変なんじゃないか。僕は正しくないんじゃないかと思って、逆さまから物事を考えていこう、と」(石川)
石川はそれまでと全く考えを変える。謙虚に現場の声を聞き、一から店を作り直そうとした。
アパレル戦国時代を生き残れ~驚異の転換力
折しも日本はデフレ不況へ突入。百貨店や大手アパレルが失速する中、ユニクロが東京へ進出。中国で大量生産したフリースで大ブームを巻き起こしていた。同じ頃、石川は大胆な業態転換をする。女性たち誰もがファッションを楽しめる店へ。それが1999年にオープンしたアースミュージック&エコロジーだった。そのブランド名が示す、誰もが心地良さを感じる自然な風合いのデザインと買いやすい価格設定が、一気に女性たちの心を掴んだ。
石川は今も徹底的に現場の声にこだわり、次へのタネを撒き続けている。
例えば東京・原宿の「レベッカブティック」は、アメリカ西海岸などから買い集めたクラシックな古着をそろえた店。最近人気沸騰中なのは東京・新宿の「メゾンドフルール」。フリルのついたかわいいバッグを売る店だ。石川は、主力ブランドから上がる利益の3割を、毎年、アパレルの常識に捕われない新業態の立ち上げに投じている。
「既存のやり方を3年、4年とやると、競争相手が追いついてくるし、だいたい売上も下がってくるんです。どんどん路線転換することが、一番継続できる組織になる。路線転換できなくなった瞬間、我々は沈没していくと思います」(石川)
中国では、石川の驚くべき決断を目撃した。やってきたのは上海中心部にあるファッションビル。そこにはアースミュージック&エコロジーの店が。ストライプはすでに2011年に中国に進出。現在およそ70店を展開している。
売り場には、日本では扱っていない中国向けの商品が並んでいた。しかし、状況は良くなかった。石川は中国法人の幹部を集め、驚くべき決断を口にした。
「黒字店だけを残して赤字店は全部やめる。たぶん50店ぐらい閉店になるでしょう」
驚きを隠せないスタッフ。しかし、石川はすでに次なる策を準備していた。その現場は福島県いわき市。オープンしたのは、まさに中国攻略を想定した新たなテスト業態だった。
初日から賑わった店内には驚くべき光景が。アースのコーナーの隣にあったのは、国内のライバルブランドのコーナー。ストライプ以外のブランドが25もある。
石川は、他社の人気ブランドを口説き落として、中国市場に挑むオールジャパンの店を準備していたのだ。
若手リーダーを応援~創業の地・岡山で町おこし
岡山県北部にある美作市。その田舎町に、行列ができる店を作った強者がいた。客のお目当てはフワフワのソフトクリーム。誰もが魅了されるその味には秘密が。それはほうじ茶の香ばしい風味が効いた、他にないソフトクリームだった。
「SHIMOYAMA’S GREEN TEA」は、新しいお茶の味わいを提案するユニークなお茶屋さん。作った下山桂次郎さんの本業は、お茶を栽培する農家だ。数少ない若手の生産者として、独特の風味にこだわったほうじ茶作りで知られてきた。しかし、「まさかお店を出せるとは思わなかった。自分でもびっくりです」(下山さん)。
念願だったお茶の店が実現したのは、6年前にとったある賞のお陰だという。ストライプ創業の地、岡山で毎年、石川が開催しているのはオカヤマアワード。岡山で活躍する優れた若手リーダーを表彰するため、石川が立ち上げた。
副賞は、受賞者のビジネスの拡大を様々な面で支援するビジネスサポートだという。お茶農家の下山さんも、店の開業や商品開発に詳しいプロの人材を紹介してもらうことで、人気店を作ることができた。
実は石川は岡山で様々なイベントを行い、地元を盛り上げてきた。今、開催しているのは岡山アートサミット。ビルの壁に描かれた巨大なイラストがアートなら、グラウンドに出現した巨大な物体もアート作品。なんと模様の部分でゴルフができるようになっている。駐車場には、宇宙から落ちてきた隕石をイメージしたオブジェ。市内に世界中のユニークな芸術家の作品を散りばめた。
石川は言う。地元への還元こそが、自らのビジネスの最大の意味だと。
ユニクロの社長と激論? 世界市場を掴む秘策
年商1兆7000億円のユニクロを世界で展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長。実はストライプの石川に、ある日突然、柳井さんからお呼びが掛かったという。
「『ちょっと話が聞きたい、六本木の本社に来てくれ』と言われまして」と、スタジオで石川が回想する。
「『もっと大きい店をやりなさい』と言われました。僕は『何言ってるんだ』という気持ちがあって、『これはひとつのビジネスモデルなんです』と話したら、『それは違う。ビジネスは規模だ』と言われました。僕は家に帰って風呂場で2時間ほど、『規模』というキーワードが頭の中にあって……」
小池栄子に「規模という言葉がどう引っかかったのでしょう」と問われた石川はこう答えている。
「ちょうど売上が1000億円間近だったんです。これから年10%伸ばそうとすると、小型店舗では1店出店しても1億円しか売上が出ない。でも柳井さんのブランドは1店舗で10億円も20億円も売上を出している。もしかしたら1000億円を1兆円にするためには小型ではなく大型ではないかと考えました。そこでGAPやZARA、H&Mを研究する準備室を作って、スタッフをスペインのZARAの大型店の隣のホテルに住まわせて、毎日、定点観測に行かせて、レポートを上げさせたんです」
結局、石川は柳井さんの言う大型店を作った。その名も「KOE」。巨大な空間には、欧米の客をターゲットにした大人っぽいデザインの服が並ぶ。
2020年。石川は本格的にこの店で世界に攻め込む。
~編集後記~
アパレル業界は苦しんでいる。消費者は、ネット通販、レンタルなどさまざまな流通を知り尽くし、流行ではなく自らの好みを優先させる。出費を控え、安易に宣伝に乗らない。
ストライプインターナショナルは、一貫した戦略がないかのように見える。だが、石川さんのロジックは切れ味鋭く、ぶれがない。戦略がないのではなく、戦略を固定させないのだと思う。
賢くなり、自由に浮遊する消費者に寄り添うように、いろいろな領域で多様性を提供する。
石川さんの、「洋服」に対する幼少からの愛情が、その先端的な考え方を支えている。
<出演者略歴>
石川康晴(いしかわ・やすはる)1970年、岡山県生まれ。専門学校卒業後、紳士服店勤務。1994年、岡山市内にセレクトショップを開業。1999年、アースミュージック&エコロジー1号店開業。2013年、グループ売上高1000億円突破。