「ごちゃ混ぜ」の街づくりで地域活性!金沢発注目コミュニティの全貌【佛子園】/読んで分かる「カンブリア宮殿」



全国から視察が年間600件!シェア金沢とは?

北陸新幹線の開通から一年。加賀の小京都・金沢には前にもまして観光客が押し寄せている。

その中心部から車で走ること20分。閑静な住宅街の中に、今、全国から大きな注目を集めている街「シェア金沢」がある。大型観光バスでやって来る一団も。行政の関心が高く、年間600以上の団体が視察に来ていると言う。

シェア金沢の大きさは、東京ドームよりひと回り小さいほど。そこにおよそ70人が暮らしている。住人は高齢者が半数以上ともっとも多く、高齢社向け住宅が32戸。学生向けの住宅が8戸。そして30人の障がいを持つ子どもたちが暮らす施設もある。いろいろな人たちが暮らす街の実態こそが、シェア金沢の注目される理由になっている。

入口の駐車場から1周すると、まず見えてくるのがシェア金沢の本館。中には一般客も詰めかける人気のレストランが入っている。一番人気のメニューはオムライスだ。

同じ建物の中には近隣の人を呼び寄せる天然温泉も。住人は無料、一般客は400円と銭湯並みの料金で入ることができる。

本館を出て右折すると右手にはクリーニング店。正面には売店が見えてくる。食料品から日用雑貨まで揃っていて、街の外に出なくても不自由せずに暮らしていける。

売店の隣はマッサージ店。さらにカフェバーやテナントが入った建物が続く。一番端はキッチンスタジオ。この日は子どもの料理体験が行われていた。

30メートルほど進むと、音が聞こえてきたのはウクレレ教室から。その横はドッグラン。隣の柵の中にいたのはアルパカだ。アルパカ牧場の前を左折すると、最初の駐車場が見えてきた。歩いてもおよそ5分で一周できる。



子どもからお年寄りまで~世代を超えて生まれる交流

シェア金沢は、小さな子どもからお年寄りまで、様々な世代が交流する新しいコミュニティとして注目されている。住人は実際、どんな風に暮らしているのか。

まずは全体の半数以上を占める高齢者のお宅へ。鈴木総七郎さん(74歳)は去年4月、神奈川県からここへ移り住んだ。

玄関から入ってすぐのところには共同のキッチンとリビング。この棟には4世帯が入っていて、気が向けば、ここで一緒の時間を過ごす。いわゆる「サービス付き高齢者向け住宅」だ。

その奥がそれぞれの居住スペース。鈴木さんの部屋は1LDKの42平米。バス・キッチンもついて家賃は月8万5000円から。共益費などを合わせると12万円ほどだ。

鈴木さんは2年前に奥さんに先立たれ、先々のことを考え、あちこち探してここに決めたと言う。毎日ひと声かけてくれる見守りサービスや、希望すれば、朝食500円、夕食800円で日替わりの食事サービスも受けられる。敷地の中にはデイサービスなどの介護施設も。必要となればすぐに利用可能。一人暮らしでも安心だ。

さらにここには、その気になればできるいろいろな楽しみがある。

敷地内の家庭菜園もその一つ。鈴木さんはタマネギを育てた。回りの住人にもおすそ分けし、喜ばれていると言う。畑仕事をしていると、東京から移住してきたという女性から声が。畑でよく顔を合わせるようになり、アドバイスをするうちに親しくなった。こんな交流が、日々の生活を明るくしてくれる。

鈴木さんは新たな生き甲斐も見つけていた。見せてくれたのは介護ヘルパーの研修修了書。介護する側に回ったのだ。同じ敷地の中にある高齢者のデイサービスセンターで、鈴木さんは週に2日、働いている。この日は80歳のおじいちゃんの将棋の相手。この他に障がい児のサポートの仕事もあり、多い月は100時間働き、7万円の収入になる。

そこへやって来たのは、今年金沢大学に入学した18歳の富田康平さんだ。「じゃあ、風呂入ろうか」という鈴木さんの声で、18歳と80歳、74歳の3人で温泉へ。富田さんは入浴介助のボランティアで、背中を流しに来たのだ。

「なんかいい感じ」(鈴木さん)、「いろいろな人と交流できて楽しい。楽しみながらボランティアができるのが一番」(富田さん)と、世代を超えて、深い交流が生まれている。

富田さんはシェア金沢の中に8戸ある学生向け住宅に住んでいる。きれいな1DKで、家賃は水道・光熱費込み4万円と格安。その代わりに月30時間のボランティア活動が入居条件となっている。

障がい者も~ごちゃ混ぜだから人は変わることができる

そして高齢者や学生と交わりながら暮らす、もう一方の住人。それが知的障がいを持つ子どもたちだ。現在30人が共同生活をしている。

実はアルパカの世話は彼らの役割。シェア金沢には高齢者だけでなく、障がい者も街に溶け込む仕組みができている。あのオムライスで人気のレストランの調理場にも、障がいを持った人たちが。シェア金沢は、こうした障がい者、40人分の雇用を生み出している。

軽度の知的障がいがある北瀬千恵子さん(51歳)。ここで働いて2年あまり。仕事はミスもあるが丁寧で、周りの信頼を得ている。

北瀬さんのメインの仕事は、近くに住む高齢者のお宅への弁当の配達。この日は10軒に届けると言う。

待っていたのは91歳になるおばあちゃん。北瀬さんとはすっかり仲良し。お互い、顔を見るのを楽しみにしている。そんなふれ合いが、働く喜びになる。北瀬さんの就労時間は月に90時間ほど。収入は7万円になるという。

午後3時過ぎ、近くの小学校が終わり、子どもたちがやって来た。シェア金沢では学童保育も行なわれている。シェア金沢には芸術家も住んでおり、そのアトリエも彼らの遊び場になっている。

そんな様子を見つめているのが、元気なコミュニティを作った張本人。シェア金沢を運営する社会福祉法人、佛子園理事長の雄谷良成だ。

「元気な人もそうでない人も、高齢者も若い人も、障がいのある人もない人も、みんなごちゃ混ぜになっている。気配みたいなものを感じるだけで、すごく温かい場所になるんです」(雄谷)

雄谷のよく知る高校生がやってきた。実は彼も障がい者。「家でずっと虐待を受けてきた」という彼を、雄谷は小学生の頃から見てきたと言う。雄谷は受け入れ先のなかった彼を引き取り、子どもを初め、いろいろな人たちと交流させた。すると精神的に落ち着くようになり、子どもたちの「いいお兄ちゃん」になったのだ。

いろいろな人と交わるコミュニティで人は変わることができる。雄谷はそう確信している。



地域も活性、「ごちゃ混ぜコミュニティ」はこうして生まれた

朝6時、金沢市内のお寺からお経が聞こえてきた。お経を唱えていたのは雄谷。実は400年の歴史を持つ寺の住職でもある。

社会福祉法人・佛子園の創設は1960年。孤児として育った雄谷の祖父が、戦災孤児や障害がい児などを寺に大勢引き取ったのが始まり。雄谷は当たり前のように障がい児と一緒に育った。

そんな境遇もあり、大学では障がい者の心理を学び、25歳の時には青年海外協力隊員としてドミニカへ。帰国後は新聞社勤務などを経て、34歳で佛子園を引き継いだ。

様々な経験を積みシェア金沢を作った雄谷には、その原点となった場所がある。それが小松市内にある福祉施設、西圓寺。

2005年に住職が亡くなった後は、荒れ果てていた。「なんとかして欲しい」と地域の住民から懇願された雄谷は、「お寺という形ではなくても、みんなが集まれる場所としてやりましょう」と、2008年、佛子園の福祉施設として再建。今では大賑わいのスペースとなった。雄谷は一体、どんな魔法を使ったのか?

最初に手を付けたのは温泉掘り。4500万円がかかったが、地域住民には無料で開放した。風呂上がりにゆったりできる居酒屋風のスペースも作った。これで地域丸ごと常連さんに。

建物の一角には、地域に暮らす69世帯、すべての名札もかかっている。温泉に来た人は名札を裏返しに。これが安否確認にもなっているのだ。

高齢者と障害者が同じ場所でデイサービスを受けている。障がいを抱える青年と介護が必要なおばあちゃんは大の仲良し。これが「ごちゃ混ぜ」の原点だった。

高齢化が進んでいた街にこんなコミュニティを作ったら、若者も戻ってきて、2008年55軒から2014年69軒へと、世帯数まで増えてしまった。



障がい者と認知症のおばあちゃんが起こした奇跡

西圓寺でも20人の障がい者がいろいろな仕事をしている。

建物の裏手では漬け物作り。近所の漬け物名人のおばあちゃんが先頭に立って、障がいを持つ人たちと力を合わせ、大量に漬け込む。出来上がったラッキョウは西圓寺の名物として観光客などに販売。他にも味噌や梅干しなど、オリジナル商品は年間400万円を売り上げ、障がい者の収入につながっている

雄谷には、西圓寺で見た忘れられない光景があるという。

主人公の一人がこちら、美濃崎透さん(30歳)。生まれつきの障がいで、以前は首をほとんど動かすことができなかった。

それは8年前のこと。美濃崎さんに、認知症のおばあちゃんがゼリーをあげようとしたのだが、手が震え、どうしてもこぼれてしまう。ところが2週間後、雄谷は驚きの光景を目の当たりに。ゼリーを上手に口に運ぶと、それをパクリと食べた。認知症のおばあちゃんの手の震えは止まり、首がほとんど動かなかった美濃崎さんはスプーンに合わせて首を動かしていたのだ。

お互いを思いやる気持ちが生んだ奇跡。それを境に、家に引きこもりがちだったおばあちゃんは、積極的に西圓寺に通ってくるようになったという。「重度の心身障がいを持つ人と認知症のおばあちゃんが関わったら、プロである僕たちを置き去りにして2人が元気になった」(雄谷)のだ。

いろいろな人が支え合う「ごちゃ混ぜコミュニティ」は、ここで生まれ、外へと広がりを見せている。現在、佛子園が運営する施設は石川県内13ヶ所。障がい者278人に働く場を提供している。

さらに今、雄谷は大きな構想に向かって動き出している。

佛子園の本部の横では、大型工事の真っ最中。ここを「シェア金沢」よりもスケールの大きな福祉の拠点にしようとしているのだ。中にはクリニックや保育園、プール、フィットネスジムまで入る。新しい施設は今年秋にオープンする。

全国に広がり始めた佛子園流街づくり

雄谷が提示した、地域のいろいろな人が支え合う街作りは今、全国に広がり始めている。

宮城県岩沼市もその一つ。東日本大震災の被災地で、およそ1000人の被災者は新しい街に集団移転した。

住民たちが移った玉浦西地区でコミュニティを支えているのが、青年海外協力隊の出身者が中心となった組織、青年海外協力協会「JOCA」のメンバー。JOCAは青年海外協力隊員だった雄谷が理事長を務めている。

そのつながりから、スタッフの多くが佛子園で研修。高齢者や障がい者が一緒に支え合う街作りを学び、岩沼に来ているのだ。

JOCA岩沼ウェイ事業部の込谷晃部長は「ごちゃ混ぜで多世代、交流ができて、住人が住みやすい街、つながりがある街を、復興の過程で作っていきたいと思っていた」と語る。

岩沼の街作りで真っ先に取り組んだのは、障がい者の雇用を作り出すこと。始めたのは野菜作りだ。彼らは知的障がいをもっているが、覚えた仕事は丁寧にこなしてくれると言う。

収穫した野菜は、スタッフが付き添いながら街に売りに行く。出張販売スタイルで、いろいろな人とふれ合うのも目的の一つ。野菜は全て一袋100円。お金の計算がしやすいようにという工夫だが、「全部で500円です」「500円?損しないでよ」なんて会話も。

地域の人と障がいを持つ人がふれ合いを通じて元気に。まさに佛子園流だ。



~村上龍の編集後記~

「ごちゃ混ぜ」を、こむずかしく言い換えると「共生」となり、きまじめなニュアンスになる。

障がい者、高齢者、それに子どもたち、同じ地域で生きるのは非常にむずかしい。おそらく「きまじめ」だとうまくいかない。

雄谷さんは、スタジオでも、「こんなこと言っちゃっていいんですかね」という感じで、笑顔が絶えなかった。

「やってあげる」「やってもらう」がベースの福祉は、やがて破綻する。

世の中にはいろいろな人がいて、それぞれ助け合って生きている、

だから社会的に必要とされない人は存在しない、「佛子園」の哲学は、人の原点である。





<出演者略歴>

雄谷良成(おおや・りょうせい)1961年石川県生まれ。祖父が住職の日蓮宗行善寺の施設で育つ。金沢大学卒業後、青年海外協力隊の指導員養成プログラムに参加。帰国後、新聞社勤務を経て、1994年、実家の佛子園へ。2014年、シェア金沢オープン。