「写真の楽しさをおいしく味わえる」
そんな場所になるために、写真集食堂めぐたまでは月に一度、写真集の持ち主である飯沢さんが「写真集を読む」という講座を開いています。
本を自由に読めるだけでなく、写真の味わい方を知ってほしい、と続けて来たこのイベントも4月19日(日)で12回目を迎えました。(いままでの様子はこちら)
今回は、アラーキーこと荒木経惟特集の第3弾。
70年代、80年代と続いて、今回は90年代の作品を見ていきます。
バブル崩壊、昭和から平成へ。
90年代は1つの時代の終わりでありました。
そして、荒木にとっては最愛の妻・陽子の死という、大きな別れの時でもあったのです。
荒木は、この2つの「終わり」を力強く受け止め、写真を撮ることで次の時代へと投げ返していきます。
90年代に発表された写真集には大傑作と呼べるものが多く、ネガティブな出来事でさえ、写真家としての原動力にしているような凄みを感じさせます。
なかでも、妻・陽子の死を写真と言葉で綴った『センチメンタルな旅・冬の旅』は「私写真家宣言」を打ち立てた荒木経惟の最高傑作と言えるでしょう。
淡々と、それでいて深い悲しみが滲む写真と、写真に添えられた言葉たち。
荒木の写真集は1枚1枚をパッパッと見ていくようなスピード感があるものが多いなか、この『センチメンタルな旅・冬の旅』は鑑賞者が1ページ1ページを噛み締めていくように組まれています。
それはまるで、荒木自身が、陽子との別れが近づく日々を噛み締めているよう。
陽子の死という個人的な出来事が、写真集をみる者に「愛する人の死」という普遍性をもって染み渡っていきます。
この本は「アラーキー=際どいヌード写真を撮る人」というイメージが大きく変わった写真集でもありました。
彼の写真には常に性(エロ)と死(タナトス)が色濃く混在しており、90年代に強まった「死の気配」に比例するように「性の気配」も強くなっていきます。
その代表作といえる写真集が『食事』と『エロトス』。
この2つは、被写体が持つ、性と死の気配をストレートに捉えた写真集といえるでしょう。
ここではじっくり紹介できませんでしたが、講座では他にも『平成元年』『冬へ』『センチメンタルな旅・春の旅』『東京ラッキーホール』『遠野小説』などの写真集もみていきました。
気になる方はぜひ、めぐたまに遊びに来てくださいね。
荒木経惟特集は次回のPart4で最後になります。
(2015年4月19日開催・写真/文 館野 帆乃花)
「飯沢耕太郎と写真集を読む」はほぼ毎月、写真集食堂めぐたまで開催されています。
2017年1月開催分からは解説のたっぷり入ったロングバージョンをお届けします。
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