連続講座「飯沢耕太郎と写真集を読む」森山大道の世界『にっぽん劇場写真帖』から『光と影』まで

6月20日に毎月の恒例イベント、連続講座「飯沢耕太郎と写真集を読む」が開催されました。(今までの様子はこちら

めぐたまにズラリと並ぶ5000冊の写真集から、本の持ち主である飯沢さんが今回のテーマに選んだ写真家は「森山大道」です。

森山大道は国際的にも名の知れた日本を代表する写真家の一人。77歳になった今でも世界中でスナップ写真を撮り続けています。今回は、その森山大道の初期写真をじっくり読み解いていきました。

森山大道といえば街の中を流れるようにさまよい、撮影していく「スナップ写真」が特徴的です。

飯沢さんは彼の生い立ちが「スナップ写真」という撮影スタイルに結びついていると説きます。1938年に大阪に生まれた森山大道ですが、父親の仕事の関係で引っ越しを繰り返し、居住地の定まらない幼少期を送っていました。

その生い立ちが旅と移動の撮影スタイルとなり、被写体をどこか突き放しているような鋭さと距離感を感じさせるのでしょう。

また、彼の写真は力強いコントラストと構図によって、観るものを圧倒させますが、そのフォルムと骨格の強度は高校時代にグラフィックデザインを学び、デザインの仕事を手がけていた基礎力によるものと言えます。

1960年代のはじめに何のあてもなく上京した森山は、細江英公のもとで2年間アシスタントとして暗室作業を徹底的に叩き込まれた後、フリーの写真家として活動を始めました。

当時の写真家たちの登竜門、雑誌『カメラ毎日』の編集長・山岸章二に才能を認められ、「にっぽん劇場」などの連載を開始。『アサヒカメラ』でも「アクシデント」を発表します。

そして雑誌の連載を写真集としてまとめ直したのが、デビュー作の『にっぽん劇場写真帖』(1968年)です。日本の土着的な湿っぽい感覚と高度成長期の都市の乾き切った感覚が混在する、当時の日本を詰め込んだような一冊といえます。

写真雑誌では連載が組まれ、写真集も発表した森山ですが、そのスタイルが世間に知れ渡っていくとともに徐々にスランプに陥っていきました。

1972年に発表した『写真よさようなら』は、写真を撮ることの意味を見出せず、それでも自分には写真しかないという葛藤がにじみ出ているようです。

次回はスランプ時代とその先について。

この大スランプから抜け出すきっかけとなった『光と影』などを読み解いてきます。

(2015年6月20日開催・写真/増田 岳穂  文/館野 帆乃花



「飯沢耕太郎と写真集を読む」はほぼ毎月、写真集食堂めぐたまで開催されています。

2017年1月開催分からは解説のたっぷり入ったロングバージョンをお届けします。

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