連続講座「飯沢耕太郎と写真集を読む」森山大道part2『森山大道の再起』

長い梅雨が明け、日差しが強くなった7月19 日の日曜日。

月に一度の連続講座「飯沢耕太郎と写真集を読む」が開催されました。

めぐたまで自由に読むことのできる写真集の「味わい方」を、本の持ち主である飯沢さんが教えてくれるこの講座。

15回となる今回は前回に引き継ぎ、写真家・森山大道の写真集をじっくり読んでいきます。(今までの講座の様子はこちら

前回はデビュー作『にっぽん劇場写真帖』(1968年)など、森山大道のスタイルが確立し、世に知れ渡ったころの作品を見ていきました。

そのタイトルからも、葛藤が伺える『写真よさようなら』(1972年)という写真集を発表したころから森山大道は大スランプの時代を迎えます。

今回はスランプ時代の先、そして現在までの軌跡を追っていきました。

写真とは何か。写真を撮る自分は何者なのか。という問いの前に精神的にも体力的にも力を失ってしまった森山ですが、彼を再び奮い立たせたのも、写真でした。

1981年から刊行された雑誌『写真時代』で発表した「光と影」という連載で原点回帰し、力強さを取り戻します。

その後、関西を拠点に活動した写真家・安井仲治へのオマージュ『仲治への旅』(1987年)や300ページの大型写真集を93年94年97年の三度に渡って発表した大作『Daido hysteric』シリーズなどを手がけていきました。

「電柱と電柱の間で1冊の写真集ができる」

この言葉は、飯沢さんがよく取りあげる森山大道の言葉ですが、スナップにこだわり続ける彼のスタイルとイメージを自由自在に操ることのできる自信がにじみ出ているようです。

森山が勢いを取り戻した90年代は、日本の写真家が海外でも注目を集めるようになった時期でした。東松照明、荒木経惟とともに、森山大道の名は世界的に有名になり、2012年にはイギリスのテートモダンでウィリアム・クラインとの2人展が開催されるまでに。

最近では、デジタルカメラで撮るようにもなり、『カラー』(2012年)などデジタル特有のビビットな色味までも自身のスタイルに取り込み、77歳の現在も、進行形で表現の幅を広げています。

次の世代の写真家たちに大きな影響を及ぼし、今もなお、最前線で写真を撮り続けている森山大道の作品をじっくりと味わってみてはいかがでしょうか?

(2015年7月19日開催・写真/文 館野 帆乃花)



「飯沢耕太郎と写真集を読む」はほぼ毎月、写真集食堂めぐたまで開催されています。

2017年1月開催分からは解説のたっぷり入ったロングバージョンをお届けします。

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