泉明石市長が捨てたものと拾ったもの 謝罪戦略の成功モデル

2019年2月4日付けmine記事「暴言事件の明石市長、捨て身謝罪の評価は?」で暴言からの謝罪へのすばやい対応を賞賛した明石市・泉市長ですが、出直し選挙で当選となりました。やらかしばかりの政治家の謝罪の中で、泉氏だけが成功裏に進めたのは、その「捨て方」にあります。

1.何でも欲しがる人たちの末路

政治家や芸能人など、社会的ステータスの高い人にとって、不祥事は恐怖です。そのステータスそのものを失う恐れから、何とか危機を乗り切ろうとさまざまな言い訳をしたり、とぼけたり、雲隠れなど、できる手を使って回避を図ります。しかし結局世間の批判は燃え上がり、最終的には辞任や事実上の引退などに追いやられてしまう中、激しい批判にあった泉氏は、なぜ逆転でき、再選されたのでしょう。

それは泉氏が上手に「捨て」たからだと思います。ステータスを持っている人は、その名声だけでなくお金や権力などさまざまなものを「持って」います。ステータスを失うということは、それらを失ってしまうことを意味し、それを阻止しようと、守りに入ります。

結果として名声も保持したい、お金も失いたくない、うろたえたり焦るみっともない姿を見せたくない、侮辱されたくないといったさまざまな欲求すべてを維持しようという、「何でも欲しがる人」は無理な目標を目指そうとしているのです。できるわけのない目標設定が謝罪を失敗に追い込み、結局ステータスもビジネスもすべてを失うという最悪の結果となります。

2.謝罪は沈みゆく船からの脱出

謝罪に追い込まれる事態は危機です。「危機対応」とは、危機を無かったことにするような、不可能を可能にすることではありません。ダメージをコントロールすることで、いかに損害を抑えるかを目的とします。燃え盛っている火事や、沈みゆく船と同じで、必ず損害は出るのです。

昔の映画やマンガでも、沈む船から身一つで逃げ出した人は助かり、お金や宝石など財産を持ち運ぼうとした金持ちは逃げ遅れるという話がありました。「捨てられない人」は逃げ遅れます。必ず損害は発生する以上、「捨てる」ことはサバイバルに欠かせないものです。

「不倫が明らかになっても清純派イメージを守りたい」「暴言・暴力は信頼関係の証」「(学生や部下が)勝手にやったことで私は知らない」といった言い訳が通ったことなど過去一度たりともないのに、相変わらず謝罪の戦略を持たない有名人の方々はくり返します。

自分の立場や名声も守りつつ、なおかつ事態収拾も図り、損害を無しにしたいという、宝石とともに海の底に沈んでしまうカネモチそのものです。泉氏はし自らの発言を「パワハラよりひどいこと」、「リーダーの資質を欠いていた」と認め、その発言が実は正しかったという言い訳をしませんでした。この「自らの正当性を主張しないこと」こそ、成功の決め手となったといえます。

3.泉氏が捨てたもの・得たもの

正当性を主張しないことは、市長職という最大のステータスを自ら早々に「捨てた」ことを意味します。「あれは真意ではなかった」「報道が悪い」と他責にせず、真正面から自分の責任だと受け止めた戦略は大きく泉氏に有効に働きました。

東大を出て弁護士資格も持ち、元代議士という超エリートの泉市長ですが、自らのメンツを捨てた、これができるエリートはまずいません。誤解だの部下がやっただのの言い訳を受け止める世間などないことを、きちんと見切ったことで、泉氏の能力はきわめて高いと感じました。

エリート市長がその一番大切と思われた自らの能力を否定し、失敗したことをさらす行為は、その捨てたステータス以上の「支持」となって、今回回収できました。正に身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあった訳です。当選後も派手なお祝いなどせず、無駄な税金を使ってしまったと反省を述べているように、勝利にも油断ありません。当選でつい口が滑り、やっぱり自分は正しかったなど、わざわざ一度捨てたものを拾い出してまた火を点火してしまう愚は犯していません。

これらを視聴一人で決断し、実行したのかどうかはわかりません。結局今回は出なおし選挙のため、また4月に再度市長選を迎えることになるため、あくまで勝利はまだ先と、明確に目標認識をされているのかも知れません。それでも謝罪戦略が成功したことは間違いないといえます。有名人も企業も、危機対応において、守ることだけにとらわれ、結局守ることもできず、ただダメージを深めるだけに終わった山のような例から、そろそろちゃんと「捨てること」の重要性を学ぶべきです。