鈴木砂羽土下座強要?事件に見るハラスメント勃発の実際

女優の鈴木砂羽さんが共演者やスタッフに土下座を強要したというニュースが流れ、被害者という女優さんが経緯をブログに発表したり、関係者が状況を語ったり、逆に主催者が全否定したりと真相は藪の中。これってセクハラなどのハラスメント事象が起きた時に共通する事態です。本職の人事コンサルティングで何度か遭遇したハラスメント対処から事件を見てみましょう。

1.土下座とは何か?

この件でテレビ局の取材を受け、土下座について解説しました。その時に特に問い質されたのは、どこまでが土下座でどこから土下座ではないのか?というものです。私はトラブル現場に居ることが多いので考えたこともなかったのですが、なるほどその違いにマスコミは関心があるのかという視点に初めて気付きました。

答は簡単です。「土下座に見えたら土下座」です。お辞儀の角度や額を地面に付けたかどうか、ではありません。もちろん土下座である以上、正座しなかったり手を付かなかったりすればそれは土下座とはいわないでしょう。(テレビには映らなかったけど、この角度と所作分析は映像で見るとよくわかる)

一般的には正座し、両手を地に付け、頭を下げる所作が土下座です。額を地に付けるかどうかはドラマやマンガの話で、実際にはどちらでもかまいません。というか、本当の現場で頭が付いているかどうかなど確認することはありません。ちなみに焼けた鉄板の上でなくとも土下座を強要させるのは法律いはんです。←わかってボケてみただけです。

くだらないボケ飛ばして元に戻すと、今回の事件は「強要だ」と言った側は「土下座させていた」といい、「強要も土下座もなかった」という側は行為そのものが無いという主張で、真っ向から対立しています。

2.パワハラだ!セクハラだ!ハラスメント発生!!

顧問先企業でパワハラ事件発生!セクハラだと訴えてきた社員の聞き取り調査を!と、こんなことが時として発生します。被害を訴える側は「ひどい暴言で傷付いた」といい、被害を与えたとされる側は「信頼関係の下で行った普通のコミュニケーション」とか「親身な指導をしただけ」といった真逆の主張となるのが普通です。セクハラでも「一方的にひどいことをされた」という側と「合意の上だった」とこれまた真逆。

多くの企業が勘違いしているのは「真相が何か?」を突き詰めようとしてしまうことです。刑事や検察官でも誤認や誤判を起こすのに、ど素人が真相究明などできる訳がありません。ハラスメント事件が起きた場合、会社側がやることは真相究明より(取調べ自体は必要だが)事態収拾です。被害を訴える人がいるならまずケアを、被害を出したとされる人がいるならそれを拡大させないためにも話し合いが必要です。ただしそこで行うことは「話し合い」であり、真実追求のような実現不可能なことではありません。

事情聴取の場で行うべきことは、興奮して場合によっては取り乱している人たちにまず話をしてもらうことです。セクハラなどでは私ではなく、女性を聞き役に立てることもあります。一方、ダメ管理者の典型は、その場で勝手に白黒をつけようとして、最悪は説教を始めてしまうような人間です。危機管理の能力がないこのような人間にハラスメント対応をさせるとこうした間違った対処をして事態を悪化させます。

ハラスメントは許されるものではない一方、事実誤認だったり場合によっては狂言であることもあります。単なる事故だったことも普通にあり得ます。あわてて一方的な断罪をしてしまうと、それこそ濡れ衣で人を追い込むという、組織管理上最悪の結果となります。

3.真相は?

先ほど土下座とは「土下座に見えたら土下座」だといいました。つまり真相がヤブの中なのは本人の意思と実態が別だからです。ニュースによれば、事件の現場では体育座りのような板の間??稽古場で座って話し合いをしていたとのこと。体育座りで頭を下げただけなら土下座と思う人は普通いませんが、中には正座して座っていた人もいたという情報もあります。正座していた人が頭を下げたらどうでしょう?

先ほど土下座の所作とほとんど同じになりませんか?つまり本人は普通に謝ったつもりでも、その姿は土下座に見えてしまう可能性があります。謝るよう促されたり、そんな雰囲気の中で正座の人が頭を下げれば、それを見た人が「土下座を強要していた」と伝わる可能性は十分あり得ると、私は思います。

「土下座強要」ではなく、「お詫びを強く促した」だとどうでしょう?見た目、雰囲気から、受け取り方によってかなりグラデーションが出てきます。本件のように真っ向から意見が対立している事象では、本人が土下座したつもりはなくとも、それを見ていた人によって印象が大きくわかれるようなシーンだったことが想像できます。

4.この先

名誉棄損だとかエスカレートしつつある事態のようで、この先どうなるかはわかりません。舞台稽古などハードな空間は普通のオフィスなどと違い、言葉もモノも乱暴に飛び交う可能性は十分あります。また関係者は単なるサラリーマンではなく皆アーチストであり職人です。良いことではないにしろ、芸術や芸能の世界にモラルを求めるのは、芸術としてのクオリティを殺すことにもなり得ます。

故・蜷川幸雄さんが怒って灰皿やモノを投げつけた伝説は聞いたことがありますが、純粋コンプライアンス上はこれもダメということになります。ダメさも含めて蜷川演劇は作られていったのではないのでしょうか?暴力を肯定しているのではなく、そもそも芸術や芸能は、一般社会とは別次元に存在するのではないかと思うのです。

法律違反がダメなことはもちろんです。ただ私は一観客や一消費者としては、何より作品クオリティに関心があり、それ以外のルール破りについては関心ありません。法律に反する行為なら刑罰を受けるべきですが、モラル違反のようなグレーゾーンの場合、それを白黒付けることは限りなく難しいのだろうと思います。結局は実力だけの世界。理不尽さを含めてそれを覆すだけの成果や人気を自ら作っていくしかないのが、自ら好きで入った芸能や芸術の世界ではないのでしょうか。今回のように、嫌なら辞めるのが芸術という特殊な環境における、立場の弱い者の選択肢なのかも知れません。

私が教えている美術大学では、労働基準法などのコンプライアンスについても説明する一方、そうした「普通の」サラリーマンの世界とは異なる価値観であり、何より成果と実力だけで評価を受けるのが芸術であることも説明します。人格が良いから、努力家だからという理由でその人の芸術が評価されることは絶対にありません。

人格破綻者で歴史的作品を残した人はいくらでもいます。この事件も真相が何であったかというより、芸能という世界では起こり得るものだと感じます。

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いつも通り、超絶ノウハウなど皆無な有料コーナー(投げ銭コーナー)。今回は撮影収録現場で見た実はイイ人伝説です。

・大竹まこと  ・ガダルカナル・タカ ・・・

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