髙田明&佐藤可士和~日本は思った以上に「宝の山」スペシャル/読んで分かる「カンブリア宮殿」~ビジネスのヒントがここにある~



「当たり前のこと」に可能性がある

東京・日本橋に、先月オープンして大人気となっている店がある。富山県が作った地元商品のアンテナショップ「日本橋とやま館」。その品揃えが、ちょっと変わっている。

扱っている商品はどれも、富山で日常的に食べられている庶民の味。例えば「カジキマグロの昆布じめ」は富山のスーパーでは刺身売り場で売っているもの。「こんかいわし」は、米糠で魚の旨味を引き出した富山で親しまれる発酵食品だ。併設された和食店「はま作」で出されるのも、地元ならではの味わい。富山の“当たり前”が、東京で、魅力ある“売り物”となっているのだ。

山下章子館長は、「富山の人にとっては当たり前すぎて気づかないままなのですが、皆さんに『いいわね』と言っていただけるのは、私たちにとっても新発見でした」と語る。

自らの魅力に気づかないでいた富山県砺波市を訪ねると、北陸新幹線が開通したのに客が来ないと、嘆いていた。砺波商工会議所の森田要さんは、「あまりPRするものがなくて……」と苦笑いする。

ところがその田舎町で、我々は驚くべき“魅力”に出会った。それは毎年6月に行なわれる祭り。夜8時半、突然、向かい合った2つの山車がぶつけ合いを始めた。しかも壊れるまで。砺波の各地域が五穀豊穣を競い合うために始まった、伝統の「夜高祭り」だ。

地元客が埋め尽くす中に、わざわざ海外から女性が見に来ていた。田舎町の知られざる祭りが、海外からの客に感動を与えていた。

そして村上龍は、我々が気にも留めないような日本の文化にこそ、大きな可能性が隠されていると言う。

「例えば『七夕』にしても、笹の葉に願いごとを書いて結びつけるというのは、すごくロマンティックなイベントだと思う。僕らには当たり前になっていることが、外国の人からすると、すごいものだったり、いいものだったりする」



「伝統に革新を加えて新たな価値を」(佐藤可士和)

眠っている価値をデザインの力でヒットに変える男。アートディレクターの佐藤可士和だ。セブンイレブンに並ぶ様々な商品から、誰もが知るTカードのデザイン、さらに世界市場を攻めるユニクロのブランド戦略まで、緻密なデザイン戦略で商品の価値を伝え、消費者の心を掴んできた。

そんな佐藤可士和が今、全く新たな分野に挑戦している。

ある日、佐藤可士和の事務所を訪ねてきたのは、歌舞伎の中村橋之助一家。今年、親子4人で同時襲名を行なう。その新たな名を現す様々な図案のデザインを、佐藤可士和に依頼しているという。

この日は、亡き父の名でもある八代目「中村芝翫」を襲名する橋之助のため、巨大な祝い幕のデザインが披露された。伝統を大胆に進化させたデザイン。襲名に思いをはせ、橋之助は感極まった。

佐藤可士和は今、伝統に革新を加え、新たな価値を生み出すことに挑戦している。

例えば有田焼。その売上は、世界的な競争に巻き込まれ、今や最盛期のわずか5分の1に。可士和はその再生プロジェクトに招かれた。それが、佐賀県が立ち上げた、有田焼を世界に発信するARITA400プロジェクト。佐藤可士和を含む4人のアーティストが、オリジナルの有田焼を焼き上げ、世界に発信する。

ちなみに可士和の作品は、大胆なデザインの大皿。有田に通い詰め、窯元と一緒になって焼き上げたものだ。有田伝統の青色を大胆に使い、そこに可士和流の革新的なグラフィックを融合させた。

「伝統は守っていくだけでなく、革新してはじめて続いていく。守っていくために攻める。グローバル化したからこそ、逆に日本のアイデンティティーをしっかり考えないとグローバルに出ていけない。そういう考えが有田にもつながっているのかなと思います」

高い技術力で400年生き残ってきた有田焼。その価値を磨き直し、伝えれば、世界で勝負できる。可士和はそう信じている。



「素晴らしさを『伝えること』が重要」(髙田明)

もう一人、日本の知られざる価値を伝えようという男がいる。独自のセールストークでテレビ通販に革命を起こし、年商1500億円の企業に育て上げた、ジャパネットたかた創業者、髙田明。

去年1月に社長を退任した髙田は今、日本中を歩き回り、知られざる名品を発掘する番組を作り、出演している。

例えば青森では、手間ひま掛けて育てた瑞々しいリンゴを紹介。一方、宮城で発見したのは、気仙沼でとれた脂ののったサンマを秘伝の醤油ダレで煮詰めた惣菜。さらに愛媛では、佐藤可士和がブランド作りに参加した高品質のタオルメーカー、今治タオルも紹介した。

なぜこの番組を作っているのか。髙田はこう語っている。

「29年、ラジオ、テレビの前に立ち続けて、『伝える』ことがすごく大事だと学びました。日本に眠っているものが山ほどあって、もっと日本の商品を発掘して世界に広げたい。ただそれを掘り起こすには、伝えないと、素晴らしいものでも価値が伝わらない。それを伝えたいという思いから、歩いてみたいと思いました。青森県のリンゴ園に行くと、1本の木に600個のりんごがなるのですが、『葉取り』と言って日光が当たるようにひとつひとつ葉を取ったり、『玉回し』と言って、りんごを回転させる作業を1年中やったりして、おいしいリンゴができあがる。1個100円のリンゴが、私にとっては1000円の価値があるような気がするんです。一番努力している部分が見えてこない。食べるときにそれを感じてもらうことが、たぶんリンゴ園で働く人の思いじゃないかな、と。そんなことまで感じられるので、感動の連続です」



ハロウィンから日本の伝統行事へ

急拡大する日本のハロウィン。最初に火をつけたのは、97年に東京ディズニーランドが始めたハロウィンイベントだと言われている。それから20年、今やその市場規模は1000億円を超えた。

そんなハロウィンフィーバーが、様々なところに影響を及ぼしていた。

川崎市で長年、生菓子を作ってきた和菓子屋さん「菓子匠 末広庵」。丁寧な職人仕事で生き残ってきた。ところが作っていたのは、なんともかわいらしい、お化けのおまんじゅう。さらに真っ青に染めた葛を使ってお化けの目玉をイメージした和菓子も。全て去年から始めたハロウィンの便乗商品だ。

あまりの盛り上がりに、軽い気持ちで売り始めたところ、「予想の3倍ぐらい売れたんじゃないですか。これは捨てたもんじゃないぞ、と。売れれば力も入るってもんですよ」(三藤哲也社長)。

そんな時代に、村上龍は違和感を抱いていた。

「ハロウィンの経済効果が1400億円と言われているが、誰も『ひなまつり』や『月見』、『七五三』の経済効果は言わない。どう説明すれば日本の伝統行事や文化がちゃんと伝わるか、今まで考えられてなかったんだろうと思う。ほとんどの人がそれを資源だと思っていない」

村上龍が可能性を見出したのが日本の伝統行事だった。そして7年の歳月をかけて完成させたのが、新刊『日本の伝統行事』だ。



七夕を知らない若者たち~ディズニーの戦略

村上龍が「世界一ロマンティック」と言う七夕だが、実は今時の若者にとってはあまりなじみがない行事。もはや七夕は消えゆく運命なのか。

そんな中、七夕でとんでもないことを始める企業があった。東京ディズニーランド。さっそく噂を聞いた村上龍が乗り込んだ。

目に飛び込んできたのは巨大なモニュメント。笹と、仙台七夕の吹き流しをミックスした、ディズニー流七夕だ。オリエンタルランド・イベントグループの山村理恵マネージャーによると、「1997年、最初は4日間のイベントから始めました。今年は3週間実施しています。毎年毎年、少しずつ違う工夫を凝らしていて、今年は竹灯篭という竹の灯篭をデザインしたものを出しました」。20年かけて、七夕イベントを大きくしてきたという。 

短冊はミッキー型。今年は七夕グッズも大幅に拡充したという。七夕のイベント期間を長くすれば、グッズもより大きく展開でき、売上げも伸ばせる。今年は30種類にまで、七夕グッズの品揃えを増やした。

開発するのは関連グッズだけじゃなかった。浴衣の女性客の帯がみなミッキーマウスの形になっている。結び方はディズニーランドのサイトで紹介。誰もが試したくなるこの“帯マウス”も、七夕を盛り上げるための作戦だ。

ディズニー流七夕に感心した村上龍。そこにとどめを刺したのが、アレンジした七夕ソングに乗ってミッキーが登場したとき。「カルチャーショック……」と、完全にディズニーの虜となっていた。

ディズニー流の七夕について、佐藤可士和と髙田明はこんな感想を述べている。

「伝統的なものを革新していくときに、『変えてはいけないところ』と『変えていいところ』を見極めることが重要です。そこを誤ってしまうと、人を傷つけることになったりする。やはりそこにリスペクトがないとダメだと思います。企業と一緒で、『本質は何だ』という視点です」(佐藤)

「七夕をよく知っている人が来ても、日本の文化がベースにあって、そこでミッキーマウスが動いているから誇りに思える。それが本質をつかんでいるところでしょう」(髙田)



外国人観光客36万人!田舎町の秘密

岐阜県高山市に、あることで1位をとった店がある。「平安楽」の店内は海外からの観光客だけ。スペイン、タイ……様々な言葉が飛び交っている。「外国人に人気のレストランランキング」で全国トップに選ばれた店だ。

珍しい料理を出しているわけでもないのに、人気となった理由は、女将さんの吉田直子さんにある。接客の全てが英語。ここにくれば女将さんと世間話が楽しめると、口コミで広がったのだ。

手打ちそば「恵比寿」本店も、外国人に人気。おそばもおいしいのだが、人気の理由は、店内で配る英語の漫画。「麺は『すする』のが一般的です」などと、そばの食べ方を教えてくれるのだ。

高山市は、街全体で海外からの観光客が楽しめるような工夫がされている。街角の看板に、普通にスペイン語が書かれているかと思えば、観光ガイドはドイツ語からヘブライ語まで、9ヶ国語のものを取り揃えている。

そんな町一丸の取り組みで、今や人口わずか9万人の高山市に、海外から年間36万人もの客が押し寄せるようになった。

細やかな心配りで町に磨きをかければ、海外からの客を一気に掴むことができるのだ。



日本人も知らない?絶品郷土料理

まだ知られていない日本の魅力は観光地以外もある。それにいち早くはまっているのが、翻訳家のアダム・フルフォードさん。暇を見つけては、あるものを味わうため、地方を巡っている。きっかけは以前、農水省に翻訳を依頼された、郷土料理を紹介する冊子。以来、その魅力に取り付かれたという。

フルフォードさんがたどり着いたのは山形県飯豊町の、猿が出迎えるほどの奥地。人口わずか300人の中津川地区。過疎化が進む限界集落だ。フルフォードさんは6年前に来て以来、この土地の大ファンになった。

訪れる最大の魅力が、「農家民宿いろり」の伊藤信子さん、77歳。フルフォードさんのために、自分たちが食べてきた郷土料理を用意してくれる。

食卓に並んだのは、この地域で採れる山菜と新鮮なヤマメの刺身。毎回新たな発見があるという。この日は、近くの家にこの辺りでしか食べない伝統的なおやつがあると聞きつけてやってきた。粉にしたうるち米に、くるみを混ぜる。この地方に伝わってきた「のり餅」。口どけのいい甘い食感が特徴だ。

フルフォードさんにとって、日本の地方で長年受け継がれてきた郷土料理は、まさに宝の山だという。

「こんなに郷土料理がある国は他にないと思います。新しい観光資源と感じるし、それが全国にある。しかし難しいのは、あと10年もしたら消えてしまう可能性が高いこと。その前に何とかしないとダメだと思います」



~村上龍の編集後記~

佐藤可士和さんは、日本の伝統的な価値に対し「リスペクト」という言葉を使った。

髙田さんは、大企業によって大量生産されたものではなく、地方に眠る小さな商品に価値を見出し、知らしめる活動をされている。

私事で恐縮だが、わたしは『日本の伝統行事』という本を作った。

共通しているのは、「脱亜入欧」ではじまった近代化以来、忘れがちな何かを「見つめ直す」ということだ。

資源としての伝統を再発見したとき、わたしたちは、ごく自然に「敬意と愛情」を抱く。

それは既成のイデオロギーとは無縁の、素朴で、かつ現実的な「心情」である。

<出演者略歴>

髙田明(たかた・あきら)1984年長崎県生まれ。1986年、カメラ店「タカタ」を設立、日本屈指の通販会社に育て上げる。



佐藤可士和(さとう・かしわ)1965年東京都生まれ。1989年、多摩美術大学卒業後、博報堂入社。2000年に独立し、SAMURAI設立。