【MBの"超"思考】自分を変えるためには「ショック療法」が最も有効



「教養と生き方」で人生は規定されます。あなたが今まで得た知識、今まで触れてきた環境、親が教えてくれた思想思考、学校で習った常識や慣習、それらがあなたの「教養と生き方」を規定します。

どんな名著や名言も「教養と生き方」次第では届きません。ドラッカーを「面白い」「人生の名著だ」と言う人もいれば、「古臭い考え方だ」「くだらない」と言う人もいます。私のコンテンツも「人生が変わった」と言う人もいれば「読む価値無し」と揶揄する人もいます。根本的にこれらは書籍やコンテンツの完成度に起因するものではありません。「教養と生き方」により理解の範疇が規定されているのです。「自分が受け取ることができる情報」には限界があり、それは既に今までの人生で決定されているのです。

どんな優れた接客術を持っている人も対象にできる顧客は限られます。時に人を感動させる様な素晴らしい接客をする人も、時に「常識がない」とクレームをもらうことがあります。接客や営業は「発する言葉、しぐさ、表情」などで結果が決まりますが、そうした言動は今までの人生で培った「教養と生き方」により決定されます。自分が対象とできる顧客は「教養と生き方」で規定されており、誰しも必ず限界を抱えているものなのです。

私からすると「明石家さんまさんが嫌い」と言う人がどうも理解できません。いつもニコニコと面白く、ウィットに富んだセリフを泉の様に次々へと吐き出して行く筋金入りのエンターティナーです。しかし芸能人の好感度ランキングではベストにもワーストにも必ずランクインしています。ウケや笑いを極めた「相手を喜ばせる達人」であるにも関わらず、「大嫌い」と思う人が一定数いるのです。これはさんまさんの人から好かれる技術レベルが低いわけではありません、さんまさんの「教養と生き方」が対象とできる顧客を限定しているのです。

あなたの顧客は、あなたの友人は、あなたが手に取る書籍は、あなたが面白いと感じるコンテンツはあなたの「教養と生き方」により決定されます。



▼私が「お金が好きなだけの人」とは交流できない理由

少し違う話をしましょう。

私は経営者として異業種交流会などにも何度か参加したことがありますが・・・私の地元である新潟の異業種交流会と、都内で参加する異業種交流会と、まるで違う印象を受けました。

どちらを批判するつもりもないのですが、新潟の異業種交流会は「お金」「実績」「売上」「ギブアンドテイク」という言葉で支配されていました。(もちろん私が参加したものがたまたまそうだっただけであり、新潟のすべての異業種交流会を否定しているつもりはありません。あくまでも一例です。)

「僕はこんなことをしてこんなに売上をとっている。」

「私はこんな風な凄い実績を持っている。」

「俺から提案を受けると皆こんなにメリットが出る。」

無論声高にそんなことは言いませんが、言葉の端々でそれを感じさせてくるわけです。ありがちなのが「自分の顧客は芸能人の〜〜さんだ」「俺は上場企業の〜〜と仕事をしている」などですね。他者の威厳を使い、関わっている自分にも説得力を持たせ力を大きく見せようとするわけです。

皆どこかギラギラとしており「誰が俺にメリットを与えてくれるのか」「俺がメリットを渡すからお前もメリットをよこせ」という空気を感じます。都内でも六本木や麻布などのギラギラ系ビジネスマンに多いですが彼らにとってコミュニケーションとは「戦い」です。彼らの会話は基本的に「交渉」です。お金を生み出す、結果を生み出すことを狙いとした「会話」という名前の交渉をしているのです。これはビジネスマンとして生きる人なら概ね理解できるはず、「会話という名の交渉」をいつも感じますよね。

ところが都内のある異業種交流会は全く「交渉」を感じませんでした。これもまたたまたま私が行ったところがそうだっただけで、「新潟と都内の差」という区分けでは無いのかもしれませんが。参加した交流会では、会話は「興味」に基づくだけのものでした。

「へぇー!面白いことしてるんですね!」

「もっと話を聞かせてください」

「いつもどんなこと考えているんですか?」

新潟の交流会では「メリットがあるから一緒に仕事をしましょう」という旨を伝えてくる人が多かったですが、都内の交流会では「面白そうだから今度お仕事見せてください」「トークショー見に行っていいですか?楽しそう!」と純粋に興味だけで近づいてきてくれる人が多かった。そして皮肉なことに「メリットデメリット」を意識している新潟の交流会の方が実績の水準ははるかに低く、「興味関心」だけで集まっている都内の交流会の方が常軌を逸した実績を持つ人が多かった。(世界1の〜〜、日本の〜〜の第一人者なんてのを何度も聞きました・・・)

この両者の実績の違いは「お金」を第一目的に置いているか、「好き」を第一目的に置いているかの違いです。「お金」ばかりを目的に置くと、「相手を喜ばせる」という最も肝心なビジネスの根源的目的を見失い、ノウハウやテクニックにばかり目が集まるようになります。すると他人より「いかに利益を最大化させるか」が目先に浮かぶようになり、短期的にはテクニックである程度成功しても長期的には継続しにくく、また大きな成功には繋がらないケースが多い。例えば販売員が利益を目的にしすぎて「お客様に必要のないものまで売りつけてしまう」のと構造的には同じです。短期的には成功するかもしれませんが、顧客はどんどん減っていき長期的にはマイナスになり継続不能となるでしょう。

しかし「好き」を第一に置くと、追求することが日常となります。面白いから、ライフワークだからと捉えた仕事はノウハウやテクニックではない領域まで達する事ができます。「もういい加減やめさない!ご飯ですよ!」と母親に言われてもやめられずに続けたTVゲームの様に、楽しいからこそいつまでも追求することが出来る「好き」は、他を凌駕するレベルまでどんどん向上する事ができるのです。結果「お金」としても大きな結果が生み出せます。まんま私の通り「洋服が死ぬほど好きだから、洋服のコンテンツが成功する」のと同じです。

そして肝心な事。前述の新潟で出会った「お金が大好きな経営者」は、決して都内の交流会に参加することはできません。もちろん参加費用を用意して機会を逸しなければ誰でも出席はできるでしょうが、そういう意味ではありません。出席しても誰とも心を通わせることができないのです。ボギャブラリーが違い過ぎて自分も相手に魅力を感じないし、相手もまた話がしにくいでしょう。

まさに「教養と生き方」で規定されるわけです。「お金が好きな人」はお金が好きな人しか関われないのです。自分が生きる環境は自然と規定されており、また環境や人間関係により結果は大きく左右されるもの。そう考えると「成功は”教養と生き方”である程度決定される」とも言えます。



▼「生き方と教養」で得られる情報は規定されている以上、「自分で自分を変えること」はとても困難である。

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