題名:掟破りなアクション派 破天荒な新世代を描いたアニメ『戦闘メカ ザブングル』
TVシリーズ『戦闘メカ ザブングル』は、年表的に追えば『ガンダム』と『イデオン』に次ぐ富野由悠季監督のアニメ作品として認知されることが多いと思う。ところが現実は少し違う。その放映開始日の1982年2月6日といえば、実は劇場版『機動戦士ガンダム』3作目「めぐりあい宇宙(そら)編」公開の約1ヶ月前にあたるから、ファーストガンダムの同期作品と言っても良いのだ。ちょっと意外かな?
前年3月に劇場版1作目、7月に2作目「哀戦士編」が公開され、模型展開との相乗効果でガンダムブームは真っ盛り。満を持しての完結となる3作目の予告編ではガンキャノンが2機も登場し、胸に号機マーキングが明記されて話題を呼んでいた。それは大河原邦男のイラストや模型ディテールアップの影響に他ならない。
位置づけ確認のため、前後の作品を列挙してみよう。1981年10月からは模型展開を前提にした高橋良輔監督の『太陽の牙ダグラム』がスタート。合体変形ロボが主役の『六神合体ゴッドマーズ』でさえ合金玩具と平行して敵メカがプラモデル化される時代が到来していた。『ザブングル』放映中の7月には、同じ富野アニメの劇場映画『THE IDEON』(TV版『伝説巨神イデオン』は前年5月)が公開、10月に実在の戦闘機に近いバルキリーがロボに変形するTVアニメ『超時空要塞マクロス』がスタートし、「リアルロボット路線」は一挙に開花する。
このようにユーザーが塗装や改造で楽しむプラモデル文化が最初の蜜月時期を迎えた時期のド真ん中に『ザブングル』は発進した。模型人気が強くフィードバックされた作品になったのも当然であろう。
では、アニメとしての『ザブングル』はどんな作品だったのか? これもまた非常に型破りな娯楽作品であったと言える。
物語の舞台は「惑星ゾラと呼ばれている地球」――赤茶け、荒涼たる砂漠地帯に生える植物はサボテンぐらいで、点在する小さな宿場では、荒くれ者たちが酒場で昼間からケンカを繰りひろげていた。これはアメリカ開拓時代のウエスタン的世界観を模擬したロボットアニメなのである。
ここで活躍するメカ(ロボット)の総称は、歩行装置や作業アームを備えたウォーカーマシン(略してWM)。操る荒くれ者はブレイカーと呼ばれている。彼ら「シビリアン」はドームに住むイノセントと名乗る人種に稀少鉱石ブルーストーンを上納し、その統治を受けている。この世界には「三日の掟」が存在した。どんな犯罪人も三日間逃げ切れば無罪となる弱肉強食のルールだ。ところが両親をティンプ・シャローンに殺された少年ジロン・アモスは、ルールを無視してエネルギッシュに突っ走る。彼が敵討ちのために目をつけたのは、運び屋キャリング・カーゴのウォーカーマシン、ザブングルだった。暴走族サンドラットの手助けで、まんまと盗み出すことに成功したジロンだったが、彼の前にはもう1台のザブングルが出現した!
このように第1話からジロンは「掟破りの主人公」として登場する。だが、実は作品全体が「掟破り」なのであった。まずジロンはアニメ的美形ではなく、ボールのような丸顔。身体の動きもコミカルで、笑いを誘うような大振りなアクションばかり。喜怒哀楽の感情もかなりオーバーだ。
「掟破り」は主役メカの扱いにも反映している。コクピットは自動車のような丸ハンドルで操縦する形式で、口に相当するダクトからは排気ガスが出てガソリンエンジンらしさを示し、あえて格好良さよりも身近さを強調している。同型機の片方は翼が折れて部品取りにされるなど、デザインと変形合体はヒーローロボと何ら変わらないザブングルを「普通に存在する機械」らしく見せる富野アニメ的工夫が随所に施されている。さらにシリーズ後半は、ウォーカーギャリアが新主役メカとして登場。この衝撃的な「2号メカ」の出現は、やがて『ダンバイン』『エルガイム』を経て定番化し、『Zガンダム』や90年代の児童向けロボットアニメにも影響を与えていく。
登場キャラクターたちが意志をもち、主体的に「動いて」物語を転がすさまは実に痛快。これぞアニメという動きの魅力に充ちた作品という印象がある。『ザブングル』はミリタリー方向とは違うロボットアニメの大きな可能性を示していた。
登場キャラがアニメ作品に出ているのを自覚しているメタ的要素も「掟破り」で、「物語のパターン(公式)」に囚われがちな観客への問題提起も含んでいた。最たるものは「惑星ゾラと呼ばれている地球」というナレーションであろう。『イデオン』では「知的生命体は自分の星のことを大地=アース=地球と呼ぶ」という理由で、異星人同士が互いに母星を「地球」と呼ぶ設定があった。ところが『ザブングル』では文字通りの「地球」を意味していた。そしてジロンたちシビリアンこそは、荒廃した地球を生き延びるために生体改造を受けた新たな人類だったのだ……。だが、これほど重要な設定も「謎」「どんでん返し」的な意味は持たず、ジロンたちも衝撃を受けることはない。彼らは新環境に生まれた新世代として事実を自然にとらえ、最後の最後まで乾いた大地を駈けぬけていった。
後に本作は『ザブングル グラフィティ』('83年7月/同時上映『ドキュメント ダグラム』)という、物語性を無視したこれまた破天荒な再編集映画として劇場公開されるが、それも含めて「アニメの環境が激変していく新時代には新しい世代が動き、走り、活躍して旧世代の固定観念を崩すべきだ」という願いが、いたるところに充ちているように思える。
その願いとは、四半世紀ほどが過ぎた今は、どうなってしまったのか……機会があれば、新世界を縦横に駆けめぐるジロンといっしょに気持ちを動かせながら、ぜひ検証してみてほしい。ふたたび「新しい世代」が動き出す時期が到来するとすれば、その可能性とは、案外そうした温故知新から拓けるかもしれないのだから。
【2006年5月9日脱稿】初出:月刊『モデルグラフィックス』(株式会社アートボックス)