ここまで回復できる!~感動のリハビリ病院
東京・世田谷区に80年続くお寿司屋さん、「つるや鮨」がある。江戸前にこだわったネタが15種類も入った人気の「ちらし寿司」(1080円)は近所のOLたちにも評判だ。
女性たちを虜にしているのがこの店の3代目・磯貝政博さん(53)。見ると寿司を右手だけで作っている。
磯貝さんは10年ほど前、脳出血で倒れた。左半身がマヒし、一生車イスの生活も覚悟した。ところがリハビリのために入院した病院で、「担当ドクターに『3ヶ月後には歩いてお家に帰ろうね』と言われたんです。『何言ってんの、この先生』と思いました」と言う。
なかば疑いながらもリハビリに励んだ結果、わずか2ヶ月で歩けるようになった。不自由は残るものの、寿司職人として返り咲いたのだ。
奥さんが、リハビリを頑張った磯貝さんに病院から贈られた卒業証書を見せてくれた。
「ほんとに良い病院だと思います。やればやるだけ自分に返ってくるっていうのが、実体験としてあるので」(磯貝さん)
東京・渋谷区にある初台リハビリテーション病院。明るく広々としたロビーには至るところに花や絵が飾られ、まるでホテルのようだ。ここは失った体の機能を回復させる、リハビリ専門の病院だ。
患者の8割が脳卒中によるマヒを抱えている。脳卒中とは、脳梗塞・脳出血・くも膜下出血など、脳の血管に障害が起きる病気。症状が重いと寝たきりになってしまう。寝たきりの原因第一位が、脳卒中なのだ。
この病院は、多くの人を回復させ、医療界のみならず、世間の注目を集めてきた。
例えば元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシム氏。脳梗塞で倒れ、日本中に衝撃を与えたが、初台病院のリハビリで回復した。2008年6月4日に行われた記者会見で「向こう側の世界から戻って来ました。皆さんが来てくれたのは『リハビリをもっと頑張れ』ということだと解釈しています」と述べたオシム氏。現在は母国ボスニア・ヘルツェゴビナで、サッカー振興のため奮闘している。
脳卒中は中高年だけがなるわけではない。佐藤茜さん(24)は、大学4年のとき、脳梗塞で倒れた。一人暮らしで発見が遅れたためマヒは重く、寝たきりの状態だった。
「目の前が真っ暗になりました。これからどうするんだろうと思いました。でもここに来てリハビリしてここまで良くなれた。リハビリってすごいなと思います」(母の美和子さん)
「だんだんできるようになってきて、もっとリハビリ続けたら、もっと良くなるなと分かってきて、続けようと思いました」(茜さん)
いまは車イス生活だが、杖を使って歩くことを目標にリハビリに励んでいる。
リハビリのパイオニアが作り上げた「チーム医療」
初台リハビリテーション病院は、救急病院を出た患者にリハビリを施す「回復期リハビリテーション」の病院。近年登場した新しい形の病院だ。病院のベッド数は173。中には1日の差額ベッド代が10万8000円の特別個室もあるが、大部分が公的医療保険で誰でも入れる4人部屋だ。それでもプライバシーは十分確保されているうえ、たいてい有料のテレビもタダ。いつもほぼ満床だ。
リハビリとは、筋肉や関節を動かすことで、失われた機能を再び取り戻す訓練。例えば脳卒中によるマヒは、手足の運動をつかさどる脳細胞がダメージを受けることによって起こる。そこへ、手足を動かすことで脳に刺激を与え、機能を回復させるのだ。
行われるリハビリは主に3種類。1つ目は理学療法。立つ、座る、歩くなど、基本的な動作を訓練する。2つ目は作業療法。食事など、腕や指先を使う日常の動作を訓練する。3つ目は言語聴覚療法。言葉の発声や認識の訓練をする。
「我々の使命は、寝たきりをつくらない。そして障害を持っている方が元気に生活できる。簡単に言えばそれがミッションであります」と語る理事長の石川誠は、日本におけるリハビリ医療のパイオニアだ。
石川が作った初台病院。回復の秘密はチーム医療にある。ミーティングに集まったスタッフたちは皆おそろいのカジュアルウェア。しかしそれぞれ職種が違う。看護師、理学療法士、言語聴覚士、作業療法士、そして医師。医師も白衣は着ないと決めたのは石川だ。
「チームで上下関係を作らない。医師が頂点にいてその次に何がいるっていうのは良くない。みんな専門家のそれぞれの専門技術を持ったイーブンな関係にある」(石川)
手厚いケアを行うため、基準の5倍以上のリハビリスタッフを配置している。
平均3ヶ月で続々と退院~患者ファーストで期待に応える
脳梗塞の治療を受け、この日転院してきた久留勝代さん(73)。初台では一人の患者になんと10人のチームがつく。まず理学療法士が後遺症の程度を見る。久留さんは左半身をマヒし、ほとんど動かせない。つづいて作業療法士がどの程度日常の動作ができるか確認する。リハビリが必要なポイントを、チェックしていく。
入院初日からさっそく訓練開始。初台でのリハビリは保険制度の上限の3時間、一日も休まず行われる。久留さんは平行棒につかまって歩いてみるものの、足は思うように動かない。これまで毎日、買い物や散歩を楽しんでいた久留さんは、この現実を受け入れることができないようだ。
朝7時。久留さんの病室を訪ねたのは、担当の作業療法士、志田。ここでは「日常の動作すべてがリハビリ」。着替えもなるべく自分でやってもらう。自分でやることが早い回復につながるから、スタッフの手助けは最小限にとどめる。
患者の情報は、電子カルテを通じてチーム全体で共有している。久留さんの望みは元の生活に戻ること。そして趣味の生け花ができるようになることだという。落ち込みがちな久留さんを気にかけていた志田は、「お花、植物を育てているってお聞きしたんですけど」と声をかけた。すると娘のあさ美さんが、久留さんが自宅で楽しんでいた生け花の写真を見せてくれた。すると久留さんが、生き生きと話し始めた。患者のやる気を引き出すことが最も重要なのだ。
お昼時。久留さんは車イスで食堂へ。初台では、食事はベッドの上ではなく、必ず食堂で取るのが決まり。食堂への移動も食事そのものも、リハビリの一環なのだ。かなり重症の人でも、看護師たちが迎えに行く。
その食事を作っているのは、元ホテルのシェフや料亭の板前たち。患者のひとりは「普段、入院すると外食にすぐ行きたくなるんですけど、全然外食に行きたいと思わない。ここの料理が美味しいから」と言う。
「病気の時こそ、おいしい食事を」というのが石川の考えだ。
「私が小さい頃、病気をすると美味しいものが食べられました。風邪をひくとバナナや桃の缶詰も食べられた。なんで最近、病院に行くと日頃より食事がまずくなるのか。病気や障害と闘っているんだったら、目いっぱい美味しいものを食べた方がいい。病院食のミシュランを目指すぞって感じですかね(笑)」(石川)
久留さんが入院して一ヶ月。訓練をのぞいてみると、なんと杖で歩けるまでに回復していた。理学療法士の支えもほとんどいらない。今後の目標を訊ねると、「オリンピック(笑)」という答えが返ってきた。
入院期間は平均3ヶ月ほど。晴れやかな表情で続々と退院していく。在宅復帰率は、およそ90パーセント。患者と家族の期待に応えている。
「病気や障害は敗北、というのは悲しいですよね。我々も明日はそうなるかもしれないわけです。でも、そうなっても大丈夫なんだ、と」(石川)
目的は日常生活への復帰~“神”医師のリハビリ医療革命
石川は1975年、群馬大学医学部を卒業。当初は脳神経外科を専門とした。転機となったのは長野県の佐久総合病院に勤務していた時代。石川は50代の脳腫瘍の患者を手術した。腫瘍は無事摘出できた。ところが、患者は寝たきりになってしまったのだ。
そのとき、院長の若月俊一医師が「君が手術したのだから、この患者の人生はすべて君が責任を持つんだな」と言った。石川はその言葉に大きな衝撃を受けた。
「頭の中真っ白になりました。そんなこと言ったってどうしたらいいんだって。『病気はコントロールできました、でも生活はどうにもなりません』では、何のために医療をやっているのかってことになりますよね」(石川)
病気だけでなく、患者の人生を丸ごと診るのが本来の医療。石川はメスを置き、リハビリ専門医に転身した。
当時はまだリハビリが普及していない時代。全国の病院には、脳卒中で寝たきりの患者が溢れていた。そこで石川は考えた。救急病院で命を救った後、集中的にリハビリを施す病院があれば、患者は体の機能を改善し、自宅に帰ることができるはずだ、と。
だが当時、リハビリは診療報酬が低く、病院経営者はやりたがらない。石川は何度も国に働きかけ、2000年、「回復期リハビリテーション病棟」の制度化と、診療報酬の引き上げにこぎつけた。
2年後に「初台病院」を開業。地価の高い都市部でも運営できることを実証し、普及のきっかけを作ったのだ。
リハビリ病院最大の目的は、日常生活への復帰。石川率いる初台では、一人一人に合わせたマンツーマンのリハビリを組んでいる。
右半身にマヒを負った山木俊三さん(67)は、入院して1ヶ月半になる。この日は退院に向けた作業療法。当初は動かなかった右手で文字が書けるようになった。事務の仕事に復帰するため、請求書を作るという実践的なリハビリだ。
さらに、訓練室には洗濯物を干すスペースも。一人暮らしの山木さんが退院しても困らないための訓練。物干しは自宅と同じ高さに設定してある。
一方、初台のスタッフ、理学療法士の斎藤珠生と作業療法士の菊池歩美は、患者の自宅へ向かった。家の前の道路の勾配をチェックする2人。初台リハビリテーション病院では、患者の退院が近づくと、スタッフが自宅や周囲の環境を確認する。
しばらくすると1台の車が到着した。患者の内田さんだ。右半身のマヒでリハビリ中だが、退院に向けてこの日は一時帰宅。2か月ぶりの我が家になる。さっそくご主人の介助で、階段の上り下りをやってみる。「今、滑ったのがわかると思うんですけど。かかとで先に降りたときに滑ってしまうので気をつけて頂けたら、と」「ここ、ちょっと段差ありますね」と指摘していく2人。健康な時には気付かないが、家の中にはいくつもの危険がある。家族にも、注意すべきポイントをアドバイスするのだ。
さらば寝たきり~家族も安心の新サービス
東京・浅草に、石川が手掛ける画期的な施設がある。高齢化時代を見据えた「在宅総合ケアセンター元浅草」。前身は1998年に石川が立ち上げた在宅医療の診療所「たいとう診療所」だ。医師の往診と訪問リハビリによって、退院して自宅に戻った患者が、再び寝たきりになるのを防ごうという狙いで設立した。
「せっかくリハビリテーションを行って、寝たきりの方が歩けるようになった。家へ帰った。また歩けなくなっちゃう。それでは何で入院して我々が汗をかいたのかわからない。ですから、そこまでやらなければ仕事が終わらない」(石川)
寝たきりにさせないため、ここでは地域の人に向けた様々なサービスを行っている。
日帰りのリハビリテーションは、およそ300人が利用している。歩行訓練に励むのは藤井真左さん(82)。週に3回通っていて、自己負担は月6千円ほどだ。
スタッフは総勢116人。医師5人が常勤している医療と介護の総合サービス拠点だ。
通常、在宅医療や介護のサービスを利用するとき、利用者は、個々の窓口にアクセスしなければならず、大きな負担となる。それを軽減するため、石川は1つの窓口ですむこの施設を作ったのだ。
「ここだと在宅も診られるし、セラピストも近くにいて、神経疾患の方を在宅で支えられる理想のところだと思って、5年前に来たんです」と言う、センター長を務める医師の斉木三鈴は、神経内科医として脳卒中などの患者と向き合ってきた。
センターが診ている在宅患者は、周辺3キロ圏内に暮らすおよそ360人。365日24時間体制で対応している。
この日、斉木が訪ねたのは荒武成さん(78)。54歳のとき、脳出血で左半身がマヒ。さらに2年前、胆管がんを患い一時は寝たきりになったが、起き上がれるまでに回復した。
医師の役割は病状の管理だけでなく、リハビリの計画を立てること。これは公的医療保険のサービスだ。一方で斉木の計画のもと、週に1度、リハビリのスタッフが訪問する。こちらは介護保険のサービスだ。ずっと診てもらえる安心感があって、荒さんはリハビリにも前向きに取り組めるという。
「リハビリも医療も両方提供できて、患者さんが安心して在宅でいられるように、そういう支援ができるいいセンターをつくりたいなと思っています」(斉木)
~編集後記~
「石川先生」ではなく、「石川さん」と話していると、不思議にリラックスできた。
石川さん主導のリハビリは「治癒しなくても、障害があっても生きていける社会」「フラットな組織のチーム医療」を提唱する。
それらは、深刻な医療問題の改善につながる可能性を持つ。
寝たきりの患者の減少は、高騰する医療費を抑え、医療者がチームを組むことで、勤務医や看護師の激務を和らげるかもしれない。
誰もが、「元気ではない」、ときを迎える。医療の原点はヒューマニズムだが、合理性に基づいたシステムがなければ、理念は、絵空事に終わる。
<出演者略歴>
石川誠(いしかわ・まこと)1946年、埼玉県生まれ。群馬大学医学部卒業後、厚生連 佐久総合病院、虎の門病院、近森リハビリテーション病院院長などを経て、2002年、初台リハビリテーション病院設立。