
世界が注目!暮らしを変える「クモの糸」
スポーツウエアメーカーのゴールドウインは、様々な新素材を使った機能性ウエアを次々と開発、売上げを伸ばしている。2015年10月、そんなゴールドウインから、秘密兵器とも言える新素材の商品が発表された。
ところがそこにはなぜかクモの写真が。実はこれ、世界で初めて人工的なクモの糸を繊維にして作ったウエアだった。軽くて伸縮性があり、驚くほど丈夫なため、極寒の地のハードな使用にも耐えられるという。
そもそもクモの糸は、あのNASAを初めとする世界の専門家が長年、研究対象としてきた繊維。一見、細くて弱そうに見えるが、その繊維は驚くほどの特性を持っているという。クモの糸は、ひとたび虫を捕獲すれば、簡単に切れない、驚くほどの伸縮性を持っている。軽くて、衝撃吸収力が強く、切れない。これが最大の特徴だ。
クモの糸研究の権威、奈良県立医科大学の大﨑茂芳名誉教授は、「もともとクモの糸はやわらかくて強い。進化の歴史の中で培ってきたのでしょう」と語る。
このクモの糸を人工的に作り出せば、画期的な新素材になる。まさにスパイダーマンに登場するような、驚きの性能を持つ夢の新素材。だが、誰も実現できなかった。
ところが山形県鶴岡市の田舎町に、その困難な新素材を作り出したという会社があった。
スパイバーを率いる関山和秀(33歳)は2007年、24歳で起業し、研究開始から9年後の2013年、人工クモ糸の量産化に成功。その糸で作ったドレスを披露し、世界の研究者の度肝を抜いた。
「原料に石油を使わずに作れる。この糸を使うことによって、今までできなかった画期的なアプリケーションがいくつもできるようになるのは間違いないと思います」(関山)

衝突の衝撃も吸収する驚異の伸縮性
誰もが実現できなかったクモの糸を大量生産する心臓部。さぞクモがいっぱいいるのかと思いきや、クモの糸を作るのは液体の中にいる微生物だった。
まず、天然のクモから採った糸を遺伝子レベルで解析。その遺伝子配列と同じような配列を、関山はコンピュータを使って人工的に作り出し、さらに、微生物向けに改良を加えた。そんな遺伝子操作で作り上げた人工のクモ糸のDNAを、微生物に入れると、微生物がクモの糸と同じような成分を作れるようになるのだという。
微生物が作り出した人工のクモの糸の成分を粉末状にし、さらに処理を加えて特殊な溶剤の中で繊維にしていく。こうしてクモの糸の優れた特性を持った繊維を大量生産することに成功したのだ。
そのクモの糸を使った最初の商品がパーカー。外側の素材に、クモの糸の繊維が織り込まれている。
独自の伸縮性を持つクモの糸は、様々な業界から注目を集めている。トヨタ系の自動車部品メーカー、小島プレス工業がスパイバーと共同で開発するのは、衝突しても衝撃を吸収できるような自動車のボディーだ。
小島プレスのプログラムマネージャー、鈴木隆領さんは「我々自動車業界が困っているところに、人工クモ糸はフィットしている。世の中を変える素材産業革命だと思います」と語る。

学生ベンチャーからの素材革命~人工クモ糸誕生物語
山形のスパイバー本社で開かれていたのは全体ミーティング。設立9年のベンチャーだが、すでに社員数は100人を超える大所帯だ。
しかしそのトップ、関山の道のりは決して平坦なものではなかった。
1983年、東京に生まれた関山は、小学校から大学まで慶応という、恵まれた環境で育った。大学でバイオの研究をしていたが、クモの糸に注目したのは、仲間との、「クモの糸、本当にすごいよね。でもなんで実用化されないのかな。じゃあ実用化してみよう」というような会話がきっかけだった。
そして2007年、大学発ベンチャーとして起業。バイオ技術でクモの糸づくりに挑んだ。
しかし当初は、資金難に悩まされた。その時代を偲ばせるのが、最新の研究設備の中になぜか置いてある古いコーヒーミル。ハンドルを回してクモの糸を巻き取っていたという。使えるものなら何でも使う。紡績機も、古くなり使わなくなったものを譲り受けた。
起業から2年、微生物を使いクモの糸を作り出すことに成功すると、そこへ朗報が。有名なベンチャーへの投資会社が、関山への2億5000万円の出資を決めたのだ。ジャフコ投資部の橋爪克弥さんは「まだまだ実用化には課題があることは認識していましたが、大きな市場を狙えるポテンシャルがあった」と、当時を振り返った。
これを皮切りに出資者が増え、今やその額140億円に。スパイバーには世界中から研究者が集まり、素材に革命を起こす夢の実現へ向けて研究を続けている。

石を原料にした“環境に優しい紙”
アウトドアメーカー、スノーピークの山井太社長は、名刺交換のたびに「これ、紙じゃないんですよ」と切り出す。紙ではない名刺。ライメックスという新素材でできているという。
「紙より全然耐久性がある。今はとりあえず名刺で使わせていただいていますが、たとえばカタログなども換えていければといいと思います」(山井さん)
通常、製紙工場で紙を作る時に必要なのが膨大な量の木材。紙10トンを製造するのに、実に200本もの木が要るという。さらに、木から採れたパルプを漂白するためには豊富な水も不可欠。10トンの紙を作るのに使う水は1000トンになるという。しかしライメックスは、木も水も要らない。
一方、ライメックスの原料は石灰石。巨大なピラミッドでも使われたほど、世界中どこででも豊富にとれる。
ライメックスを作ったTBMの山﨑敦義(42歳)は語る。
「その土地に豊富にある石灰石を使って、くさい言い方かもしれないけど、“石の革命”を僕らで世界中に起こし、ライメックスを使っていろいろなアプリケーションを作るのはすごく意義のあることだと思います」
その特徴は、驚くほど破れにくく、水をかけても全くしみこまない。その上から普通に字を書くことができるほど、水に強いのだ。拭き取れば元通り、表面に全く変化はない。
ある日、ライメックスの技術者たちが印刷大手の凸版印刷に向かった。大量に紙を使う印刷会社として、ライメックスの性能がどれほどのものなのか、細かい評価が行われていた。
凸版印刷の新井誠専務は、「やはり水とパルプを使わないのは革命的。我々印刷会社も生産に関わりたいぐらい、これから先のエコ社会を考えると確実に広がる、想像を絶する素材だと思います」と、語る。

中東、アメリカから熱い視線!新素材の新たな広がり
宮城県白石市に、20億円を投じて作った日本初のライメックス製造プラントがある。原料の8割は粉末にした石灰石。それに合成樹脂を、溶かして混ぜ合わせる。
液状になった石灰石が出てくるのが紙を作り出す心臓部。真っ白い布のようなものが、押し出されてくる。紙のような軽さを実現するため、空気を含ませながら、ミクロン単位にまで引き延ばしていく行程は、山崎が独自に開発した世界初の特許技術だ。
「この工場で出来上がったレシピ、ノウハウ、技術を生かして、世界中にこれの何倍もの規模の工場を作っていくことを、近い未来に絶対やっていきたい」(山崎)
そんな話が、実際に中東で動き始めていた。バーレーンにやってきた山﨑たちは、商工会議所を訪ねた。
木や水を使わずに紙を作れるライメックスが実は今、中東から、熱い視線を注がれている。木も水も十分になく、紙のほとんどを輸入に頼る中東の国にとって、ライメックスは、まさに革命的な素材。山﨑は、製造プラントの建設パートナーを探しにきたのだ。現地でも好感触を得ることができた。
さらに石灰石でつくるライメックスは、紙と違い、プラスチックのように自由に整形してリサイクルできる。

大工見習いからの素材革命~“魔法の紙”誕生物語
山﨑はちょっと変わった経歴の持ち主だ。1973年、だんじりで有名な大阪・岸和田生まれ。今も毎年、参加を欠かさない、地元を愛する男だ。
中学卒業後、進学をせず、大工の見習いに。さらに、20歳で中古車販売を手がけるなど、様々な職を経験した。しかし、「中古車屋さんをスタートした時から、世の中の役に立つとか、グローバルで勝負できるとか、いつか大きなことに挑戦したいという気持ちがありました」という。
そして35歳の時、台湾でそんなビジネスと出会う。それが地元の企業が石灰石から作ったというストーンペーパーだった。
でもそれはかなり重く、品質も悪かった。その可能性に気づいた山﨑は、もっと品質を改善しないかと持ちかけた。すると「石を使っている以上、これ以上軽くするなんて無理です。品質だって、これが精一杯です」というのが答えだった。
「こんなチャンスに巡り会えることは一生のうち何度もない。とにかくやってみよう」と、山﨑は自力でゼロから石灰石の紙を作る決意する。
しかし、山崎には何の専門知識もない。偶然、人づてに知ったある人物を頼る。それが現在、山崎の会社で会長を務める、元日本製紙の角祐一郎(87歳)だ。
山﨑は、様々な紙の開発に携わってきた角を招き、その長年の経験を生かして、軽くて圧倒的に品質の良い、ライメックスの製造プラントを完成させる。
「情熱に引き込まれるように、『ご一緒しましょうか』と。若い人と一緒にやっているので、元気をもらっているという感じです」(角)
そんな山﨑の会社には、角だけでなく、様々な部署で凄腕のベテランが活躍している。
例えばシニアアドバイザーの八田賢一は元丸紅常務で、紙の専門家として世界を飛び回った男。技術顧問の今村哲也は元花王取締役で、新商品開発を支えた技術者だ。
「私は面白いですよ。彼ら自身に実現してほしいし、その時に私が少しでも役に立てればやりがいがある」(今村)
ベンチャーの若手の発想と元大手の経験をひとつにして、素材革命に挑んできた。

「受験勉強をしなかったから考える時間があった」
新素材に挑むふたりに、村上龍はもうひとつの共通的を見出していた。それは、学歴は違っても、共通してまったく受験勉強をしていないことだった。それについて聞かれたふたりは、次のように答えた。
「受験勉強をしなかったので、時間がありすぎて、小学校、中学校で『なんのために生きているんだっけ』というところまで考えた。深堀りせざるを得なくなってしまったんです。しかも勉強をしないので、必要とされない人間になってしまうという危機感だけはあったのですが、それが勉強につながらなかった(笑)」(関山)
「中学校しか出てなかったので、『働けるところがないか』と言ったら、友達が知っている大工に話してくれた。でも現場に行って、10年後、20年後を考えた時に『このままだったら……』というのがありました。やはり残りの人生について深く考える時間はすごくあったんですね」(山崎)

~村上龍の編集後記~
関山さんは幼稚舎からずっと慶応義塾、山﨑さんは中学卒だ。だが共通点は少なくない。
まず二人とも、機械など物理的特性ではなく、コピーされにくい化学的特性を持つ製品を成功させた。
また、結果的にだが、受験勉強をしていない。そして、決して「異端児」ではない。
チャンスをうかがい、つかんだら、成功の糸口にたどり着くまで、どんな困難に遭ってもあきらめなかった。
「成功するまでやり続ければ絶対に成功する」。カンブリア宮殿の精神だ。
このお二人を、500回を記念するゲストとして紹介できたことを、誇りに思いたい。
<出演者略歴>
関山和秀(せきやま・かずひで)1983年東京都生まれ。2001、年慶應義塾大学環境情報学部入学。2004年、クモ糸人工合成の研究を開始。2007年、スパイバー設立。2013年、世界初の合成クモ糸量産化に成功。
山崎敦義(やまざき・のぶよし)1973年大阪府生まれ。中学卒業後、大工、中古車販売など複数の仕事を経て、2008年、台湾からストーンペーパーの輸入開始。2011年、TBM設立。2015年、第一プラント稼働。