実写映画評「リアル・スティール」

題名:物言わぬロボットに託した再生の意志

 「ロボット同士のボクシング」と親子の絆を通じ、栄光に背を向けていた男の再生を感動的に描いた作品だ。別れて暮らしていた息子とスクラップにされていたロボットATOM、この二者と出会うことで、元ボクサーは生きる意味と誇りを取り戻す。息子は血縁、ロボットはボクシングのスキルと、自分を継承した「分身」という構造が巧みだ。

 最初はダメ男にしか思えない父親に接する息子の絶妙なリアクションが、とにかく印象的だ。ひとり遊びのゲームで発達したであろう頭脳の明晰さで、目先ばかり優先する父をリードする言動は実に好感がもてる。燃える逆転劇へドライブをかける原動力が、物言わぬ無機質なロボットATOMへの思い入れと、油臭さや重量感あふれるメカニズム描写であるのも重要だ。この種の飛躍をリアルなビジュアルで丹念に描くことにより、再生の物語もまた信じるに足るものとなっていく。

 もちろん実物大ロボットとモーション・キャプチャーによるCGを巧妙に組み合わせたVFX技術も卓越したものだが、決してそれだけではない。ロボット自体には何の意志もなく、人の動きをトレースする「器」に徹しているというニュートラルな位置づけが、見逃せない。人間の意志や想いを乗せて巨大なパワーを実行するロボット。それは日本人が数々のロボットアニメを通じて「人型である意味」とともに、幾度となく追求してきた数々の作品がヒントになっているようだ。

 事実、本作には「日本のアニメやゲームへのリスペクトのサイン」が至るところに発見できる。主役ロボの名前の由来が「鉄腕アトム」なのは明白だが、スタジアムの名称は『宇宙戦艦ヤマト』のアメリカ版「スターブレイザーズ」に似ているし、最終決勝戦場の入り口にはガンダムに酷似した像が立っていたりする。ロボット格闘技自体、『プラレス3四郎』を連想させるし、フィニッシュパンチで三回同じアクションが繰り返されるに至っては、出崎統監督の『あしたのジョー2』の演出技法を思い出して愕然となる。

 肝心なのは、こうした連想も些末に感じるほどの興奮と感動の娯楽作に昇華させた点である。どうしてこういう作品がロボットものを得意とする日本でつくれないのか。まさにノックアウトされた気分になる作品でもある。だが、われわれだってやり返せばいい。そうしたいのかどうか、人の意志こそが問題だ。ロボットを通じて描かれる「再生の構図」には、そんな大きなメッセージがこめられていると思える、実に貴重な映画であった。

【2011年11月22日脱稿】初出:キネマ旬報