【MBの"超"思考】意義のある仕事とは。成功する仕事とは。





この時期はブランドの展示会周りが続きます。「展示会」とは次回春夏(もしくは秋冬)の新作サンプルを並べて、バイヤーやプレス関係者に見てもらう「お披露目会」の様なもの。先日もとあるブランドの展示会にお邪魔して次回の展開を見ていました。

展示会自体はとても楽しいもの。ずらり並ぶ新しい洋服を見て試着して、ファッション好きとしては堪らない刺激を受ける時間です。ただ、あらゆるブランドの展示会に行けば行くほど、ズラリと並ぶ商品を見れば見るほど「これって意義のある仕事なのかな・・・」と疑問に感じてしまうのです。

多くのブランドはシャツ・ジャケット・スラックスなどだけでなく、コートからバッグ、靴から靴下までフルアイテムでの提案をするものです。私はここに疑問を感じてしまいます。当然デザイナーによって、ブランドの生産背景によって、「得意なアイテム」があるはずです。例えば「肌着」ならユニクロのエアリズムを上回る商品を作るのはなかなか難しいはず。例えば「靴下」ならトータル提案型ブランドよりも専業ブランドの方が遥かに良質なものを手頃な価格で作れます。だったら「得意なアイテムを得意なブランドが作る」というだけで良いんじゃないのかな、と思うのです。

もちろん「需要があるけど作られていないアイテム」はどのカテゴリにも存在します。例えばいかに「靴下専業ブランドが優れている」と言っても「専業ブランドじゃ絶対に発売しないデザイン」などもあるでしょう。市場になく社会に求められているものならば作る意義があります。しかしどこにでもあるシンプルな丸首のTシャツや、どこにでもある簡単な作りのニットキャップなどをわざわざ作る意義がどこにあるのでしょうか。無為に数を増やしても資源の無駄です。社会の役に立ちません。展示会に行くとそんな疑問と想いがいつも頭をよぎるのです。



▼「バブル崩壊」は意義のない仕事の「ツケ」である

ドラッカーは「事業とは”顧客の創造”である」と定義しました。潜在的か顕在的かの違いはあれど、「顧客が求めるもの」を行うのが事業です。潜在的な場合は「顧客の創造」であり、顕在的な場合は「顧客満足」ではありますが、いずれにせよ顧客が求めることを行うことが事業でありビジネスです。

社会が求め、社会に需要があるものを作るのが生産者としては正しい。この理屈で言えば、すでにその代替品が存在し、その需要を十分に満たせるのなら、わざわざあえて新しくモノを作る必要はないわけです。「二匹目の土壌狙い」は実に愚かです。

「エアリズム」があるのに、機能肌着をわざわざ開発し高い値段で売る必要は別にありません。

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