「本文を根拠にして答えるのが読解。本文をよく読め」と、国語教師は強調しすぎなのではないか。本文をよく読むのは当然だが、よく読んだのならあとはもう本文を見ないで答えるというのが、本当の読解なのだ。
読解とは、その全てが「言いかえ」である。それは、3つのタイプに分かれる。
1)出題者が本文を言いかえて作った選択肢から、選ぶ設問。
2)筆者作者が本文の中で自ら言いかえている部分を抜き出す設問。
3)読み手が、自分の言葉で言いかえる設問。つまり記述式。
この3の「自分の言葉で」の意味を、勘違いしてはいけない。これは、「自分の意見を入れて」ということではない。読解とは他者の言葉の再構成であるから、読み手の意見を極力除外し、なおかつ書き手の言葉とは異なる言葉で、意味がズレないよう言いかえる。それはすなわち、抽象化・具体化のこと。
読解とは、究極的にはこのプロセスをこそ意味する。先に挙げた1や2は、レベルの低い要求。
ところが、多くの読解問題は採点の都合上1や2でできている。もちろん、これらを解くにも抽象化・具体化の能力は必要だが、本来は自分で行うべき抽象度や意味範囲の調整は、他者がやってくれる。その意味で、レベルが低い。
そして、その1や2の設問を与えることに慣れ切っている塾講師が「本文を見ろ!」と指導し、それを受けた生徒は、設問の答えを考えるときに本文から目を離さないようになる。
1・2レベルの設問の場合、たいていは本文の言葉が部分的・全体的に答えに含まれている。だから、「本文を見れば得点できる」という思考が働き、条件反射的に本文をとにかく眺めるようになるのも、まあ無理はない。
しかし、3のタイプの設問に答える場合は、本文を見れば見るほど、答えが出せなくなることが多い。記述答案の質が低い子は、ほとんどの場合、このパターン。
それが小説読解ならば、求められている抽象度にそぐわない、文中の具体的な描写やセリフをつぎはぎして、答えを作ろうとする。本文ばかり見ているからだ。たとえば、「ぼく、友達みんなに嫌われてるんだよね、きっと」というセリフを、「主人公が疎外感を抱いた」と言いかえるようなことが、できない。
もちろん、自力で抽象化・具体化すると言っても、はじめは本文を頼りにして考えるに決まっている。今の例なら、「ぼく、友達みんなに嫌われてるんだよね、きっと」というセリフを「見る」ことなしに、「疎外感」は出てこない。
しかし、「みんなに嫌われている」=「みんなに距離を置かれている」=「疎外されている」と考えていくプロセスとは、あくまでも本文を離れていくプロセスだ。本文の字面を両目が物理的にとらえている限り、子どもたちは「疎外」などという言葉にはたどり着かない。
本文を見て、しばらく虚空を見つめて、それから手を動かす。そういう子が、記述設問で得点できる子の特徴だ。
それは、解いている様子を見ているだけで教師講師にはすぐ分かる。ああ、あの子はずーーーっと本文を見ているな。書けていないに違いない。ああ、あの子は上を向いて考えているな。期待できるかもしれないぞ。私はいつも、そんなふうに子どもたちを背後から見守りながら、答案を待つ。
今ちょうど小説読解をやっているわけだが、日々、こう声をかけ続けた。問題を解かせる直前に。「今から、答えが書けない人の特徴を言います。それは、いつまでも本文(本)とにらめっこしてる人です。ある程度確認したら、勇気を出して本を閉じなさい」
本文から目を離す勇気。本を閉じる勇気。記述力を磨くには、これが必要なのだ。
読書感想文というのは、多くの場合レベルが二極化する。
1)あらすじオンパレード
2)大胆な解釈
1は、本を閉じる勇気のない子の末路。2は、本を閉じる勇気があった子の果実。
ただし言うまでもなく、こうした言いかえをなし得るためには、語彙力が不可欠。先の例で言えば「疎外感」などという言葉が出るのかどうか。だから私は日々、自著を中心に使いながら語彙力を育成している。
特に、問題を解かせる前に意図的に、これから解かせる設問に関連した語彙を教えておくようにしている。
17:40から問題を解かせるならば、その答えに使うことになる言葉を、17:10の段階で『本当の語彙力』問題集などで教えておく。集中して取り組み、その言葉を30分間インプットできていた子は、その言葉を記述答案の中で見事にアウトプットして活用することができる。
こうして1授業の中で意図的に語彙力の定着を図る。30分後にアウトプットできなかった子も、解説の時点で「ああそういえばさっき習った~!」とあとで悔しがることになり、その場で定着度がワンランク上がる。
こうした仕組まれた授業を行うには、教師が意図的にリードする以外になく、アクティブラーニングなんぞをやっている場合ではないのである。
(この記事は、2016年12月4日のツイートを若干修正し、まとめたものです)
参照→「アクティブラーニングの3つの限界」