入学式に150万着! 驚きの制服生産現場
創業140年になる学生服の老舗、トンボ。創業記念の式典をのぞいてみると、学生服のド派手なファッションショーが始まっていた。モデルはなんと社員。新作制服を披露していく。制服はずいぶんオシャレになった。
こうしたデザイン力を武器に学校が制服を変える際の採用校数でトンボはトップを走る。
その製造現場は、岡山県ののどかな場所にあった。制服を作る工場の要、縫製場。取材したのは入学式が終わったばかりの4月の中旬だが、300人が制服作りに追われていた。
「合格発表があってからその学校分を作ると絶対間に合わない。来年の4月に向けてすこしずつ備蓄をしていくんです」(生産課長・森本康督)
4月の入学式に間に合わせるため、一年中、作り続けている。だから倉庫には、とんでもない量の生地が置かれている。
現在、トンボが取引している学校は、全国合わせておよそ1万校。その分だけ生地の在庫も必要となる。生地だけではなく、ボタンも1万校分。ボタンも一校一校、全部違う。
こうして一年中、制服を作り続ける工場が国内に八つある。中国などで作る他のアパレルメーカーとは違い全て国内生産。入学式のある4月に1万校、150万着分の納期が一斉にやって来る。それに間に合わせるためには、このやり方しかない。
制服メーカーの宿命~多品種・少量生産
国内で手作りする制服には細やかなこだわりも。例えば同じMサイズでも、肩幅のサイズを測ってみると、ある高校のものは44センチだが、別の高校のものは47センチ。同じサイズなのに3センチも違う。「進学校」には細身の生徒が、「スポーツ強豪校」にはガッチリ系が多く来る。その特徴に合わせて同じMでも作りを変えているのだ。
「甲子園に初めて出場した学校があったら、翌年にはがっちりした体格の生徒が多く集まってくる。そういうことを加味しながら、各サイズ規格を設定しています」(企画提案課・竹内文絵)
3年間着ることを考え抜き、機能性も持たせている。例えば袖口の内側の縫い目にはある工夫が。糸を切ると、袖が簡単に伸びるようになっている。そのままで縫う必要もなし。2段階、最大6センチ伸びる成長設計になっていて、背が伸びても対応できる。
ネクタイに持たせた機能性は、ケチャップのようなものを付いても、水をかけただけで落ちるというもの。食べ盛りの高校生に適していそうだ。
トンボのトップ、近藤知之によると、一般的なアパレルメーカーと学生服メーカーには大きな違いがあると言う。
「私どもは多品種・少量生産。それを入学式に間に合わせなければならない。効率的かどうかというと、非効率だと思います」
同じモノを大量に作った方が利益は出やすいが、トンボの取引先は1万校。夏服なども合わせると作るアイテムは2万5000種類にもなる。それを生地だけでなくボタンや糸も変えて生徒の数だけ作らなければならない。学生服作りは「多品種・少量生産」の超非効率なビジネスなのだ。
非効率でも利益を生む仕組み
「非効率な中でも、利益が生まれる、赤字にならない工場運営の仕組みを長年積み上げてきて、現在がある」(近藤)
工場をよく見てみると、従業員はみんな立ったままミシンをかけている。その理由は、他のミシンにすぐに移れるから。制服作りでは縫う部分によってミシンを使い分ける。ここでは一人が次々とミシンを渡り歩くことで、少ない人数で仕上げられる。結果、作業時間も短くなり生産性もアップする。次の工程に渡す時も阿吽の呼吸。時間の無駄がほとんどない。
効率を上げるための人材教育も行われている。従業員に厳しい目を向ける生産課の藤田正樹だ。手にしていたのはストップウォッチ。行程ごとにかかった時間を計り平均タイムより遅れていないかチェックしているのだ。
この日、藤田が作業の遅さを目に留めチェックしたのが、入社2年目の中村果奈。その後、中村は会議室に呼ばれた。そこで食い入るように見ていたのはミシン掛けの映像だ。
左が中村で右が先輩社員。同じ作業をしている映像を同時に流し、どこが違うのか確認させようとしているのだ。先輩に比べ、中村は針に近い所で作業している。これだと何度も手を持ち替えなければならず、時間がかかってしまう。こうした取り組みで社員を回り道することなく成長させる。
「手の動きとか、自分では無意識にやっているので、それを見返すことでダメな部分に気づけてよかったです」(中村)
独自の取り組みで少子化の逆風の中、売り上げは好調。年商255億円。経常利益、14億円を叩き出す。
しかしトンボが追い求めるのは、利益だけではない。背中部分にファスナーをつけた制服。体の不自由な人のため、ファスナーをつけることで、上半身が楽な状態のまま脱いだり着たりできるようにした。効率化を図る一方で、こうした手間も惜しまない。
端にマジックテープがついたスカートも。これなら車椅子の人でも簡単に脱いだり着たりできる。
「お祝いの品でもある。それを供給するということは、商売を抜きにしてでも、どんな人にもまんべんなく着られる制服を届けるのが使命でもありますから」(近藤)
スケバンも契機?制服の変遷とトンボの歴史
トンボの社内にある日本最大級の「制服ミュージアム」。制服の誕生から現在に至るまで、時代ごとに現れた制服を復元し、展示している。
そもそも日本の学生服のルーツは、明治時代、軍人や警察官が着ていた詰め襟の制服と言われている。1879年、学習院が日本で初めて詰め襟学生服を採用。ちょうどその頃、トンボの歴史も始まった。
創業は1876年。当時は岡山の名産品だった足袋を作っていたが、1930年に見切りをつけ、学生服の製造を始めた。その後は、足袋製造で培った確かな技術でトンボは学生服メーカーとして順調に成長していく。
ところが1980年頃、思いもしなかったブームが。ツッパリやスケ番と言ったスタイルがブームとなり、日本中に妙な変形学生服を着た若者達があふれ、社会問題となったのだ。
そこで学生服メーカーは手を組み、「標準型学生服」の規格を決め、変形服をおさえにかかる。結果、どの学校も同じような制服に。すると、トンボは逆に、「学校の制服は、校風や教育方針によってそれぞれ違うのが自然な流れ」(近藤)と、個性を打ち出した。業界に先駆けて始めた、学校の個性が出る制服作り。これがトンボの掲げた「スクール・アイデンティティ」だ。
その代表作が1984年に嘉悦女子高等学校が採用したもの。小池栄子も憧れていたというタータンチェック柄のスカートとブレザー。今では定番となったこの組合せはトンボが初めて作った。
学校の数だけ制服がある百花繚乱の世界は、もともとトンボによって生まれたモノだったのだ。
誇りを持てる制服を~スゴ腕営業マンの「学校へ売り込む」方法
学校が制服を変える際、最も多く採用されているトンボ。新規の契約はどうやって取っているのか。それを任されているのが、販売部。トンボの営業部隊だ。
特別に見せてくれたのは、独自に調べた学校のデータ。創立年の欄を見ると、「創立何十年」という節目の学校だけ赤く塗られている。節目の年に制服を変える学校が多いのだ。
全国の販売部員の最古参、和田裕人、62歳。学生服の営業一筋38年だ。その和田が地図のようなものを作っていた。販売部員は新たな制服を提案する際、窓口にもなる。だから、「近くの学校とかぶらないように」と、周辺情報を押さえておく必要があるのだ。
この時、和田が話を進めていた学校は小金井市立南中学校。今年、ちょうど創立40周年になる。創立以来一度も変えたことがないと言う制服に、生徒たちの評価は「地味」「どこにでもありそう」。
和田が小金井市にやってきた。しかし、行き先は学校ではないという。新たな制服を提案する時は、まず自分の足でその街を徹底的に歩き回る。そして住民に聞き込みも。しかしこうした情報が、制服と関係あるのか?
「制服とか標準服に地元の意味を込めたものをつけて、それに誇りをもっていただければ、長く来て頂けるんではないかと思うんです」(和田)
和田は住民がこぞって自慢した野川という小川を見てみることに。印象的な景色と、その自然に溶け込む子どもたち。そして川沿いには、花の季節を終えた桜並木が延々と続く。都内でも有数の名所で、また春になれば、川は美しいピンク色に染まる。
自分の足で歩き、肌で感じた街のイメージを新しい制服に反映させる事ができれば……デザイナーと打ち合わせでは、和田の感じたことがデザインのヒントとなっていく。広げたのは、小金井市内にどんな樹木が生えているかを記した地図だった。学校にサンプルを提案する日は迫っていた。和田の主張を受けて、どんな制服ができ上がるのか。
「制服は世界に発信できる日本の文化」
そして迎えたサンプル提案、当日。和田は出来上がった制服を抱え、南中に乗り込んだ。
この日お披露目する相手は、南中学の「制服検討委員会」。セッティングを終えると、PTAの保護者や校長を含む教師達、総勢20人からなるメンバーが集合した。
いざ、サンプルを披露すると、教室がどよめいた。
今回は2種類のサンプルを用意。どちらかで決めてもらえれば、という提案だ。ジャケットはシャープなデザイン。そしてもっとも目を引くのが街のシンボル、「桜」のピンクが入ったチェック柄のスカート。これは2種類、共に入った。よく見るとジャケットのステッチにもピンクが。このデザインは周辺の学校とも被っていない。
その後、2種類のサンプルは体育館に飾られ、生徒達にもお披露目された。生徒達はただ見るだけじゃない。どっちがいいか、投票する。この意見が最終決定に大きく左右する。このやり方もトンボの提案だ。
南中学の新しい制服が決まった。来年の春には、かわいい制服に身を包んだ新入生が胸を膨らませて、南中にやって来る。
世界的に見た日本の制服についての評価を質問した小池栄子に、近藤はこう答えている。
「制服の先進国はイギリスですが、それに勝るともおとらない高品質、高機能。デザイン的にも優れている。最近、イギリスの高校生の制服もスカートの丈が短くなっているのですが、日本の制服の影響と言われています。タータンチェック、特にオールブリーツのスカートは欧州にはあまりなく、それがかわいらしい、と。日本の制服は世界に発信できるファッションであり文化。この文化を次世代に引き継いでいくことが大切だと思っています」
制服空白区を狙え!トンボの新戦略
信州・長野。実はトンボが注目する特別な制服エリア。長野は全国でも最も制服のない学校が多い県。公立高校でもなんと半分は制服がなく、多くの生徒達が私服で通学している。
制服風の服をわざわざ買って着ている女子高生もいる。こうしたニーズをうけて、トンボも動き始めた。一昨年から販売を始めた新ブランド「アンビー」。ターゲットは学校ではなく、制服を着たがっている生徒一人一人。
そのアンビーを担当するデザイナー、山口梓が、制服空白区の長野へ乗り込んできた。アンビーの新作スカートを売り込みに来たのだ。
学生服を扱っている「ながの東急ライフ サクラヤショップ」。半分近くは制服風のジャケットやスカート。私服で通う生徒を狙った商品、いわゆる“なんちゃって制服”だ。早速、新作を売り込む山口。店も気に入ってくれ、店頭に飾らせてもらえた。
すると、通りかかった女子高生たちがすぐさま反応した。「かわいい」「欲しい」と、手応えあり。少子化時代を生き残るための、これも進化する制服ビジネスの一つだ。
~村上龍の編集後記~
実は昔、制服は苦手だった。画一的だと思ったからだ。だがいまだに、就活学生のリクルートスーツに見られるように、「個性」という概念が社会に定着していない気がする。
トンボは、学生服メーカーでありながら、「スクール・アイデンティティ」に象徴されるように「個性」の定義を探っているように思える。
個性は、「正統性」が啓蒙されなければ確立されようがない。1876年に創業し、信頼を軸に誠実なビジネスを続けてきたトンボは、逆説的だが、ファッションにおける個性というものをもっともよく理解しているアパレル企業かもしれない。
<出演者略歴>
近藤知之(こんどう・ともゆき)1955年、岡山県生まれ。1980年、中央大学卒業後、テイコク(現トンボ)入社。2001年、取締役営業統括第一営業本部長、2010年、専務取締役。2012年より代表取締役社長。