サミットから学ぶもの

【同盟に頼れる時代は終焉】

 イタリアのサミットが終了した直後、ドイツのメルケル首相は「欧州は自分たちの未来のために自分たちで戦わなければならない」と繰り返し強調した。

 「同盟国だからといって他者に頼れる時代は終わった。自分たちの運命は自分たちで握るべきだ」とも語り、これまでのようにアメリカを同盟国としてみることに距離を置く姿勢を示した。

 今回のサミットは“アメリカ・ファースト”を強調するトランプ政権とG7各国が今後どう協調してゆくかが最大の焦点だった。首脳宣言では「保護主義と闘う」と明記したが、トランプ大統領は不公正な貿易がアメリカの産業や雇用に悪影響を与えていると主張。当初は保護主義という言葉を使うことに反対した。その後、不公正な貿易をする国に対しては報復措置を取ることを条件とするなら“保護主義と闘う”という文言を入れる点を認めたという。

【温暖化対策協定にも米国は不参加示唆】

 また新たな地球温暖化対策を示すパリ協定についてもアメリカは不参加を示唆。議長国イタリアが重視し特別声明を出そうとした難民・移民の権利を容認する内容については、アメリカが排外主義的な壁を作ることを主張し、結局、国境管理の権利を確認する内容を、特別声明ではなく首脳宣言の一部に書き込むだけとなった。かろうじて一致したのは“テロとの闘い”と北朝鮮の核開発や弾道ミサイル計画の放棄を促す宣言などで、イギリスのメイ首相はマンチェスターのテロ事件を理由に初日だけ参加して帰国してしまった。

 今やサミットは世界の問題に一致して協力する態勢がなく、分断が如実に現われ、かつての一致団結の面影はほとんどみえないのが実情だ。その最大の要因を作ったのは、トランプ大統領の“オレ様第一”の考えと強引な押しつけ議論だった。特にEUのリーダー的存在のメルケル首相は「非常に不満というのが失礼なら、かなり難しい協議だったと言わざるを得ない」との感想を残して去ったという。

【オレ様第一が流行】

 サミットは1975年にフランスのジスカール・デスタン大統領の提唱で始まった。第一次石油危機が到来し、再び保護主義の気運が高まってきたことを危惧したフランスとドイツが、もはや二度と経済危機から大戦を引き起こしてはならないとの決意から先進7ヵ国の合意でスタートしたのだ。当時G7の世界経済に占める割合は7割近くあり大きな影響力を持っていた。

 しかし今や5割を切るまでに下がり08年のリーマンショック以降は、世界経済に対する新興国の比重と発言力が強くなりG7の存在感は徐々に低くなってきた。そこへトランプ大統領が登場し、G7の価値観とされてきた民主主義、人権、法の支配、自由貿易の推進、グローバル主義などに異論を唱え“アメリカ・ファースト”を前面に立てて世界貿易を取り仕切ろうとしてきているのである。

 G7の顔ぶれもすっかり変わった。これまで12回出席のドイツのメルケル首相がリーダーシップをとってきたが、トランプ大統領の登場ですっかり雰囲気が変わってしまったようだ。次いで多いのは6回の安倍首相と2回目のカナダ・トルドー首相で他の4ヵ国はみんな初登場だった。

【日本の橋渡し役も不発】

 そこで6回目の安倍首相がトランプ大統領とメルケル首相らの橋渡し役として期待されたが、結局大きな成果を上げることができなかったようだ。今の日本はアメリカにぴったり寄り添うことが、朝鮮問題などでも得策と考えているようでアメリカに批判、直言することには消極的だ。

 しかし、アメリカはトランプ大統領が得意のディール(取引)外交で表向きとは別に中国やロシア、北朝鮮とも接触を行ない独特の動きをしているようにもみえる。

 日本はアメリカべったりなら安全保障面は大丈夫とみているようだが、1970年代初頭のニクソン訪中で日本はおいてけぼりを食わされた例もある。世界をよくみて日本も他者に頼れる時代は終わったと認識すべきだろう。

画像:2017イタリアサミット特設サイトより

※嶌が以前上梓した「首脳外交」(文芸新書)では、主にサミットに参加した各国首脳のあからさまな他国批判や発言の裏にある外交駆け引きに焦点を当てており、それらに解説を加えながら、沖縄サミットをはじめとする今後の首脳外交の読み方を示しております。 また、巨大イベントとしてのサミットを仕切る組織やその演出法、開催地の持つ歴史や空気が毎回少なからず影響力を持つ点など、これまでにない視点での取材成果を紹介しておりますので、ご興味をお持ちの方は合わせてお読みいただけると幸いです。