アメリカの野球殿堂は日本のものと何が違うのか② 博物館の充実度と殿堂入りの意義

殿堂には野球を題材にしたアート作品も展示されている

前回は、アメリカの野球殿堂を取り巻く環境が、都会の喧騒とは無縁の癒しを与える自然に溢れ、The Old Ball Game への郷愁を掻き立てるものであることを述べた。今回は、博物館そのものと殿堂入りの意義について、日本の野球殿堂との対比で解説してみたい。

違いその3「博物館の充実度」

日本の殿堂も、貴重な展示物がたくさんある。日本の野球に関するものだけではなく、ベーブ・ルース、ハンク・アーロン、ジャッキー・ロビンソンなど、メジャーの歴史を語る際に欠くことができないレジェンド達が使用した用具類もある。しかし、館内を巡るとそれなりにじっくり見たつもりでも、小1時間もあれば観終わってしまう。

ぼくが2012年にクーパースタウンを訪れた際は、正午に到着し、館長のジェフ・イデルソンさんへのインタビュー1時間の後、閉館の午後9時まで見学したが「まだ足りない」印象だったのとはエライ違いだ。日本の殿堂が有している野球資産は文句なしに国内ナンバーワンだと思うが、「見せる」努力は甚だお役所的だ。「多くの資料を保管・展示しております、以上」そんな印象だ。正直なところ、「甲子園歴史館」のような一般の野球博物館の方が、その演出努力のため遥かに見ていて楽しめる。その結果(だけではないと思うが)、都心のど真ん中に位置しながら、館内はいつもガラガラだ。平日なら、他にだれも来訪者が館内に見当たらない瞬間に出くわす可能性も低くない。アメリカの殿堂がクーパースタウンというある意味では「僻地」にありながら、年間約30万人が訪れるのとはエライ違いだ。

クーパースタウンと野球の起源の関係(というか無関係)についても記しておきたい。

「野球が1839年にアブナー・ダブルディによってクーパースタウンで考案された」、というのは完全に神話だ。いや、でっち上げと言い切っても良い。野球らしきものはもっと古くからプレーされていたのだ。その起源は英国発祥のラウンダースというゲームなのだが、それがいつどこからベースボールになったか、明確に線を引くことなど不可能だ。

野球を発明したとされたダブルディ

「神話が」捏造されたのは、それなりの背景があった。

20世紀初頭に野球の起源に関する論争があったのだが、起源は英国ではなく自国としたい一派が、こじつけたというのが真相なのだ。ダブルディは南北戦争で活躍した将軍だ。アメリカの歴史に名を残す人物によってこの偉大な国民的娯楽となる競技が考案された、というのはロマンチックだからだ。当時は、現代とは異なりコンプライアンスが云々される時代ではなかったということなのだろう。

古代エジプトの時代にすでにボールとバットのようなものを使った遊びがあった

殿堂博物館には、「1939年、クーパースタウン、ダブルディ」神話の証拠とされた「最古のボール」が、その神話が崩壊してからもずっと展示されている。これはこれで、今やオークションで「億」の値が付くとされるホーナス・ワグナーの野球カードとともに、ここを訪れた際の必見アイテムだ。

「1839年、クーパースタウン、ダブルディ」神話の拠り所だった「最古のボール」
クーパースタウンのモナ・リザ? H・ワグナーの野球カードは必見だ

ちなみに、ぼくが訪れた際に驚いたのがイチロー関連の展示の多さだった。展示物は不定期に入れ替えられているはずなのでたまたまラッキーだっただけだと思うが、シーズン262安打や10年連続200本安打関連の用具やジャージなど、館内4箇所でイチローモノを拝観した。その日、これだけの展示物があった現役選手は彼1人だった。いや、それどころかイデルソン館長のオフィスにも、イチローから贈られたグラブや甲子園で熱投する高校時代の彼の写真が掲げられていたのだ。

館内にはイチロー関連の展示物がいくつもあった
館長室にはこんなものも
「バンビーノの呪い」を解いた?血染めのソックス



違いその4「野球殿堂入りの価値」

アメリカの野球人にとって、プレーヤーであれ監督や経営者であれ、野球殿堂入りは究極の「アガリ」だ。大げさに言えば殿堂入りによって、野球人は「人」から「神」に変わるのだ。殿堂入りを果たした者の多くが、その報を受けた時や、クーパースタウンでのセレミニーで涙を流すのは彼らがおセンチだからではない。

もっとも、その価値は単に形而上学的なもののみではない。「ホール・オブ・フェイマー」という肩書が付くだけで、サイン会を行う際のギャラもグンと跳ね上がるのだ。また、メモラビリアを扱う業者との専属契約の話も出てくることも多いようだ。世知辛いことを言うなら、殿堂入りは「儲かる」のだ。

一方日本では、本来野球殿堂入りが担うべき位置付けは「名球会入り」に奪われている

元々は親睦団体に過ぎなかった名球会が、ここまで認知を得るようになった要因は何だろうか。そこを考えてみると、結果的に野球殿堂入りの名誉が高まっていない理由も見えてくる。

まずは、その選考基準の明瞭さだろう。2000本安打や200勝というのは、良し悪しは別にして極めて分かりやすいマイルストーンだ。それに対し、野球殿堂入りでは、土井正博や江夏豊が未だに選出されていないにも関わらず、津田恒実が選ばれるような事態がまかり通ってきた。

また、名球会入りを決めるのは引退後長年を経た若いファンには馴染みのない伝聞の世界のレジェンドではなく、日々球場で応援している贔屓選手だということも無視できない。毎日応援している現役選手たちが、(ライブであれテレビを通じてであれ)、ある種野球人としての究極の域に達する瞬間を共有できることは大きな意義がある。このようなパブリシティの面で名球会は圧倒的に有利で、オールスターゲームの試合前に式典を行う殿堂は到底歯が立たないだろう。ほぼ満員の観客が見守っているし、テレビ中継の電波にも乗るとは言え、そこに詰めかけている観衆もテレビ桟敷のファンも、皆お目当ては球宴そのものであり、表彰式は前座の余興でしかない。「おまけ」で開催されている限りは主役にはなり得ないと思う。どこかの格式のあるホテルで、テレビ中継付きでやれないか。

<その①>

違いその1「ロケーション」

違いその2「周囲の野球度」