連続講座「飯沢耕太郎と写真集を読む」 一日『ソール・ライター』DAY

ソール・ライター展カタログ『ソール・ライターのすべて』

2017年4月29日に写真集食堂めぐたまにて開催された「飯沢耕太郎と写真集を読む」。

今回はBunkamura ザ・ミュージアムで開催中の展覧会「ニューヨークが生んだ伝説 写真家ソール・ライター展」に関連して、ソール・ライターの写真世界を覗いていきます。ゲストに、展覧会のキュレーションを担当したポリーヌ・ヴェルマールさん(ニューヨーク国際写真センター)と、コーディネーターの佐藤正子さん(株式会社コンタクト)のお二人をお迎えしました。

左から飯沢さん、ヴェルマールさん、佐藤さん

イベントが行われた4月29日は展覧会の初日。トークのあとは、参加者の皆さんとソール・ライター展覧会限定メニュー《ファラフェル プレート》でランチをして、展覧会を見に行きました。

ソール・ライター展限定メニュー《ファラフェル プレート》

Bunkamura ザ・ミュージアム入り口にて

ウェブマガジンmineでは、2時間にわたるトークイベントの内容をたっぷりご紹介していきます。

(※対談は有料版となっておりますが、冒頭のみ無料でお読みいただけます)

【目次】

◆無名の写真家ソール・ライター

◆日本で展覧会が開催されるまで

◆ソール・ライターと日本

◆ソール・ライターの人生観

◆絵画作品、ヌード写真の魅力

◆ロバート・フランクとのつながり



「飯沢耕太郎と写真集を読む」はほぼ毎月、写真集食堂めぐたまで開催されています。(これまでの講座の様子はこちら

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(2017年4月29日開催・写真/文 館野 帆乃花)

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◆無名の写真家ソール・ライター

飯沢: 今回はBunkamura ザ・ミュージアムで今日まさに写真展がスタートした、ソール・ライターついてお話をしていきたいと思います。ゲストには、今回の展覧会のキュレーションを担当したニューヨークの国際写真センター(ICP)のポリーヌ・ヴェルマールさんをお迎えしています。ヴェルマールさんは小さい頃に日本に住んでいたそうで、日本語も少しできるんですよね。通訳はこの展覧会のコーディネートをされた、株式会社コンタクトの佐藤正子さんです。佐藤さんには通訳をしていただきながら、ソール・ライター展が日本で開かれることになった経緯などもお聞きしたいと思います。

ポリーヌ・ヴェルマールさん(左)と佐藤正子さん(右)

ヴェルマール: 今日はお招きいただき、ありがとうございます。今回の展覧会は東京で初のソール・ライターの大規模な回顧展になります。ソール・ライターは2013年の4年前に亡くなりました。今回の展覧会はソール・ライター自身の歴史にとって非常に重要なもので、彼がここに居られないことを残念に思います。

飯沢: 最初にソール・ライターについて私の方からお話して、そのあとはヴェルマールさんにバトンタッチして今回の展覧会の構成についてお話いただきます。彼女はソール・ライターについて非常にユニークな意見を持っていらっしゃるので、そのあたりについて詳しく聞いていこうと思います。

ソール・ライターは1923年にアメリカ・ペンシルバニア州のピッツバーグで生まれました。ユダヤ教のラビ、司祭の家の生まれで、幼いころは厳格なユダヤ教徒としての教育を受けるのですが、それを嫌って、20歳を過ぎたくらいにニューヨークに行きます。最初は画家として活動を始めますが、絵で暮らしていくのはなかなか難しく、写真の世界に入っていきます。最初に認められたのはファッション写真の世界でした。『ハーパーズ バザー』などのファッション雑誌に写真を発表するようになり、雑誌の表紙を何度も飾るような人気写真家として、時代を作っていきました。ニューヨークのイーストビレッジというダウンタウンに住み、その界隈のスナップショットを生涯かけて撮り続けます。最初はモノクローム、そのうちにカラーになっていくのですが、これは発表していたわけではなく彼のライフワークとして撮っていたものでした。1980年代になるとファッション写真の世界も変わっていって、自由に自分の気に入った写真を掲載できなくなり、彼はリタイアの道を選びます。商業用のスタジオを閉鎖して、そのあとは自宅で絵を描いたり、相変わらず自宅の周辺を撮影したりということをずっと続けて、表舞台にはほとんど姿を現さなくなっていきます。

ソール・ライターの名が世に知られていくようになるきっかけとして、2冊の写真集があげられます。1冊目がここにある『The New York School: Photographs, 1936-63』(1992年)。ジェーン・リビングストンという女性のキュレーターがまとめた写真集で、「ニューヨーク・スクール」と呼ばれる、30年代から60年代にかけてのニューヨークで活躍した写真家たちの作品が掲載されています。有名なロバート・フランクやウィリアム・クラインの写真はもちろんのこと、かなりページを取ってソール・ライターの写真を紹介しています。私がソール・ライターという名前を初めて意識したのがこの写真集です。

『The New York School: Photographs, 1936-63』(1992年)

同上の『ニューヨーク・スクール』に掲載されたソール・ライターの作品

それでも知る人ぞ知る写真家だったソール・ライターに光があたるのは2000年代になってからです。彼が80歳になってからということになります。そのきっかけを作ったのが『Early Color』(2006年)でした。シュタイデルというドイツを代表する写真集専門の出版社から出た、初期のカラー写真をまとめた写真集です。ゲルハルト・シュタイデルさんの慧眼というか目の良さが非常によくあらわれている写真集で、ソール・ライターの初期作品である、ニューヨークのダウンタウンを中心としたスナップショットの代表作をおさめています。画面の構成、優れた色彩感覚、それから切り取り方。ソール・ライターの個性があらわれている作品群が紹介されて、大きな反響を呼び起こします。この写真集がソール・ライターを全く知らない若い世代の人たちに注目されることで、彼が劇的な復活を遂げるわけです。

『Early Color』(2006年)

そのあとは世界各国でさまざまな展覧会が開催され、映画まで作られます。それが昨年公開された『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』(監督 トーマス・リーチ)です。ソール・ライターが日々どうやって暮らしていて、写真を撮っているのかがよくわかる映画で、彼の語る言葉ひとつひとつの重みが伝わってくる映画です。この映画が日本でもちょっとしたヒットになりまして、ソール・ライターの名前が少しずつ浸透していき、今回の展覧会につながるということになります。今回の展覧会についてはこれからヴェルマールさんにお話いただきたいと思います。



◆日本で展覧会が開催されるまで

ヴェルマール: 私がはじめてソール・ライターと会ったのは2008年です。パリのアンリ・カルティエ=ブレッソン財団のキュレーターだったころで、フランスで初めてのソール・ライターの個展を開催しました。フランスではソール・ライターはあまり知られていなかったのですが、2006年に出版された『Early Color』が評判になり、当時は徐々に名前が知られるようになっていました。ソール・ライター自身も出席したプレス向けの内覧会では、今まで見たことがないほどのたくさんのジャーナリストが取材に来ましたし、展覧会が始まると美術館のまわりには長蛇の列ができるほどでした。これほど反響があったのは、2005年に開催された"Henri Cartier-Bresson et Alberto Giacometti, A Likness of Vision"展以来です。少し前まで無名だったソール・ライターという写真家がそれだけ観衆を引きつけた。私が思うにカラーの写真が皆さんの感情をかき立てたのだと思います。……

飯沢さんとヴェルマールさん



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