特別講座「写真集を語り尽くす ―津田直さんの旅と写真」(ゲスト/写真家・津田直さん)

2017年3月4日に写真集食堂めぐたまにて開催された「写真集を語り尽くす」。連続講座「飯沢耕太郎と写真集を読む」の特別版として写真家をお招きしてご本人に自分の写真集について語り尽くしていただきます。

今回は、ゲストに写真家の津田直さんと、最新作の出版元の中島佑介さん(limArt主宰)をお迎えしました。2時間にわたるトークイベントの内容をたっぷりご紹介いたします。

【目次】



前半

◆カメラだけを持って逃げた

◆2からすべてを ―『近づく』(2005)

◆消えてしまった風景を追って ―『漕』(2007)

◆床があるということ ―『SMOKE LINE』(2008)

◆立っている位置 ―『Storm Last Night』(2010)



後半

◆風景から村へ、そして人へ ―3つのフィールドワーク

◆形のない世界を ―『SAMELAND』(2014)

◆旅の案内人 ―『NAGA』(2015)

◆白い光 ―『IHEYA・IZENA』(2016)

◆大きな何かを動かす、小さな石

前半の対談は無料でお読みいただけます。

メインテーマの『SAMELAND』(2014)、『NAGA』(2015)、『IHEYA・IZENA』(2016)の三部作についての対談は有料版となっております。

イベント後に沖縄の離島を撮った『IHEYA・IZENA』(2016)の写真集にちなんで沖縄料理の会を行いました。そのようすは写真集食堂めぐたまのサイトでレポートしていますので、こちらも合わせてご覧ください。

「写真集を語り尽くす vol.9 津田直さんの旅と写真」の沖縄ごはん



「飯沢耕太郎と写真集を読む」はほぼ毎月、写真集食堂めぐたまで開催されています。(これまでの講座の様子はこちら

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 (2017年3月4日開催・写真/文 館野 帆乃花)

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◆カメラだけを持って逃げた

飯沢: 今日は写真家の津田直さんと、津田さんの最新作『SAMELAND』(2014)、『NAGA』(2015)、『IHEYA・IZENA』(2016)の版元、limArtの中島佑介さんにお越し頂きました。中島さんは、恵比寿でPOSTという洋書専門店も経営されています。この三部作をメインに、津田さんのこれまでの写真集についてお話していきたいと思います。

今日のイベントに参加してくださった皆さんは津田さんのことをご存じの方が多いと思うのですが、あまり知らない方も居るかもしれないので、まずは簡単に自己紹介を。どんな人なのか、どんな感じで写真を始めたのかというのをちょっとだけ。

津田: 写真を始めたきっかけは17歳のときですね。僕は神戸出身で17歳というと、阪神・淡路大震災があった1995年になります。震災当時は一人暮らしをしていて、全壊率80%以上の最も死亡率の高かった東灘区というところに住んでいました。

地震が起きたときは寝ていたのですが、部屋の中がガラスまみれで、着る服もなく裸で部屋を飛び出したのを覚えています。でも、そのときにカメラだけは持って家を出たんです。カメラとフィルム。足は血だらけで、メガネもつぶれているような状態なのに、なぜかカメラだけ。生まれ育った神戸の町が崩れていくなかで、すぐにシャッターを切っていましたね。それはもしかすると写真の道を選ぶということが、考えるでもなく体から出た条件反射的なものだったのかもしれません。

津田直さん(左)と飯沢耕太郎さん(右)

飯沢: それ、本当に裸だったの?

津田: 寝ているときに服を着ていなかったんです。震災をきっかけにちゃんと服を着て寝るようにしました(笑)。1月ですから相当寒くて、震えながら裸で立っていたら誰かが毛布をくれて。

飯沢: なんてこった。赤ん坊が裸で生まれてきて、カメラを持っていたようなものでしょ。そういうときにカメラを持って出ることを促したのは無意識とか体の問題だけど、カメラを持っていたってことは、写真という表現メディアに対してすでに何か関心はあったのですか?

津田: 僕は10歳のときに学校をドロップアウトして、中学も高校も行ってないんです。学校に行っていないということは学校での自分の履歴も残っていかないし、今みたいにインターネットなんてないので、生きていても何も残らないわけです。自分を客観的に示す物が本当に何もなくて、そのなかで記録されていく写真の魅力というのは、すごいものでしたね。

飯沢: 写真は震災の前から結構撮っていたんでしょ?

津田: 15、16歳くらいは映像を撮っていました。祖父が使っていたシングル8という3分間だけ撮れるカメラを友達と一緒に直して、映像を撮り始めたのが15歳くらいです。カメラがあれば、自分たちが何も発言できなくても、社会の谷間みたいなところにいたとしても、この場所はあるということを示すことができる。マーキングみたいなものですね。今は写真家として写真集を作ったり展覧会をしたり、要するにアウトプットしますけど、当時は撮ることしかできなかったっていう状態かな。あとはフィールドレコーディングをよくやっていました。

飯沢: フィールドレコーディング?

津田: 出かけるときに120分のカセットテープをベルトにぶら下げて、録音したままの状態で歩くんです。それで何をしていたかというと、一人暮らしをしている部屋に戻って、寝る前に音楽を聴くのではなくて、録音したその日の音をただ120分かけっぱなしにしていました。当然音だけだから、車の近くを歩いていればもちろんその雑音だし、自転車が横切れば風の音で、ほとんどのものはノイズです。それを聞きながら自分が見た場所をもう一回思い出せるかどうか、何が自分のなかに残っていくのかっていうのを知りたくて、テープの音だけで映像的なことを考えるということをやっていました。テープは録音したらまた消して反対を使います。一本のテープを何度も使っているので今その録音されたものは残っていません。

飯沢: それは訓練? それとも訓練という意識はない?

津田: そこまでは。ただ録音した音を聞くのは一回だけと決めていたので、一回だけ聞いて、少し過去、過去というかさっきの出来事をもう一度だけ振り返ってみることに興味があったんだと思います。それは15歳くらいで、中学でいうと2・3年生くらいのときにやっていました。

飯沢: 視覚と聴覚の両方でもう一回再現してみる。そして震災をきっかけにして、今度は写真へと。

津田: そうですね。当時は音楽をやっていたのですが、音楽を捨てて写真をやろうと思って、楽器を全部売って引き延ばし機を買いました。



◆2からすべてを ―『近づく』(2005)

飯沢: そして、大学に行ったんですよね。ここから最初の写真集『近づく』(2005)の話をしましょうか。

津田: 大学のときはお金が全然なかったので、カメラにフィルムが入っていない状態で撮影をして、ときどきフィルムを入れて撮っていました。

飯沢: シャッターは押すの?

津田: シャッターは年間通してずっと切っていたのですが、フィルムが入っている日が本当に少なくて(笑)。

飯沢: 「空うち」ってやつだね。

津田: 学生時代は「空うち」が8割でしたね。2割くらいフィルムが入れられるって状態の毎日だった。〈近づく〉っていうのはシリーズのタイトルで各作品のタイトルは全部日付になっています。フィルムが入っていた日が残っていくというシリーズをまとめたのがこの本です。

『近づく』(2005)

飯沢: これは日本各地の風景を撮った写真集と言っていいのでしょうか?

津田: 地図に載っていない日本を見せたいと思って、日本地図のなかであいまいに書かれている場所を巡りました。“あいまい”というのは地図の更新が遅い場所。例えば、火山地帯だとガスが充満しているから、人が入る回数は年間を通して少ないわけですね。そうすると国も手間がかかるから調査をしない。殺生河原とか、そういうところって地名は付いていてもガスが充満しているから人も動物ももちろんいない。

飯沢: 2枚組の写真というのが印象的ですよね。

津田: 10代で映像を撮っていたときの癖が抜けなくて。2つの時間を使って1つの場所をみたい、写真をしたいんだけど時間は止めないでおきたいというのがあって。矛盾した考えなんですけどね。

飯沢: これは映像の名残かあ。時間も入れ込みたいという、その産物というか結果として2枚組になったってことなんだね。

津田: 震災のときに目をケガして、人間は2つの目を持っているってことを強く意識するようになったんです。2つの目に見えているものは少しずれていると思っていたので、一枚でシャッターを切ることが本当にできなくて。大学の授業で「写真は一枚で語れ」と言われて、結構辛かったですね。大学の教授ともケンカをしていました。当時のノートを見ると「2からすべてを」と書いていて、『近づく』では、1という単位は自分の中にはないという思いが強い意志になっていたように思います。



◆消えてしまった風景を追って ―『漕』(2007)

飯沢: でも、『漕』(2007)では単作品になっているよね?

津田: 『漕』は、僕がはじめて一枚でつくれた作品です。正直なところ、単作品でやるしか方法がなかったんです。このシリーズは華道家の家元から日本家屋で展示をやらないかとオファーを受けて始まったのですが、実際に訪れたときに、床の間の非常に踏み込みにくい空間、そこが気に入った。でも、床の間に写真を飾るとなると単数しか入れられないと思ったんです。あとは6畳間と8畳間をつなぐ障子に、大きな写真を印刷した障子紙一枚を張り込みました。ただ、単作品にすることで時間をつなぎとめることができないという問題が出てくるので、それ以降はスローシャッターを取り入れるようになりました。

『漕』(2007)

飯沢: 確かに少しブレている写真があるね。このときに日本家屋で展示した作品は船が一つのテーマになっています。琵琶湖を走っていた丸子船という船ですよね。

津田: かつて、琵琶湖は日本海から京都の方に物資を運ぶ交易ルートだったので、最盛期には17mもある船が1400隻くらい行き来している状態だったんです。それが文明と共に電車と車に変わっていって船は使われなくなってしまった。僕はただ交通網が消えただけではなくて、船景が消えてしまったんだと思って、丸子船の高さから見ていた風景を撮りたいと。そういうところからアイディアが出ています。

飯沢: 面白い写真集です。アーティストブックというべきなのか、写真だけでなく、非常にレベルの高い現代詩的な文章も入っているし、最後の所は手書きの字がでてくる。

津田: 元々音楽をやっていたこともあって、この展覧会のときにはライブをやったんです。琵琶湖を何回も旅するなかで、暇な時間もあるので楽器を車に積んで湖で音を鳴らしていたのですが、それを元にライブをやろうという話に発展してしまって。『漕』に入っている手書きの字は、ライブのときに演奏をしながら書いたものです。

飯沢: ちなみに楽器は何?

津田: メロディオンというピアニカのような楽器です。それを即興で吹きながら、僕が休んでいるパートに字を書きました。

飯沢: 何とも言いようのない字なんだこれが。

津田: 祖父は「書く」ということにおいて厳しい人だった。だから気持ちを込めて向き合わないといけないものの一つだと思っています。普段ばーっと書く字とは違う字の領域があって、大いなる決意がなければ書くべきではない字があると思いますね。



◆床があるということ ―『SMOKE LINE』(2008)

飯沢: 続いて、津田直さんの代表作とも言える、『SMOKE LINE』(2008)の仕事になります。

津田: やはり2枚組に戻りました。

飯沢: 2枚組には固執があるんだね。

『SMOKE LINE』(2008)

津田: 「SMOKE LINE」は僕が作った言葉で、風と暮らしている“風の民”と呼びたいと思える人たちのエリアを旅しました。モロッコと中国、モンゴルの3つの国の少数民族のもとを訪ねて、風という色も形もない世界を写真に残したいと思ったんです。

このシリーズは撮り始めたときから一人の人がゆったりと寝転がれる程度の広さに一組の写真だけがぽつんとあるような空間のイメージがあったので、作品も写真集も大きいものにしたんです。とは言うものの、大きいプリントの展覧会なんてどこもやってくれないだろうと思っていました。3年くらい旅をしていてお金もなくなって、どうしようかなってときに資生堂ギャラリーから声が掛かった。

飯沢: めぐり合わせってあるんだね。

津田: 撮り続けていたものが幸いにして写真集になり、展覧会もさせてもらって、自分が思い描いていたものが形に成っていった年でしたね。

飯沢: このシリーズは衝撃的でした。そのあとで津田さんは2010年の芸術選奨新人賞をとるんだけど、私はそのときの審査員をやっていてさ。今だから言うんだけど、審査員の人たちは津田さんのことを知らなかったんです。

誰も知らなかったもんだから、審査員の人たちに『SMOKE LINE』を見せた。審査員には写真畑ではない、油絵の人とか、現代美術の人もいたんだけど、見ているうちにしーんとしはじめて、彼らの顔色が変わったのがすごく面白かったですね。それでもほかに有力候補はいたし、まさか賞をとるとは思わなかったんだけど、みんなが引っ張られていった。この写真がこの大きさの本で出てきたことが物を見る目を変えていく力になっていて、写真集はそういう力を持つことができるんだと確信した、私にとっても感慨深い一冊ですね。

津田: 僕が2枚の写真でやりたかった世界が一番心地よく出ているシリーズでした。でも賞をとるとは全く思っていなかったですね。

飯沢: さっき展示と写真集の話をしましたよね。それをもうちょっと詳しく聞きたいんだけど、展覧会で作品を見せるときと、写真集という本の形で見せるときで、意識はかなり違う? 例えばこの<SMOKE LINE>というシリーズの原型があるとして、それを写真集のかたちに落とし込むときと、展示に落とし込むときに一番考えていることは?

津田: 作品とそれを見る人を人間同士の関係性に例えると、相手の顔が正面に見えていて、向こうもこっちに向かって歩いている、こっちも相手に向かって近づいていこうとしている状態が写真集ですね。要するに自分の予測どおりの速度で相手と対面できるもの。一方で、展覧会は場合によっては後ろからいきなり襲われるような出会い方をしてしまう。

飯沢: いきなり襲われる……。

津田: 気が付いたら後ろから抱きしめられていて、身動きが取れなくなるような感じですかね。今まで何度も僕の展覧会で固まってしまっている人を見たことがあって、どうしたんだろう? 動けないのかな? と思って前を通ってみても全然気にしていなくて、完全にホールドされているんです。それは床があるからだと思っていて、展覧会は床にまで力が及んでしまう。

飯沢: なかなか展覧会の会場で床を意識しないけど、壁面に対面しているってことは、床があってそこに立って見ているということだもんね。

津田: なので、僕にとっては展覧会っていうのは床があるってことなんです。資生堂ギャラリーの展覧会では、真っ白いギャラリーの壁に3.8mの高さまでグレーの色を敷いてしまうってことと、あそこは地下のギャラリーに下りていくときに上から展示空間が見渡せてしまうので、天井にネットを張って見えないようにして、テントのようにすることで室内を風の民の部屋に見立てました。入り口にはカーテンをかけて、中に入る人はカーテンを自分でめくらないといけない、つまり小さな風をおこさないと展示室に入れない状態を作りたかったんです。壁をグレーにしたのは、写真の色だけを見てもらうためで、壁に対する床への意識を高めるためです。

飯沢: 展覧会の会場って普通は四角くて白い部屋で、言って見ればただの部屋。津田さんはそこを“展示空間”に変容させるということに関して、ものすごく気を遣っていますよね。

資生堂ギャラリーで開催した「SMOKE LINE」の展覧会カタログ



◆立っている位置 ―『Storm Last Night』(2010)

飯沢: それでは、アイルランドを撮った『Storm Last Night』(2010)の話を少しして、メインテーマの三部作にいきましょう。パノラマ写真にしたのはどういった経緯ですか?

津田: 『SMOKE LINE』は6×7のフィルムで2枚撮っているので、合わせると6×14の画面でした。でも、アイルランドは6×7のフィルムでは撮れないというのが、行く前から感覚的に分かっていたんです。言葉ではうまく説明できないのですが。それで、このシリーズをやるなら車一台買うくらいの気持ちで挑もうと思って発注して作ってもらったんです。今まででパノラマカメラで制作したシリーズはこれだけなので、今のところこのシリーズのためだけのカメラです。

『Storm Last Night』(2010)

飯沢: パノラマ写真の写真集って、普通は右とじにして、見開きで大きく載せることが多いけど、この本は上を綴じていて、珍しい見せ方だよね。

津田: 本の形にするときに一番悩んだところで、この発想はブータン王国に滞在していたときに僧侶達が持っている教典を見たことがきっかけになっています。ブータンの僧侶たちは細く横に長い、綴じられていない紙を持っていて、お経を読むときは紙をめくって横に置いていくのではなく、読んだ紙を自分の正面に置いていくんです。まるで、言葉を前に送り出していくようでした。教典は常に自分の体の正面にあり、横長のフォーマットに対して真ん中に自分の目があるわけです。右とじでパノラマ写真を見せたときに、右にめくっていくと体の中心はどうしても左側に寄ってしまいますよね。それだと僕が立っている位置に立てないなと思って、この作りにしました。

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