特別講座「写真集を語り尽くす ―70年代と写真の青春時代・『70’ HARAJUKU』」

2017年5月13日に写真集食堂めぐたまにて開催された「飯沢耕太郎と写真集を語り尽くす」連続講座「飯沢耕太郎と写真集を読む」の特別版として写真家をお招きしてご本人に自分の写真集について語り尽くしていただきます。

今回は、スタイリストの中村のんさんが企画した写真集『70’ HARAJUKU』(小学館)について

ゲストは中村のんさんと、『70’ HARAJUKU』に写真を寄せている横木安良夫さん、伝説のバンド、はっぴいえんどの写真でも知られるマイク野上さん。そして、この写真集のアートディレクターを務められた白谷敏夫さんをお迎えしました。

若きカメラマンやクリエイター、モデル達が集った、原宿の喫茶店レオンの幻のレオン・ブレンドのコーヒーを飲みながら、ゲストのみなさんと語り合いました。2時間にわたるトークイベントの内容をたっぷり紹介いたします。



【目次】



◆かつて、レオンに集った仲間とともに

◆激動の70年代、原宿

◆写真の青春時代

◆少女たちの強いまなざし

◆セントラルアパートの写真家

記事は有料版となっておりますが、冒頭のみ無料でお読みいただけます。

イベントのあとはゲストのみなさんを囲んで「70年代ご飯の会」を開き、チキンバスケットやスパゲティミートソースなど、誰もが心躍るディナーをご用意しました。

そのようすは、写真集食堂めぐたまのサイトでレポートしていますので、こちらも合わせてご覧ください。

70年代ご飯の会レポート



「飯沢耕太郎と写真集を読む」はほぼ毎月、写真集食堂めぐたまで開催されています。(これまでの講座の様子はこちら

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 (2017年5月13日開催・写真/文 館野 帆乃花)

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◆かつて、レオンに集った仲間とともに

飯沢: 今回は小学館から出ている写真集『70’ HARAJUKU』について、この本に関わったみなさんをゲストにお迎えしてお話していきたいと思います。『70’ HARAJUKU』は1970年代の大きく変貌しつつあった原宿周辺を、若者たちの風俗とともに撮影したスナップ写真をまとめた写真集です。原宿のセントラルアパートにはデザイン会社や写真家の事務所が多く、1階にあった喫茶店レオンは若きクリエイターやモデルたちの溜まり場でした。

ゲストはこの本の企画をされたスタイリストの中村のんさんと、『70’ HARAJUKU』に写真を寄せているマイク野上さんと横木安良夫さん。そして、この写真集のアートディレクターを務めた白谷敏夫さんという豪華なメンバーです。現在の文化状況の原点ともいえる70年代の原宿で青春時代を過ごしたみなさんには、当時の原宿の様子や影響を受けた写真集などをお聞きしながら『70’ HARAJUKU』をひもといていきたいと思います。

『70’ HARAJUKU』
原宿の表玄関「レオン」周辺。/1972/Mike Nogami

「レオン」前。/1972/Goro Some

今日は版元の小学館から編集者の尾崎靖さん、印刷を担当された凸版印刷株式会社のプリンティング・ディレクター、野口啓一さんもいらしています。アメリカの写真家ユージン・スミスがセントラルアパートに滞在していた際にアシスタントをされていた、石川武志さんもいらっしゃるので、ユージン・スミスのエピソードも聞いていきたいですね。まずは中村さんに『70’ HARAJUKU』について簡単にご紹介いただきたいと思います。

中村: 今日はたくさんの方にお越しいただき、本当にありがとうございます。本職はスタイリストでして、当時は私の師匠のヤッコさん(高橋靖子さん)に連れられて喫茶店のレオンによく通っていました。初めて原宿に行ったのは14歳の時ですね。14歳から23歳までの多感な時期を毎日のように原宿で過ごしていました。

そんな私を育ててくれた原宿の、あの頃の風景をまた見たい、という思いで2014年に70年代の原宿を集めて写真展を行ったのがこの写真集のきっかけです。展覧会を見てくださった方々から、本にしてほしいという声を多くいただきまして、2015年にこの写真集が小学館の尾崎さんのおかげでまとまりました。横木さんや野上さんを含め、当時の原宿にゆかりのある9人のカメラマンによる、原宿の70年代を写した写真集です。

左から、白谷さん・横木さん・中村さん・野上さん

飯沢: そして、『70’ HARAJUKU』のデザインを担当したのが白谷敏夫さんです。

白谷: こんにちは。白谷です。この頃はHALLO HALOというファッションの広告をやっている会社にいて、オフィスがセントラルアパートにあったので、下のレオンでみんなといつも遊んでいました。その頃つるんでいた人たちは今ではあらゆる分野の巨匠ばかりです。のんちゃん(中村のんさん)の最初の写真展は見た時に「これはヤバいな」と。自分がその場にいたからということだけでなくて、写真家の情熱がすごく伝わってきて。小学館の尾崎さんも展示を見ていて、「これを本で残したらいいんじゃないか」という話になりました。今では大御所の写真家たちが、ギャラと関係なく、全員が楽しんで協力してくれたおかげでできた心地よい仕事でした。

飯沢: そしてこの写真集に写真を寄せたカメラマンがマイク野上さんと横木安良夫さんです。

野上: 野上です。今日はよろしくお願いします。その当時は鋤田正義さんのアシスタントをしていました。鋤田さんの事務所がセントラルアパートの702号室にあったので原宿には毎日通っていましたね。それが1971年〜1972年の夏の一年半くらいです。1972年にアシスタントを辞めてフリーになり、1974年にアメリカに渡りましたので。

飯沢: セントラルアパートにはカメラマンがたくさんいて、鋤田正義さん、浅井慎平さん、繰上和美さん、ほかにもユージン・スミスさんが日本に滞在していた時にセントラルアパートを使っていました。セントラルアパートについてはこれからじっくり聞いていきましょう。

横木: 横木です。70年代前半、ちょうど野上さんが鋤田さんのアシスタントをしていた頃、僕は篠山紀信さんのところでアシスタントをしていました。1975年にフリーになってからは青山に移りましたが、その頃も原宿に行ってよく写真を撮っていました。

飯沢: こういうイベントをすると私が最年長になることが多いですが、今日は最年少なので少し安心しています(笑)。私は1973年に上京して、その頃は大学に入ったばかりだったので70年代の原宿は実はよくわからないんです。レオンは知っていましたが、入ったことはありませんでした。仙台の田舎から来た学生にとっては近寄り難かった印象があります。地方から東京に来た方にはわかってもらえると思いますが、尖った人たちがたくさんいるような雰囲気で怖かったという感じです。ということで、写真集の話に入っていく前にまずは70年代の原宿の変遷を中村さんにお聞きしたいと思います。



◆激動の70年代、原宿

中村: 一言では言えないですが、原宿のファッション化の流れと、どう観光地化していったかを簡単にお話したいと思います。私が14歳で原宿デビューした1970年はMILKや菊池武夫さんのBIGIが原宿にでき、1971年にゴローズができたのがファッション化の最初で、その前はとても静かなお屋敷町でした。私が行き始めた頃に雑誌『anan』などで取り上げられるようになったくらいですね。

それが70年代の終わりには毎週行くたびにお店が増えていて。1978年に東京中央教会がなくなってラフォーレができたので、70年代の終わりには完璧にファッションの町、若い子の町になっています。DCブランドブームがあって、80年代は爆発的に人が増えます。70年代は東京近郊の人しか集まって来なかったのですが、80年代になると土日は特に地方からたくさん人が来るようになります。キャットストリートにクリームソーダというお店ができて、レジが止まらないくらい人気でした。修学旅行のバスは必ずキャットストリートの入り口に停まって、男の子たちはみんなクリームソーダの服を買いに並ぶような感じで。80年代にはすっかり人気の街になって、不動産屋が進出してきたので、地代がどんどん上がっていきました。個人で面白いお店をやっていた人たちが家賃を払えなくなって、中目黒や代官山の方に散らばっていった。カメラマンの事務所もそうですよね。セントラルアパートも家賃が高くなっていって、代官山とかに移る事務所が多かったです。

「MILK」「セントラルアパート」1階のアイドルご用達ブランド。/1975/Goro Some
「レオン」によくいた女の子。/1975/Alao Yokogi

78年に「ラフォーレ原宿」が建つ前、ここには教会が。/1972/Mike Nogami

野上: 僕らが原宿にいた頃は地下鉄はなかったですよね。70年代の初めは人も全然いないし、観光地ではなかったので、歩いている人の数は今の100分の1くらいでした。

横木: 70年代の頭は表参道から原宿にかけて、道でスケートボードをやっていたよね。よく練習した記憶があります。

白谷: 僕は70年代の初めの頃は表参道をスケートボードに乗ってセントラルアパートまで出勤していました。お巡りがスケートボードをみて「これは何だ」って。最初のうちは警官も笑って見ていたけど、そのうち禁止されてしまって。セントラルアパートの中庭で練習するようになったのですが、そのあとに代々木公園のあたりにタケノコ族が出てくるようになってからは、歩行者天国になったので、缶コーラを置いて道路で遊んでいました。

中村: 今は表参道ヒルズや神宮前の交差点が平日でも昼間でもすごい人じゃない。でも、この当時は誰も歩いていなくて、スケボーで坂を降りられるくらい人がいなかったってことなんです。

神宮前交差点「セントラルアパート」角。/1972/Mike Nogami



◆写真の青春時代

飯沢: 今話していただいたような、激動の原宿が『70’ HARAJUKU』に収められているのですが、この写真集を見ながら今日のイベントのタイトルを考えていた時、ふと“写真の青春時代”というタイトルが思いつきました。というのも、私は日本の写真史が専門ですが、1960年代の後半から1970年代の半ばっていうのは、日本の写真が大きく変わった時代なんですね。代表的なのは、1968年に始まった『PROVOKE(プロヴォーク)』という同人誌。最初は中平卓馬さん、高梨豊さん、美術評論家でご自身も写真をやっていた多木浩二さん、詩人の岡田隆彦さんの4人で始まって、2号から森山大道さんが入り、たった3号で終わってしまった伝説的な同人誌です。

他方では、篠山紀信さんや浅井慎平さんがコマーシャルの分野から表現の世界へと活動を始めて、さらには当時電通のカメラマンだった荒木経惟さんが『センチメンタルな旅』で1971年に実質的なデビューをする。そんな、目まぐるしく写真の世界が大きく変わった時代。『70’ HARAJUKU』はそんな時代に駆け出しのカメラマンだったみなさんの写真が載っているわけで、当時の熱気が一枚一枚の写真に入り込んでいるような気がするんです。野上さんは細野晴臣さんの同級生で、「はっぴいえんど」のメンバーを学生時代から撮っているので、当時の音楽シーンの変化も肌で感じていたと思いますが、写真や音楽の状況についてどんなふうに感じられていましたか?

野上: 今も好きですけど、当時一番好きだったのは森山大道さんで、よく真似して写真撮っていましたね。



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