誰もが通る壁 ―ホームシック― ハーバード留学記Vol7 山口真由

 サマースクールが終わるころ、私はホームシックに陥った。留学に行った人ならば、誰でもこのホームシックを経験していることだろう。ハーバードに入学する前に、私はすでに諦めて日本に帰りたくなってしまった。人生には多くの受難がある。しかし、アメリカでの留学経験は、私にとっては最大級の受難だった。

今日は、カルチャーショックの3種類と、私が受けたカルチャーショックの経験を書いてみたいと思う。(写真は、ホームシックの時に送ってもらって、日本に帰りたくて思わず泣いてしまった日本食ね。)



1. カルチャーショックには3つの種類がある!

私を襲ったカルチャーショック、ひとくちに「カルチャーショック」といっても、これには3つの種類があると言われている。「能力喪失ショック」「同一性喪失ショック」「理解喪失ショック」である。

「能力喪失ショック」というのは、言葉がうまく話せなかったり、働くときのカルチャーが違ったり、そういう理由で日本にいた時と同じように仕事をしたり、勉強をしたり、誰かと話したりできないというショックを指す。たとえば、日本で有能で自信あふれる人だったのに、アメリカでまごまごして不器用で自信のない人になっちゃうみたいな。

「同一性喪失ショック」というのは、一応、アメリカで適切とされる振る舞いはできるようになったけど、自分の本来の性格とかけ離れていて、自己喪失をしてしまうようなショックである。たとえば、会議中でも授業中でも、発言しろ、貢献しろって言われるから、積極的に発言をするようにしたけど、人の話を最後まで聞かずに割って入らなきゃ話せない時もあったりする。やってはみるけど、こんなアグレッシブな人は、本来の私じゃない!!!みたいな。

「理解喪失ショック」というのは、周囲が何も変える必要がないのに、自分だけが慣れない環境への適応を強いられるショックである。たとえば、何も言わなくても周囲が気遣ってくれるっていう日本の文化は優れている。それなのに、なぜ、私だけがその習慣を捨てて、すべて言葉に出さなくてはいけない文化に適応しなきゃいけないの?まわりも変わるべきじゃない?…みたいな。

 このショックが複数襲ってくると、かなりつらい状態になるらしい。とにかく、私の場合、サマースクールが終わるころ、極度の「能力喪失ショック」に苦しめられて、欝々とした週末を過ごした。



2. 突然、襲ってきたホームシックの波

 渡米したばかりのころは、とにかく慣れることに一生懸命で、心が風邪をひいている時間すらない。そうこうしているうちに4週間が経ち、サマースクールを終えるころには、生活のセットアップは終わっている。そして一段落着いたところで、恐ろしいほどのホームシックが私を襲った。

 最大の難関は、なんといってもやはり「英語」。サマースクールの同じクラスに日本人の子が私しかいなくて、常に英語を話さなくてはいけない状況だった。日本語を話すとき、「考えること」と「話すこと」の間に、私はなんのギャップもなかった。どんな複雑なことを考えても、その複雑な内容をそのまま自分の言葉として表現することができた。それが英語だと勝手が全く異なる。私の「考えること」は日本にいたときと同じ。けれども、「話すこと」は、全く前と同じようにはいかない。複雑なことを考えても、それをそのまま表現することができずに、すごく単純で稚拙な表現をしなきゃいけなかったり、そもそも、話すことをあきらめたり…そんなことばかりが続いた。

 Writingはまだしも、私のSpeakingは全然聞き取ってもらえない。サマースクールでは、本当に何度も何度も聞き返された。聞き取れない時のネイティブの顔というのは、今でも悪夢に出てくる。眉根と眉根の間を寄せて”Sorry?”と言う。この“Sorry?”を二回繰り返されると、もともとさほど強靭ではない私の心はたちどころに折れてしまう。“Sorry?”というあの表情から、ネイティブのほうがイライラ感が伝わってくる。そして、相手をイライラさせてしまっていることで、こっちはどんどん焦って、滑舌が悪くなるという、この悪循環。

 アメリカ人というのは、往々にして英語を話せない人に対して、とても冷たい。アメリカナイズされた人々にとっては、英語が話せないというのは、受け付けがたいことなのである。(私の個人的な経験であるが、イギリス人の方が、英語を話せない人に対して優しい気がする。)テーブルの上で進行している会話は、当然、すごいスピードで展開されている。99%聞き取れない会話をニコニコ笑いながら聞き流せることが、語学上達の秘訣らしい。そんなこと、私には全くできなかった。



3. 「沈黙は金」なのだろうか? 

「沈黙は金」と言われる日本。アメリカではそんなことは全くないと話には聞いていたが、ここに来て、それが事実であることが痛いほどよくわかった。

 財務省に勤めて二年、辞めることを決意した私は、お世話になった上司をまわってご挨拶をした。二年という短い期間で財務省を去る私は、とても肩身が狭い。とにかく、決意を話してなんといって怒られるのかとびくびくしながら、コメントを待つ感じである。ところが、ある上司は、とにかく待てども待てども話し出さない。とにかく黙ってじーっと私を見たまま。

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