英語ができないと仲間はずれ? ―避けては通れない留学の難関― ハーバード留学記Vol.8 山口真由

 



 さて、今日は留学で誰もが通る関門。英語ができないことによるみじめな経験を書いてみたい。留学は楽しかったし、クラスメイトはだいたいいい人だった。だけれど、いやなことが全くなかったわけではないではないのである。当然のことだろう。文化も違う上に、言葉も話すことができない、そういう空間に住むことになって、嫌な思いをしないほうがおかしいだろう。

 だけれど、こういう悲しい思いをきっかけにして、日本にいた時には気づけなかったことに気づけるようになる。それが留学のいいところなのではないかと思うのだ。日本にいた時、人の優しさについて考えたことは、実はあまりなかった。そんなことを考える機会すらなかったのだ。アメリカに行って、英語を十分に話せない中でいろいろ悲しい思いをして、そのときに、世の中の多くの人は、他人が傷ついても気づかないものだなと知った。しかし、ときには他人の痛みに気づく人がいる。そういう人を見ると、この人は優しいなと思えるようになる。

 自分が傷ついた時には驚くほど敏感である人が、他人を傷つけた時には驚くほど鈍感である。これは決して否定できない事実である。そして、この事実を受け入れて人が進化していくとしたら、二つの方向性しかないだろう。

a) 鈍感力を上げていく。自分の傷にすら鈍感になれるように頑張る。

b) センシティビティを上げていく。人の傷に敏感になれるように頑張る。

aは自分が傷つかないように守るための賢い戦術である。逆に、bの場合、センシティビティを高いまま保つとなると、他人の傷に敏感になると同時に、自分の傷を無視できなくなる。自分の心が傷つくことからプロテクトできなくなってしまう。しかし、それでも、センシティビティを高く保とうとする人だけが、優しい人になれるのではないか、私はそう思うのである。

 

1. レストランでの仲間はずれ

 ハーバードのオリエンテーションがはじまったばかりのある日、私はレストランでサマースクールのときの友達とお茶をしていた。

 気持ちのいい天気だったので、レストランのテラス席でお茶をしていると、ハーバードのクラスメイトの女の子たち7、8人が連れ立って同じレストランの店内入っていくのが見えた。彼女たちも、こちらに気づいて声をかけてくれた。

 一緒にお茶を飲んでいたサマースクールのお友達は、少し離れた場所に住んでいる。彼女は早めに帰るといったが、私はもうちょっと誰かと話していたい気分だった。そこで、レストランの中で、先ほど会ったクラスメイトの女の子達の席に合流させてもらおうと思った。そこで、室内に移動して、彼女たちに、声をかけたのである。「友達が帰っちゃったの。私も混ざっていい?」と。

その中の一人、アジア人なんだけれども留学経験があって英語がぺらぺらという女の子が、私にこう答えた。「席がないの。ごめんね。」

取り付く島もないとは、まさにこの返答である。

横の二人の女の子と達が、「お店の人に言って、椅子を持ってきてもらったら?場所はあるんだから、椅子さえあれば座れるわよ」ととりなしてくれる。しかしながら、そのアジア人の女の子は、「席がないから」と繰り返すばかり。

 いたたまれなくなった私は、「そっか。じゃあ仕方ないね。また明日ね」と言って、レストランを出た。

 家までの帰り道で、私は、なんか泣けてきてしまった。

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