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ドイツの故コール首相は大男だった。そのせいか、いつもゆったりとした動きに見え、意地の悪いマスコミの中には「大男、総身に知恵がまわりかね」などと皮肉る向きもあった。そんなコール首相だったが、東西ドイツの統一を巡る動きは素早かった・・・
続きに掲載されている本記事の見出し
・一年で統合の条件を整える
・電光石火の吸収合併策
・アメリカ、欧州諸国、旧ソ連にも手を打つ
・ステーツマンを生み続けた戦後ドイツ
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嶌信彦「虫の目、鳥の目、歴史の目」
画像:wikimedia commons 1989年12月22日、ブランデンブルク門が開放された日のコール(中央左)と東ドイツ閣僚評議会議長ハンス・モドロウ(左端)、西ベルリン市長ヴァルター・モンパー(中央右)