飯塚玲児の『郷土の味 逍遥』~たいしたもんだよ宵越しほうとう(山梨県国中地方)



「たいしたもんだよ宵越しほうとう」(山梨県国中地方)

 池波正太郎の藤枝梅安シリーズ『殺しの四人』に、東海道を行く梅安が相棒の彦次郎に「彦さん。この先の芋川のうどんは、ちょいとうまいのだよ」というくだりがある。井原西鶴の『好色一代男』にも「芋川といふ里に若松昔の馴染ありて、住みあらしたる笹葺をつゞりて、所の名物とて、平饂飩を手馴れて、往來の駒留めて、袖打拂ふ雪かと見ればなどとうたひ懸けて、火を燒く片手にも、音じめの糸をはなさず、浮々とおとろひ」と描かれている。この「芋川」とはどこか。どうやら、現在の愛知県刈谷市今川であるらしい。

実は、愛知は我がふるさとである。子供のころからきしめんに親しみ、幅広麺のことを「ひもかわうどん」と呼ぶことは後に知った。この「ひもかわ」は、件の「いもかわ」が訛ったもの、というのが一般的な説だという。

 ところがこの「ひもかわうどん」を名物とする地は、ほかにもいくつかある。有名なのが甲州のほうとうだ。ほうとうの起源にも、武田信玄が陣中食として用いたのが始まりとか、眉唾ものも含めて諸説ある。だが、奈良時代の漢字辞書には「餺飥(はくたく)」として登場しているそうである。これが「はうたう」となって「ほうとう」になったというのが、一般的な説になっている。

 さて、僕が本場のほうとうを初めて味わったのは20年ほど前のこと。甲府あたりの有名店ではなく、石和温泉の郷土料理店だった。店主は「今では肉を入れたものも多いけど、あえて昔ながらの、野菜だけの素朴なほうとうを出している」と胸を張っていた。取材に同行してくれた町の観光課長は「僕らの子供のころは、毎日最低一食はほうとうでしたわ」と照れくさそうに話した。米があまりできない土地柄、米の飯はご馳走だったという。

ほうとうに欠かせないのは、何をおいてもカボチャである。もしカボチャが入っていなければ、“特徴”のある煮込みうどんでしかない。しかし、その特徴こそ、ほうとうならではのもの。すなわち、打った麺を下茹でせずに、生のまま味噌汁に投入して煮込む。

粉がついたままの生麺をたくさんの野菜とともに煮込むから、煮込むほどにカボチャや里芋、ジャガイモの類は煮溶け、麺も、麺に着いていた粉も溶けて味噌汁は煮詰まり、ドロドロになる。鍋底に残った汁は、翌朝にはアルマイトの玉杓子でこそげたらお玉の柄が曲がってしまうほどに、固まってしまう。

 だが、この郷土料理の醍醐味を堪能するには、ここからが大事なのだ。すなわち、固まった前日の残り汁を、翌朝にゴリリと剥がすようにお玉でこそげ取り、炊き立てのご飯の上に適量載せる。すると、ネトネトに固まっていた粘土状の汁が熱で溶け、アツアツのご飯にジワリと滲みこんでいく。こやつをハフハフと豪快にかきこむのである。

固まった汁は、野菜と味噌の旨みが濃縮されている。煮詰まった地味噌の塩味、かすかな醸造香と野菜の甘さが、炊き立て飯の味わいを引き立てる。さっそくこの美味を自宅で試してみた時は、ほかにおかずもないのに、飯を三杯もお代わりした。焼き海苔で巻いて食べても旨い。地元っ子はこれを味わうためにわざと汁を少し残しておく、とも聞いた。

宵越しほうとうの残り汁は、出来立てよりもむしろ旨い。だからこそ、ほうとうは郷土料理なのだ。残り汁にさえも、かほどに劇的にうまい食べ方が伝わっている。そこに、この地に生活してきた人々の息遣いや知恵、そして親しみや思い入れが感じられるからだ。