飯塚玲児の『郷土の味 逍遥』~「琵琶湖の畔の“魔味”——鮒鮓」(滋賀県内各地)

「琵琶湖の畔の“魔味”——鮒鮓」(滋賀県内各地)

とかく珍味と呼ばれるものは好き嫌いがはっきりと分かれるものだが、琵琶湖畔の名物である鮒鮓も、その代表格の一つだろう。

鮒鮓とよく対比されるものに、伊豆七島、特に新島の名物であるくさやの干物がある。くさやにしろ、鮒鮓にしろ、どちらも独特の香りがある。いや、香りというよりはむしろ匂い、さらに言ってしまえば“臭気”と呼んでもいい。はっきり言えば“臭い”のだ。

ところが、この“臭さ”こそが、両者の珍味としての地位を確立せしめているのだとも言える。天下の珍味を臭い臭いと言うと叱られそうだが、この強烈な匂いは、好きな人にとってはたまらなく芳しいものでもある。

この匂いが、熟成された身の味わいと合体したときにこそ、これらが“魔性の味覚”としての底力を発揮する。臭くないくさやなんて面白くも何ともないし、匂いがしない鮒鮓なんて、気の抜けたビールのようなものだ。

鮒鮓はご存知の通り、琵琶湖で獲れるニゴロブナを材料にした“なれずし”である。以前もこのメルマガに登場した滋賀県五個荘町(現・東近江市)の観光担当者は、鮒寿司でも鮒鮨でもなく「鮒鮓」である、というのが持論で、「乳酸醗酵して作るんやから、酸っぱいんや。江戸前の早寿司とは全然違うものなんや。だから酢と同じ“つくり”でなければあかんのや」と熱く語っていた。今では地元・琵琶湖畔でも「鮒寿司」「鮒鮨」という表記をしばしば見かけるが、かの観光担当者の意見は、なるほど、と腑に落ちる説だ。よって本稿では“鮒鮓”の字を使う事にする。

さてこの鮒鮓、地元で自家用などでは雄でも作るが、基本的には春に獲れた雌を使う。雌は卵を持っていて、これがまた旨い。

その雌のニゴロブナの鱗とエラ、内蔵をていねいに取り除き、水洗いした後に、エラブタからたっぷりと塩を詰める。これを樽に隙間なく並べてさらに塩をまぶし、落としぶたをして重石を載せる。このまま2〜3か月漬け込み、樽から取り出して、残った内蔵などを徹底して取り除いて水洗いする。この内蔵などをていねいに取る作業をないがしろにすると、あの臭くも芳しい匂いにならず、ただ臭いだけになってしまうのだという。

次に、炊き上がったご飯に塩を少し混ぜて冷まし、エラブタから詰め込む。そしてまた樽に隙間なく並べながらご飯をまぶし、再び落としぶたをして重石を載せる。このまま半年ほど寝かせれば晴れて完成となる。

この手間を考えれば、なるほど値段が張るのもわかる。とはいえ、高いものだと一尾一万円以上もするから、ちょっと我が家のつまみに買っていこう、というには、なかなか勇気がいる。何しろ我が妻は下戸のクセに無類の鮒鮓好きで、酒飲みの僕と一緒に箸を伸ばすと、一日で一尾を食べ切ってしまう。

鮒鮓と相性がいいのは、なんといっても日本酒だ。よく切れる包丁で数ミリ厚に薄く切った鮒鮓をひと切れ、もったいぶって箸でつまみ上げ、鮮やかなオレンジ色の卵などをねめ回すように眺めてから、ゆっくりと噛み締める。ちょっとキシキシとした歯ごたえに続いて、甘酸っぱい味と香りが口の中にふわぁーっと広がる。皮部分の、しこり、とした食感も後を引く。脇に添えられた、とろけた米のねっとりとした味わいも極上である。

そこへ、冷やの純米酒を流し込む。鮒鮓の匂いを酒がさらりと洗い流し、同じ米由来の芳香がいっそうふくらみを増す。もうひと切れを口に入れ、またひと口酒を含む。ひとりでに顔がニヤついてくる。湖畔の町の郷土料理店で一人酒、などという場合、さぞ気味の悪いオッサンに見えるだろうが、鮒鮓の“魔味”の前には、なすすべもないのである。

鮒鮓は茶漬けにしてもオツなものだ。ぬく飯に三切ればかりを載せて熱い茶をかける。独特の香りがまろやかになる。鮒鮓が苦手な人にもお薦めの食べ方だが、僕はめったにやることはない。だって勿体ないじゃないの。