前回はアメリカを支配する二項対立の考え方について、養子を例にして書いた。しかし、これは養子に限ったものではない。日本でも最近になって注目を集めている同性婚、これについてもリベラルは賛成し、コンサーバティブは絶対に超絶に反対している。おりしも私がアメリカに留学する直前の2015年6月には、アメリカ全土で同性婚を認めるObergefell判決という歴史的な判決がでた。だから、ファミリー・ローのクラスはもちろん、他のいろいろなクラスが同性婚の話題で持ちきりだったのである。
同性婚を認めてあげないなんて、コンサーバティブは感じの悪い人たちだと思う人もいるだろう。逆に、同性婚を認めちゃうなんてリベラルは既存の秩序を壊そうとしていると思う人もいるだろう。直観的な「好き」「嫌い」は誰にでもあるものだ。
二項対立社会のよいところは、この直観的な「好き」「嫌い」を理論のレベルに深化させることができるところだろう。賛成派と反対派の論拠が出そろう、議論がかみ合う、お互いに対する反論もできる。そうやって考え抜くことで、単なる感情的な意見対立が、一段深い論点として理解されるのである。
今回・次回と二回に分けて、同性婚を例にして、賛成派と反対派の論拠を見て、自分の頭で深く考える訓練をしてみよう。
1. 同性婚を認めた金字塔―Obergefell判決
皆さんはLGBTという言葉をご存じだろう。レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字で、性自認(自分自身の性に対する自覚)、性的指向(男性・女性どちらに性的に魅かれるかという性向)について、バラエティを持った人々である。LGBTの存在は、日本でも少しずつ認知されはじめている。渋谷区などが先駆けて、同性カップルについて「結婚に相当する関係」とする証明書を発行するなどしている。
クリスチャンが多数派のアメリカでは、長らくLGBTは迫害の対象になってきた。男性同士の性行為は違法とされ、テキサスのような保守的な州では、警察が家の中まで踏み込んできて性行為をしている男性同士を逮捕するなんてことも起こっていたのである。
ところが、長年にわたるアメリカのLGBTたちの自分たちを認識してもらうための闘い、自分たちの権利を認めてもらうための戦いは、近年になって実を結び始めている。LGBTの運動が社会を変えた。ダイバーシティに対して、アメリカの社会はもう一歩寛容になろうとしているのだ。そのLGBTの権利拡張の歴史の中でも、最も輝かしい金字塔とされるのが2015年6月に出されたObergefell判決だろう。
この連邦最高裁判決は、レズビアン・ゲイカップルの「結婚する権利」をアメリカ全土において高らかに宣言した。最後まで同性婚を認めなかった保守的な州も、この判決を受けて同性婚を認めざるを得なくなったのだ。
記念すべき第一回のファミリー・ローの授業(これは、私がハーバードで受けた最初の授業である!)で学んだのも、このObergefell判決だったのだ。なお、ハーバード・ロースクールでは第一回の授業から、リーディング・アサインメントと呼ばれる、つまりこれを読んでこいよという宿題が出る。油断も懈怠もできないシステムなのである…
そして、Obergefell判決を読んだ私は、これがレズビアン・ゲイカップルの結婚する権利を高らかに宣言したものであるだけではなく、同性婚に対する激しい価値観の対立を内包したものであることを知った。