連続講座「飯沢耕太郎と写真集を読む」 木村伊兵衛と土門拳

2017年6月25日に写真集食堂めぐたまにて「飯沢耕太郎と写真集を読む」を開催しました。5000冊を超える写真集がずらりと並ぶ店内。写真家のことや時代背景を知ることで、写真集をもっと深く味わってほしいとはじめたこのイベントも30回目を迎えました。

今回のテーマは、「木村伊兵衛と土門拳」。彼らの名前は、木村伊兵衛写真賞や土門拳賞という言葉で耳にすることはあっても、どんな写真家でどのような作品を残したのかは意外と知られていません。戦前から名を馳せ、同時代に活躍しながら全く対照的だった2人の写真世界を、代表的な写真集から読み解いていきました。

2人の写真を見比べるということは、なかなかできない体験。ウェブマガジンmineでは、トークイベントの内容をたっぷりご紹介していますので、ぜひご覧ください。

(※対談は有料版となっておりますが、冒頭のみ無料でお読みいただけます)

【目次】

◆2枚の写真 —「木村伊兵衛と土門拳展」

◆木村伊兵衛、ライカとの出会い

◆拡散型のスナップショット —『JAPAN THROUGH A LEIKA』

◆戦争と写真 —『FRONT』

◆戦後、<秋田>シリーズへ

◆木村伊兵衛のカラー —『木村伊兵衛外遊作品集』

◆タテ位置1000回、土門拳の修行時代

◆一点凝視の土門のまなざし —『風貌』

◆絶対非演出の絶対スナップ

◆リアリズム写真運動の高まり —『ヒロシマ』

◆100円写真集 —『筑豊のこどもたち』

◆不自由な体で成し遂げた大作 —『古寺巡礼』

◆日本写真のなかの木村伊兵衛と土門拳



「飯沢耕太郎と写真集を読む」はほぼ毎月、写真集食堂めぐたまで開催されています。(これまでの講座の様子はこちら

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 (2017年6月25日開催・写真/文 館野 帆乃花)

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飯沢: 今回取り上げるのは、木村伊兵衛と土門拳です。このなかに会ったことがある方はいますか? みなさん、ないですよね。僕もおふたりとも、展覧会の会場でちらっとお見かけしたことがあるだけです。木村さんは1901年生まれで土門さんは1909年生まれ。僕が上京して大学に入ったのが1973年ですから、仰ぎ見るという感じでした。なにしろ木村伊兵衛写真賞、土門拳賞というものがあるくらいですから、有名な写真家であることはよく知られていると思います。しかし木村伊兵衛と土門拳がどういう写真家で、どういった写真の世界を作ってきたのかというのは、あまり知られていないのではないでしょうか。同世代で正反対ともいえる2人の写真家を比較してみることで、この2人がどういった写真の世界を作ってきたのかを見ていきましょう。



◆2枚の写真 —「木村伊兵衛と土門拳展」

これは「木村伊兵衛と土門拳展」という、土門拳記念館開館20周年記念で2003年に開催された展覧会の図録です。これがとても珍しいことで、土門拳展、木村伊兵衛展は多いのですが、2人が一緒に展示されることは滅多にありません。図録の口絵に土門拳と木村伊兵衛の写真が載っていますが、偉そうな人たちですね(笑)。背丈は木村さんの方がちょっと大きいですが体型は似ています。

木村伊兵衛(左)と土門拳(右)

2人は性格も違えば、作風も違う自他ともに認めるライバルでした。そのことがよくわかるのが、それぞれが撮った女優の高峰秀子さんの写真です。高峰秀子さんは戦前から子役として活躍されていて、戦後はいろんな映画に出ていた美人女優。この高峰秀子さんを木村伊兵衛と土門拳が撮った2枚の写真に、彼らの作風、写真の撮り方がなかなかうまく表れているので、この2枚を見比べてみましょう。

左が木村、右が土門が撮った高峰秀子

まずは左側の木村伊兵衛さんの写真ですが、ソフトフォーカスでふわっとしていますよね。タンバールというレンズを使っていて、このレンズを使うと女性が美人に撮れるんです。ふわっと霧がかかった感じで、柔らかい光が舞うような写真が撮れる魔法のようなレンズでして、木村伊兵衛は戦前からこのレンズを愛用し、女性のポートレートを撮る時はよくタンバールレンズを使っていました。

撮り方については、高峰秀子さんがこのときのことを『にんげん蚤の市』というエッセイ集で書いていまして、ある日高峰さんが家にいたら玄関のチャイムを鳴らして木村さんがやってくる。気楽に話していたと思ったら、すっとライカを取り出して、2、3枚撮って終わり。何日か経ってプリントができたら、そこに写っているのは絶世の美女。高峰さんは「真珠の玉が浮かんだような」という表現をしていますが、写真を見た時には本当に驚いたそうです。「こういう人を『女蕩し』というのだな、と、私はおもった」と書いています。これがまさに木村伊兵衛の撮り方。撮られていることを意識させずにさっと撮る、江戸っ子らしい粋な撮り方です。居合い抜きと言われることもあって、ライカを隠し持っていて、向こうから人が歩いてくる。さっと出して、さっと撮って、スタスタと歩いていってしまう。撮られた方は気づいていない。このときもそういう撮り方をしたということですね。高峰さんにカメラを意識させず、自然体で撮っている。被写体を柔らかくなでるように、さっと。

女性を撮るのがとても上手だった木村伊兵衛に対し、土門拳は女性を撮るのが正直下手です。右隣に載っている土門拳が撮った高峰秀子さんの写真を見ていきましょう。ハイヒールを履いて銀座の街を歩く高峰さん。このとき土門拳は高峰さんを撮るということで、ものすごく張り切ったそうです。どうしようかと考え、高峰さんに銀座を歩かせます。ハイヒールで京橋から新橋の近くまでを2往復。その間土門拳はバシバシ、バシバシ撮り続けます。高峰さんは足は痛くなるし周りの人は注目するし、とにかく嫌で嫌で仕方がなかったとエッセイに書いています。土門がかなりしつこいのでしょうがなくやって、くたびれ果てたそうです。これが土門の撮り方。とにかくしつこい。あらかじめ頭の中で決めたイメージがあって、それが撮れるまで撮り続けるというのが土門拳。木村伊兵衛とは非常に対照的ですよね。

もうひとつの、土門拳の写真がどういうものかを示す一番わかりやすい言葉は「シャープネス」。木村伊兵衛の柔らかいソフトフォーカスな写真と比べてみると非常にシャープです。詩人で彫刻家の高村光太郎が1942年に「土門拳とそのレンズ」という評を書いていますが、これが彼の写真についての非常に素晴らしい批評になっているので、紹介したいと思います。

「土門拳はぶきみである。土門拳のレンズは人や物を底まであばく。レンズの非情性と、土門拳そのものの激情性とが、実によく同盟して被写体を襲撃する。この無機性の目と有機性の目との結合の強さに何だか異常なものを感ずる。土門拳自身はよくピントの事を口にするが、土門拳の写真をして、ピントが合っているというならば、他の写真家の写真は大方ピントが合っていないとせねばならなくなる。そんな事があり得るだろうか。」

いい文章ですね。ここに土門拳の写真のあり方が集約されています。つまり、ピントが合いすぎているんです。人間の尺度を超えるくらいのピント。どうも土門さんは視力が良かったみたいで、自分の目が見ているのはこんなもんだと言い張っていたそうです。目そのものがレンズみたいなものですよね。一方で、木村伊兵衛は人間の目。肉眼っていい加減なもので、人間の目のピントの合う範囲ってかなり狭いんです。一方で土門拳の目は、パンフォーカスといって、全てにピントがあっている状態。そこに作風の違いがあらわれていて、木村伊兵衛と土門拳という2人の写真家はピントだけでも相当違う。それから被写体に対する態度。これも180度違うということがおわかりいただけたのではないかと思います。ここからは、それぞれの年譜(岩波書店『日本の写真家 全40巻別冊1』を参照)や写真集を見ながら2人の写真をひもといていきましょう。まずは木村伊兵衛から。

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